2012年01月29日

マイナス25度の世界に想う

2012128_1.jpg

今朝、ついに外気がマイナス25度を突破しました。

にも関わらず、私は今朝、夜明けを待って1時間かけて歩いて帰宅せねばならないという状況に陥りまして。。。もう怖いから、あえて気温計を見ずにえいやと出発したのですが、

外に出た瞬間にまつげ、鼻孔が凍る→ああ、マイナス15度は超えているらしい…

そして間もなく帽子から出ている髪が白髪に変わる→ああ、20度行ってるのかあ…

通り道の工場の気温計をついうっかり見てしまう→マイナス26度orz



まあでも、なんとか先刻家に辿り着いて、熱いシャワーで復活を果たしました。けれどもう間もなく、また家を出て冷凍世界を移動してオケの本番に赴かなければならないらしい。。。台風


20120127_8.jpg

ここまで究極的な世界で、「今自分は生きている」ということを確信できるのは、心臓が動き、血が体中を循環していることを自覚するからにほかなりません。だから、こんなに凍てつく世界に立っていてもなお、自分が、工場の庭で冷たくなって雪をかぶった鉄パイプと同じ目に遭わないでいられる。

美味しい物を食べて、楽しい時間を過ごして、「あ〜生きててヨカッタ」というのは、感情や思考のおかげで実感することのできる「生」です。普通はこのように、人間にとっての「生きる」ということは「より良く生きる」ということと同一視されるべきものです。

けれど今私の生きている世界は、一歩保温庫のような建物の外に出れば、もはや快も不快も良し悪しも関係ない。心臓が動き続けているか、酸素を吸って二酸化炭素を吐き出せているか、それだけにかかっていて、それ以上何も望みようがない。生きるということ以上に、クオリティもデザインもいらない。何はともあれ、今もドクドクと伸縮を続けてくれている私の心臓に、こころから感謝です。あ、ココロでココロに感謝というのはおかしいか。

ayana@jyväskylä.fi


にほんブログ村 海外生活ブログ フィンランド情報へ


意を決して、そろそろゆくか…



posted by こばやし あやな at 18:16| Comment(0) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月24日

この世で無色のもの

20120124_2.jpg

20120124_3.jpg

20120124_4.jpg

1限を終えて講義棟を出ると、いつの間にかすうっと雪雲が後退していて、いつでもそこにあるのにいつも雲か闇に隠されしまっている大気圏の限界を、久々に見上げました。

晴れ間を拝むことができるのは、ここのところは1週間に1回ペース。
出会えるだけで奇跡にさえ思えてしまうとこしえの冬の空、とりわけ朝一番の大気は、青とか水色とか、色名ではとても言い表しきれない、何か別のベクトルに支配されている気がします。存在を目で知覚できるのに、色が見えない、わからない…私が出会ったことのあるこの世で唯一無色のもの、それがこの国の冬の朝の空なのではなかろうか。


20120124_1.jpg

少し前までは、1限が終わってしばらくしてからようやく日の出を迎えていましたが、今日はすでに真っ赤な太陽が朝陽を放っていたのにもつい感激してしまいました。ああ、着々と地球は位置を変え、時が流れ、今日も私たちは必ず来る春を信じて必死で白い息を吐いている。

ayana@jyvaskyla.fi


にほんブログ村 海外生活ブログ フィンランド情報へ


さ、学食混まないうちにお昼食べてきます。

posted by こばやし あやな at 18:28| Comment(0) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月07日

架空の恐怖の振り切りかた

20120105_5.jpg

数日前に撮った、うちのそばの教会前の道。あれからさらに毎日雪は降り続け、樹々がぷくぷくと正月太りを重ねています。


昨日、うだうだと、ブログにまで吐露していたしょーもない二者択一は、結局体力的にしんどいだけのほうを選びました。ここまで些細なことで、突如どうして空前の優柔不断な自分が現れてしまったのか我ながら不可解なくらいでしたが、夕方まで書くよりもただ悶々とし続けて、もはや体が右と左に引き千切られそうにさえ感じ始めたので、ついに相方に「私の代わりに決めてくれい!!あるいは決め方を教えてくれい!!」とすがりました。

