2011年08月28日

ケウルーの2つの教会

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このタイトルを聞いてピンときた方、きっと相当なアールト通ですね!

昨日の小旅行でまず最初に立ち寄ったのが、ユバスキュラからローカル列車に揺られて50分ほど西に行ったケウルーという街です。


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爽やかな淡水色に塗られたケウルー駅舎のすぐ背後には、まったく雰囲気の異なる2つの教会が、通りを挟んで左右に立ち並んでいるのが目に飛び込んできます。実は、この小さな無名の街ケウルーに佇む、たわいない新旧2つの教会にスポットを当てたのは、他でもない、かの建築家アルヴァ・アールトでした。
彼が1921年、大学を卒業したばかりの若干23歳のときに、この街の2つの教会に関する独自の比較論を新聞に投稿していた記録が残っています。以下に、まずその興味深い投稿文を抜粋してみます(日本語訳は、ヨーラン・シルツ著/田中雅美・田中智子訳『白い机 円熟期−アルヴァ・アアルトの栄光と憂うつ』より転載)


古い教会は木造である。色は黒。目を見張る程美しい黒だ。年月の経過とともに素朴なタールの濃さが増し、美しい古色になっている。教会の塔は高貴なデザインで、教会全体が均整のとれた形をしている。北国の子供の目を通して見るそれは、文明化された、遙か遠くの国々の様式を映し出している。様式からいえば全く素朴だ。まるで目の前に開かれた本を読むように、その高貴な姿からは、教会が生まれた歴史を読みとることができる。工業的、大量生産的な痕跡は、どのような細部にも見あたらない。カンナの削り跡は大工の愛情を込めた仕事ぶりを物語っている。また個々の形態は、作り手がベストを尽くしたことを証明している。

一方、新しい教会はレンガで造られ、塔が高く、建物全体が風景の後世を壊している。この教会は何も語らない。まるで他人の声を聞こうとしない人間のように、ただ叫んでいるだけだ。作品に対する作り手の愛情などどこにも見あたらない。また周囲の環境を尊重した細かい気配りも見られない。この教会はまるでドイツの絵本から切り取られた光沢画のようだ。粗悪な建築である。


(1921年12月4日付“ILTA LEHTI”掲載文)



いやあ、新進気鋭のアールトさん、かなり辛辣なまでに、持論をハッキリ堂々と述べておりますな…

この批評の対象となった2つの教会が、その様相をほとんど変えることなく現在も残っているというわけです。
では、彼が言わんとしていることが何なのか、実際にその教会を眺め比べてみましょう。


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実際に訪れたのは後だったのですが、先に、アールトの文章の後半で厳しく批判されていた「ケウルー新教会」のほうから。新しい教会は1892年に建てられて以来、現在も街のメイン教会をして実務的に使われています。デザインを手がけたのは、ヘルシンキ生まれの建築家Theodor Granstedtin(すみません、スウェ語系統のお名前なので、私には的確なカタカナ表記ができません)。なるほどいかにもヨーロッパ本土で当たり前に見られる、レンガ壁にするどい尖塔をもった荘厳な造りをしており、アールトが述べるように、まさに「まるでドイツの絵本から切り取られた光沢画のよう」な、いささかこの北国の湖畔の田舎街には立派すぎる印象を持つのも確かです。

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内部は、外観の重厚さに反し、パステルカラーで塗り込められていて、ルーテル派らしいとてもシンプルで清楚な印象。構造材の大部分には木が使われているものの、塗装の厚化粧でそれとはわからないくらい質感は消されていますね。少しひんやりと冷たい雰囲気はあるものの、実際には決して「粗悪な建築」なんかではありません。


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代わって、こちらがアールトの絶賛する「古い教会」の外観です。新教会より140年ほどさかのぼった1756〜1579年頃に建てられたこの教会には、「建築家」はおりません。そもそも当時のフィンランドには、まだいわゆる建築家という図面描きの職業が存在せず、日本の宮大工のように直に技を伝える棟梁たちが、現場監督を手がけていたとされます。この教会建造の監督を務めたのは、アンッティ・ハコラという棟梁で、国内各地に「ハコラ様式」とまで呼ばれるスタイルを確立してその名を馳せていた名棟梁でした。