彼からさらっと返ってきた処方箋は、「コインの裏表で決める」か「とにかく有無をいわさず10秒で決めた答えに従うというルールを設ける」かのどちらかを自分でやってみたら?、とのことでした。

「コイン任せの決断」は、精神医学者フロイトのエピソードにある有名な実例だそうで、コインというまったく他人(かつ無生物)にずばっと択一運命を決められた瞬間の、自分自身の心の素直な反応をすばやく読み取ることで、心の芯部が真にどちらを欲しているか、本当はどうあるべきと決めつけているのかに気づくことができる、というプロセスに基づく実践なのだそうです。

一方「有無をいわさず10秒決め」というのは、(誰がそれを提唱したと言っていたか聞き漏らしましたが)ある二者択一において、その重大性のレヴェルにかかわらず、人が一晩悩んで出す答えと10秒内に出す答えには、得てして違いがないもの。だから今すぐ出した答えを信じればそれでOK、もっと悩む予定だった時間を行動に当てられるから優越感にも浸ればよろし!という論だそう。
そもそも決断の時に人が悩むのは、「慎重さ」でもなんでもなく、その決断の先に待つ「後悔」への恐怖なんじゃないのかな…でも、悔をもって予感するなんてとてもナンセンスな気がする。もし実際に後悔したら、次回そっちを選ばなければいいだけのことでしょ?、と相方。
嗚呼まったく、むしろ私の昨日一日こそに後悔の矛先を向けぜるをえない、明快でさっぱりした意見じゃないか。


20120106_1.jpg

やると決めたことに、疑問を抱かず本気でぶつかるだけ。今までも無意識にそうやって走ってきたのに、なんで今更こんなちっさいことで一瞬足を止めたんやろ?…年のはじめに軽傷負って戒めを、てことだろうきっと。

というわけで、今もすでにぶつぶつ文句ばかり言いながら(笑)、辞書を引き引き、休み休み、えっちらおっちら書き進めています。晴れやかに月曜日を迎えるぞ〜

ayana@jyväskylä.fi


にほんブログ村 海外生活ブログ フィンランド情報へ


毎度クリックおおきにありがとうございます!

posted by こばやし あやな at 05:55| Comment(3) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月07日

独立記念日後記

20111206_2.jpg

今しがた、今期の最終試験(追試にひっかからなければ…)を終えてきて、ふにゃりゃにゃ状態のおかんです。
一つ荷を下ろせたのは確かだけど、まだ休みまではもう一息ですな…。

さて昨日は独立記念日。6日の明朝は吹雪+雷鳴という、まさにフィンランディアの序奏を想起させる不穏さですが、お昼が近づくにつれて雪が穏やかになり、一時期は青空も覗かせていました。空の青と雪の白とのコントラスト…まさに窓からの景色そのものがこの国の象徴色に染まって独立記念日らしさを演出?

私は予告通り、今年は特にセレモニーやコンサートに出かけることもなく、お決まりの番組をちょっとだけ見て気分に浸り、あとはごく普通のテスト前休日を満喫しておりました。ごはんもお寿司にソース焼きそば、と、もはやどこの国のお祝いをしているのかわからないメニューだったし(苦笑)
昨日すこし説明した「無名の兵士」の白黒映画も、思ってた以上にストーリーより戦闘シーンばかりですぐにうんざり飽きてしまい、まったく別の話題に花を咲かせていたのでもはや爆撃音しか耳に残っておりません…。小さな子供のいる家庭でも、ほんとに「とりあえずこの番組にチャンネルを合わせておく」風習を踏襲しているものなのだろうか?そもそもこれ、1944年に終結した継続戦争のお話ってことは、1917年の独立そのもののできごととは直接関係ないのでは…という気がしないでもないし(もちろん、その後も名実ともに独立を果たすために先人が奮闘した軌跡に違いはないのだけれど)。

そういえば、(一応話題をかこつけて)相方の兵役のときの話を初めて詳しく聞かせてもらったのですが、体格的に鉄砲隊にでもいたのかな?と勝手に想像していたけれど、「自分にぴったりの役職だった」と言い張るので、はて、兵役にダンサーとかいるのか?と首をひねっていたら、正解はなんと「コック」でありました…て、ええっ!兵役にはそんな職種もあったのか!!
機動隊らが外で銃の撃ち方や隊列の組み方を教わる傍ら、彼らが兵役らしく学んだことと言えばいわゆる兵糧攻めのプロセスくらいで、あとは暖かいキッチンで、一日中、何百人分の朝昼夕ご飯を調理してサーブし、合間にひたすら膨大な食器洗いをしていたらしい。なので、もし今後フィンランドで戦争が勃発したときも、やっぱり基地での調理班にまわされるのだと。ああよくやくわかったよ…レストランでのバイト経験があるわけでもないのに、彼が素人離れした高速包丁さばきを身に付けていたり、やたら調理器具マニアだったり、食後どんなに疲れててもすぐに食器洗いをやらないと気が済まないその理由が…(笑)ある意味、一番(唯一)日常生活にも応用の利く有益な訓練だったのでは。。

夜の大統領官邸への招待晩餐会の中継もとりあえず見始めたものの、華やかそうにみえてコテコテに形式ばっており、正装した人が緊張の面持ちでロボットのように大統領と握手して流れていくだけで、やっぱりそう何十分何時間と見続けていられるものではありませんでした。すぐに前から見たかった某アメリカ映画に切り替えてしまった…。

20111206_1.jpg
こちら、フィンランド国内でのオリジナルdoodleとしては記念すべき第一作目だったという、昨日のgoogle.fiの独立記念ロゴ。前日から公式ブログでそのデザインのヒントがほのめかされていたのを、二次的にいろんなメディアがとりあげて、あちこちで話題にあがっておりました。


さて、同世代の知人や、メディアで聞かれる「独立記念日の本音」を少し拾ってみると、もちろんこの日を喜ばしく想う気持ち、祖国への愛着を確かめる契機としたい気持ちはあるのだけれど、だからこそ、延々何十年と、いつまでこうしてずーーっとおんなじお決まりプログラムで、ちっとも本来の心の喜びが感じ合えないシリアスなセレモニーしかやってはいけないの?という懐疑心が少なからずあるみたいです。昨日のケスキスオマライネン誌(中部地方の最王手地方新聞)でも、マルコ・アホネンさんという売れっ子ジャーナリストが、息の詰まるお決まりな独立記念日の有り様を憂いて、次のような結部で締めくくられた批評を寄稿していました。

「国民が心から笑うことのできる国は、自分たちの独立記念についても心から自信と誇りを持つことができるものだ。(…)今日において、独立記念日がなお「父なる国」を崇めるだけの日である必要があるだろうか。」

フィンランド人を大義名分のあるパーティに野放しすると、趣旨違いに浮かれすぎた面倒な輩が少なからずでてくることは目に見えているので一概にそうだそうだと肩を持つことはできませんが、確かに、独立記念というその意味自体は、いわば国の誕生日祝いでもあり、本来もっと気楽に喜びを分かち合うべきじゃないかという意見も最もな気がします。まあ実際、この日にどれだけの人が気を張っていたかと言えば、実際はTVに映る人々はじめ国民の中でもごく一部で、きっと大半の国民は、お店や公共施設の一斉閉店に不自由を感じながら、それでもいつもとそんなに変わらない日常を過ごしていたことでしょう。ちょっと街中を移動している間にも、なんらいつもどおり、積もりたての雪の上をノルディックウォーキングしているおばあちゃんやジョギング中の若者、犬の散歩をする夫婦とたびたびすれ違いました。そんな当たり前の平和な日常のなかで、一瞬でもその幸せにいとおしさがこみ上げ、感謝できる瞬間が訪れるならそれで十分その日に価値はあるし、お祝いしたけりゃ、人様の華々しいパーティの模様をTVでながめるだけじゃなくて、自分たちでおのおの(節度を持って)盛り上がればいいんじゃないのかな?と。そのあたりの新たな価値観が、来るべき100周年にむけて、毎年ゆるやかにこの日のあり方に変化をお越してゆくのか、はたまたしきたりはいつまでもしきたりなのか…どうなんでしょうねえ。