隣国に支配された貧しい極北の国で、正式な建築教育を受ける機会もない棟梁たちは、それぞれに地方の建築伝統の中に身をおいて技術を体得し、継承してゆくことになりました。とりわけ、国土の西側にはスウェーデンを経由した中央ヨーロッパ発の文化の風が、東側にはロシアからの文化の風が否応なしに吹き込んで、その影響を地元棟梁たちにも大いに与えています。
ところが、中部地方(ユバスキュラ周辺のエリア)は完全な内陸地方であったことから、幸か不幸か、東西両国から(時に押し付けがましくフィン国内に流入してきた)異文化の波に浸される機会が比較的すくなく、あるいはその両方から少しずつうっすらとだけ影響を受けたために、とても個性的なオリジナルの文化が芽生える土壌となりました。


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実はこの古教会には、まさにそのユニークな独自文化の、集大成とでも呼ぶべき魅力がたくさん詰まっていて、アールトもつまりその点を称賛し、自身の建築観への糧としたのだと考えられます。

北欧建築史のスペシャリスト伊藤大介さんは、中部内陸地方にいまもいくつか残る17-18世紀の一連の木造教会のことを「開花の時期を迎えた日本の建築界が西洋文化に触れることで作り上げた、棟梁たちの擬洋風建築に似ている」と主張されていて、それは、「ヨーロッパに憧れながらもまだあまりに遠くて見よう見まねで模倣するしかなく、しかしそれゆえにこそユニークに仕上がってしまった独自の文化遺産」だと説明しています。
小難しい用語や歴史的様式の知識がなくとも、この教会の内部は、そのことを誰しもにとてもわかりやすく証明してくれているので、しばし御覧ください。


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たとえばこちら、一見、よくある大理石の柱と布のヴェールに囲われた祭壇…に見えますよね?

ところが近寄ってよく見てみると…

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なんとこれらはすべて、木造の表面に、いかにも大理石らしく見せた彩色が施されているのです。
それはなんとも奇妙で、でも意外なまでの細やかさやグッドアイデアの連続に思わずくすっと来てしまう、王道ヨーロッパ文化と素朴な土着文化のふしぎな折衷世界。

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何気ない壁にまで、遠目に見るとまるで別の素材と見紛うようなランダムな模様描画も!


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当然、実際にはこんな地で大理石や色彩豊かな石素材が、内陸部にまで運ばれてくる術なんてありません。彼らの周りに無限にあり、また彼ら自身が自信を持って扱えるマテリアルはずばり「木」のみ。すべて木材による見よう見まねの模倣は、「どうせ俺らには木しかねえんだよ」という僻みなのでしょうか?

いや、こんなに小技だらけで豪奢なのに、かえって素朴さばかりが強調される愉快な木造教会を眺めていると、むしろ、「西のどこぞの文明人たちが使う素材や図面なんかなくても、俺たちはなんだって木で作れるんやからな!!」という、生涯木だけに愛情と熱意を注いできた地元棟梁たちなりの、挑発とすら思われるプライドと誇りの叫びが聞こえる気がして、なんだか微笑ましく、そしてついほろりと来てしまうのです。


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それは、貧しい辺境国の内陸地に生まれ育ったがゆえに、世界の水準からはあまりに取り残された、意地っ張りで世間知らずな田舎棟梁たちの、野暮ったい模倣作品と笑われてしまうかもしれません。

それでも、この作品は、彼らの風土愛と固有の技への誇りの結晶にちがいなく、それゆえに、周囲のフィンランドらしい自然景観のなかに今も昔も違和感なく溶け込んだ、愛すべき佇まいを保ち続けているのです。若きアールトもおそらく、かつてこの棟梁たちが実現してみせた、その土地の景観や歴史のなかでいつまでも色褪せず愛される建築の姿に感銘を受け、これから一人前の建築家としてやっていく自分自身のための戒めに据えたのかもしれません。


何より、こうした建築がひとつのルーツとなって、今日のフィンランドの、世界に誇る豊かな建築文化の土台を精神的にも技術的にも支えてくれていることを思えば、よりしみじみと愛着と感謝の念が湧いてくるものですね。ながーい歴史のなかでぱっとしなかったこの国だって、「Suomiは一日にしてならず」だったのです!

ayana@keuruu.fi


●参考文献

◯建築巡礼18 アールトとフィンランドー北の風土と近代建築
/伊藤大介著、丸善株式会社出版(1990年)

◯白い机 円熟期−アルヴァ・アアルトの栄光と憂うつ

/ヨーラン・シルツ著、田中雅美・田中智子訳、鹿島出版会(1998年)

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次回は世界遺産「ペタヤヴェシ教会」のレポート!



posted by こばやし あやな at 21:34| Comment(4) | Keuruu-ケウルー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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