おっと、中途半端ですがそろそろ次の授業なのでこのへんで。

ayana@jyvaskyla.fi

にほんブログ村 海外生活ブログ フィンランド情報へ


さむい、そして、ねむい。
posted by こばやし あやな at 18:57| Comment(0) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月26日

不在のものへの心のたなびき

20111025_1.jpg

だれもの目に見えているのに見過ごされているものを見つめ、

内在するイメージを読む、

想像力を働かせる、

美しさを引き出す。


そして、何気ない景観を、感慨深い風景に変えてあげること。


かつて、これこそが、文学研究科で学ぶ学生、将来に言葉や芸術を己の職とする人間が大学で身につけるべき「プロフェッショナル」であり、そして「教養」なのだと教えてくれた恩師がいます。以来今でも、その生き方の理想は変わらない。嗚呼、はやくそんな人にならなければ。


今日、たまたま諸用で母校のウェブサイトに立ち寄ったのですが、(任期のことを知らないわけではなかったけど)気づかぬ間に総長が変わっててちょっと面食らってしまいました。前総長こと、上述した「恩師」は、何より入学式と卒業式の式辞が日本一おもしろくためになる最高の校長先生だったと(他を聞いたことないけど)確信していました。少し前までは、歴代の式次第の写しが全部読めるようになっていたのですが、代替わりしたので、もう最新年度のがかろうじて残してあるだけです。これも来年には消されてしまうでしょう、嗚呼もったいない。そうなる前に是非、こちらのページの一番下に置かれたリンクを開いて、未曾有の震災直後の式での先生の渾身のスピーチを、多くの皆さんに味わっていただけたらなと願っています。

今日はなんもフィンランド関係なくってごめんなさい。

ayana@jyväskylä.fi


にほんブログ村 海外生活ブログ フィンランド情報へ


日本語で議論に明け暮れることのできた、あっちの大学時代につかの間戻りたい…
posted by こばやし あやな at 06:05| Comment(0) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月24日

身分相応、モラトリアム…嗚呼

20111023_1.jpg

さっきまで、いつも言語交換指導でお世話になってるミッコと、同棲中の彼女ヘタさん(笑ってはならぬ、よくあるフィン人女性のお名前)にお呼ばれして、夕食をごちそうになってきました。
メニューは、ミッコ作のアラビアータパスタと、ヘタ作のギリシャ風サラダ(おじさんがギリシャ人らしい)&ブルーベリーパイ。私は昨日買ったB級ホワイトチョコをつかってマフィンを焼いて行ったのですが、あんまり膨らまずちょっと残念な出来であった。。。しょぼん。

ヘタさんは偶然にも私の研究室の先輩でもあり(2歳年下やけど)、学業の傍らアフロダンスの先生をやってるわお芝居もやってるわ、物凄くアクティブでアート肌な素敵な女性です。しかも今日発覚したのだけど、彼女のお父さんは、なんとユヴァスキュラ交響楽団の現役ビオラ奏者だった!!!(そのツテで、今度リハーサル見学までさせてもらえることになりました♪)

美学&日本趣向な夢想主義者3人がそろったもので、様々なジャンルからのセンスある音楽の流れ続ける中、はずんだ話もアートな議論か日本の思い出話ばかり。そもそも…写真こそないけど、二人の愛の巣の、見事なまでの贅沢&ハイセンス住環境っぷりには目が点状態。おそらく日本のフィンランデザインファンたちが想像しうる、国内トップデザインブランドの魅力を美しく調和させてまとめあげた、ある意味でもっとも典型的な「北欧ライフスタイル」仕様。
オイオイふたりとも、まだまだ稼ぎのないに等しい学生でしょ?なぜにここまで、家電家具雑貨…あらゆる一級品が揃いきった部屋に悠長に住んでられるの??


日本ではややネガティブなイメージのある、学生時代の別称「モラトリアム」期。3年で高校を、4年で大学学部を、2年で修士前期課程を、3年で秋期後期課程を…その「目安」が「常識」となっている日本では、何らかの理由でそこからはみ出る道を選ぶことにいちいちとても勇気と覚悟がいるし、ましてあの狂気じみた新卒就活制度にきつく絞めつけられる日本の学生たちは、さぞこの国の学生から見たら、窮屈そうで、哀れに見えることだろう。人生まだまだ長いのに、なにをそう焦っているの?と。
大学に何年いようが学費はタダ、その上、(私からすれば)それなりな学生生活を過ごすには充分すぎる無償の奨学金を受給しつづけながら、人によっては日本人学生の倍ぐらいの時間をかけて、たくさんのことに手を出し経験し、ゆっくりと学業を修め、頃合いを見てボチボチと社会に出てゆく…同じ学生とは思えない別世界の環境下に生きるこちらの学生たち。与えられた外的環境としてどちらが恵まれているか…と比べるのは、どうニュートラルな見方をするにしても、悲しくなるのでやめておく。

でも、でもです、私は日本人であり元日本の学生であり、たとえ今こちらの学生界の常識のなかで生きようとも、やっぱり素地は学生=貧乏、学生=モラトリアム期…の常識のもとで、ときに悔しい思いをしながらジタバタせざるを得ない、しがない日本人学生の感覚がいまだじとっと染み付いています。たとえ「返さなくていいよ」と言われて無償でお金が降ってこようとも、自分の力や時間を費やして稼いだわけでもないお金での生活が続くことは耐え難いし、願わくば少しでも早く、自分が培ってきた力やアイデアを生まれ育った社会に還元して、その見返りを得て、名実ともに自立したいという焦燥感からは常に逃れられないものです。

日本の皆さん、こちらの学生の常識や時間感覚は、やっぱり「羨ましい」と映りますか?私は、最近いささか困惑気味です。何が人間の使命なのか、どうなると満たされるのか、虚しいのか。このあまりに甲斐甲斐しい透き通った国のお世話になっていると、そして生まれた時からそれに浸されて育ってきた「学生」と交わっていると、とつとして過去の古傷が疼くように、激しくやりきれない気持ちがこみ上げてきたりするのです。これは羨みなのか、哀れみなのか、はたまた単なる現在の自己否定なのか。つべこべいわんと、無心に郷に従ってさえいれば、もうちょい楽になれるんでしょうが、それもまた難しい。

ayana@jyväskylä.fi


にほんブログ村 海外生活ブログ フィンランド情報へ


さて、シャワー浴びてもう一仕事。


posted by こばやし あやな at 05:47| Comment(0) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月18日

計画性あってのデザイン

20111017_3.jpg

昨日も少しお話ししましたが、今週は小学生から大学生まで、一斉秋休み週間となっています。実際は国内の各エリアによって該当週がずらしてあるようですが、ユヴァスキュラ近辺の学校は今週はものけのから。大学も、言語クラスや基礎科目などは休講なのですが、いや大学生にまでそんなボーナスウィークいらんやろ!と専門科目はいたって平常通り授業が開かれているので、私達にとっちゃあ中途半端なのんびりウィークとなります。

まあそれでも、ほぼ毎日朝の8時すぎから始まる語学クラスががばっとなくなる分、だいぶ気は楽かしら。最近はもはや起床時間がまだ真っ暗、なのが当たり前になってしまったので、休日のように絶対起きる必要のない日まで暗闇のなか起きあがるというのは、かなり億劫なのです。この一週間で、ついつい夜更かし遅起きパターンに陥ってしまわないか今から心配や…。


今日のタイトルの真意ですが、こちらで生活していて非常に使う頻度の高い単語のひとつにsuunnittelu(スーンニッテル)という名詞があります。この語には、@計画、予定(planing)、Aデザイン(design)という大きく2つの意味がありまして、@だと例えばOpintojen suunnittelu(学習計画)、Aではmuotisuunnittelija(ファッションデザイナー)といった用例が挙げられます。

「計画」と「デザイン」という2つの概念が、まったく同じ語に集約されているというのはとても面白いなと感じませんか?日本でも芸術を嗜むあるいは批評する人たちの間では、しばしば「アート」と「デザイン」の違いとは?という議論が盛り上がります。けれどフィンランド語の発想に基づけば、デザインという行為は、芸術よりもむしろ「計画する」という行為のほうに比肩しうると考えられるわけです。

でもそれは、少し考えてみれば実に理にかなった解釈に思えます。だって、建築、雑誌、服飾…何にせよ「デザインする」時には、必ず思いやるべき相手がいて、締め切りがあって、条件や制約がつきまとうものですもんね。それらをフォローしながら何かを生み出す/考案するには、自由な発想だけでコントロールするのは困難で、あらゆる要素を客観視しながら、冷静に「計画する」という表現のほうがしっくりくる気がします。


まあ、世の中「デザイナー」という肩書きの人のほうが少ないわけですから、逆にもっと汎用性のある発想をしてみれば、私達が日常生活のなかでなす「計画」という行為…これも実は、何かの「デザイン」につながる鍵と言えるのではないでしょうか。誰のため、何のためのデザインかといえば、それはもちろん「自分のすてきな将来のため」のデザインに他なりません。将来どうしても就きたい仕事があるから、そのために学びたい大学や学部を選び、自分の現在の実力を鑑みながら合格するための受験勉強プランを練る…これはりっぱな「人生のデザイン」行為です。あるいは、限られた時間で海外旅行をめいっぱい楽しむために、見所やお店を事前に調べて順路をシュミレーションする…この計画はすなわち「旅のデザイン」といえるでしょう。

逆に計画が甘いと、どうも段々と辻褄が合わなくなったり、目標の軌道から少しずつ逸れていってしまうことが、(私自身)多々あります。カーナビのように厳格にルートをプログラミングして辿るだけの毎日も味気ないけれど、やはりここぞという一大目的や夢を叶えるためには、日々の計画=自分自身のデザインが不可欠だよな、と痛烈に感じている今日この頃です。そのためにやるべきことは、結局プロのデザイナーと同じで、「相手(自分自身)の要求とレヴェルを冷静にみつめること」「外的環境による条件や制約をはみだすような無茶をしないこと」「締め切りを守ること」、この3点に尽きるのかな、と。


手持ちのフィン語辞書に載っていた例文。

On aina vaikea suunnitella tulevaisuutta.(将来を計画/デザインするのはいつだって難しい)


いや、ほんと難しいですよ…そのことで最近どれだけ悩み落ち込みため息ばかりついていることか(苦笑)
でも、自分の人生をデザインできるのは、いつでもどこでも自分自身だけですものね。自分をあまり甘やかさず、まだまだ精進します。皆さんも、どうぞ自作自演の素敵な人生を!

ayana@jyväskylä.fi


にほんブログ村 海外生活ブログ フィンランド情報へ


明日はきっとレポート漬けの一日。。

posted by こばやし あやな at 05:10| Comment(0) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月26日

ジレンマ

20110925_1.jpg

「この人に、もっともっと自分の感覚や反応や思考をできるだけありのまま言葉にして伝えたい」と思うがために、私の現在のフィン語力ではまだ到底それを叶えることが出来ないとあっさり諦め、ついつい楽な言語に逃げて、この人達と会話したいから勉強しているはずのフィン語を使うチャンスから、結局どんどん遠ざかってしまう。とても惨めで、不甲斐なく、やるせない。いつまでこんなこと繰り返してるつもりなんやろか私よ。

ayana@jyväskylä.fi


にほんブログ村 海外生活ブログ フィンランド情報へ


お風呂入りたい。。



posted by こばやし あやな at 03:47| Comment(2) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。