2014年08月08日

究極の選択?そもそも?

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つい先日はトーヴェ・ヤンソンのサマーコテージを訪問していたわけですが、今日は所変わってアルヴァ・アールトのサマーコテージ(他)で一日ガイド仕事。海に浮かぶ岩の島のうえのコテージと、湖畔の森のなかのコテージ。もしも自分が将来持つことができるなら、どっちかなあ。ここまでのフィンランド生活で自分にとって圧倒的に親しいのは、森と湖の傍に暮らす文化。たぶんこちらのほうが生き抜く術も退屈しない術も、今それなりに身についているはず。でも海の上に暮らす生活も、真水の確保・節約や広い世界での閉塞感との戦いなど大変な要素は多そうだけど、それでもああ素敵な暮らしじゃないかといまだ心から離れず。
けどやはり、どちらを選ぶかには大いに好み…というより適正がものを言う気がするな。付け焼き刃の知識と好奇心で2,3日ちょっとキャンプするのとはわけが違う。長ければ数ヶ月、その閉ざされた世界で、楽しむために生活を紡がねばならないとなれば、やはり自身と対話し選択を誤るわけにはいかないだろう。

なんてことを悶々と妄想しながらも、わかっちゃいますよ、今はまだ貧乏金なし隙なしで、ぜーんぶ縁のないお話。仮に時間とお金を手に入れたとしても、そもそも夏の1ヶ月間をサマーコテージ暮らしに喜んで捧げられるような意欲があるかどうかはまたべつの話。というか腹を割れば、海の上であれ湖畔の森であれ、あそこに一ヶ月以上留まりたいという欲求は、今のところまだ全然解せない。歳とフィンランド歴を重ねれば、今後そのあたりへの心の動きも変わってゆくのだろうか…

ayana@jyväskylä.fi


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明日はついに地元の雑貨屋さんとの共同プロジェクトが始動!





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2014年07月30日

自分の眼の次に信じられるもの

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朝から相方の虫の居所が悪い。聞けば、今にわかに深刻化しているパレスチナとイスラエルの対立問題で、(曲がりなりにもキリスト教国である)フィンランド人の周辺の世論として、一方的にイスラエルのガザ軍事作戦を支持する風潮が濃いことに憤りを隠せないらしい。単純にパレスチナ人がかわいそうすぎる、と。もちろんそれは、ハマスのこれまでの行動をすべて肯定するというわけではないけれど、とにかく今回の対立の激化までのすべての敬意に、世界レベルでの偏向報道の悪意を感じる、パレスチナばかりが本当に悪役を背負わなければいけないのか、甚だ疑問だ、という言い分のようです。

これまで相方とこのトピックで議論を交わしたことはなかったけど、というか誰の前で表明したこともなかったけれど、実はたまたま(?)私もこの件に関して、率直に言えばパレスチナを応援したい立場をとっている。そのきっかけになったのは、数年前に自分の足でパレスチナを訪れて現状を見てきた知人の報告を読んでからだった。
彼の肉眼にはいってきた視覚情報によれば、報道によって形成されているイスラエル、パレスチナの有り様とはまったく別次元の悲惨な現実が、たしかにあったという。パレスチナ自治区に住むパレスチナ人の日常に対してのイスラエル人の度を超えた嫌がらせがあまりに目に余るらしい。言いがかりをつけて水や電気を止めたり、銃を持って住居に押しかけてきたり、ゴミを投棄していったり、不当に殺された住民も少なくないのだと。イスラエル人(軍)は戦闘能力の高い武器を当たり前に所持しているけれど、パレスチナ人は何があっても丸腰そのもの。とにかく毎日毎日、大義名分のもと自分たちを囲い込むようにじわじわ食い込んでくるイスラエル勢に怯えながら過ごすパレスチナ人は、見知らぬ旅人たちに対してはすごく気立てもよくて印象が良かったのに、その暮らしぶりはただただ哀れで惨めに見えたと言っていた。
こうした現実をもっと世に訴えたくとも、イスラエルはそもそもメディア統制もものすごいらしく、こうしてたまたま入ってきて現実をみた旅人に対しても、国境をまたぐ段階で、撮影データやパレスチナ人の苦しみが伝わる情報媒体など、すべてチェックされて抜き取ってしまうらしい。

たぶん、私たちがテレビやネットで手に入れうる情報だけで判断するのはあまりに危うく酷い現実が、当地にはあるのだろう。私自身はそれを見ていない、でも、それを見てきた知人の体験が現実味を帯びて生々しく、対岸の私に危機感を呼び起こしてくれる。もちろん、それだけをすべて鵜呑みにするのも、ただ流されてイスラエル軍に賛辞を送る人々と本質的に変わらない。第三者は第三者らしく、より中立的に、より冷静に、少しでもリアルな現実を知るための情報探しに必死にならなければならないと思う。
実際この世の中では、(一番信じられる)自分自身の目ですべて見て確かめられる物事の範囲は極めて限られている。他人が所有し都合よく垂れ流す情報のなかから、信じられるものをいくつか的確につかみとって、自身で分析して、どういう立場をとるべきか思考力を働かせなければいけないことのほうが、ほとんどだ。

まずは自分の眼で、そしてそれが届かない範囲の世界や人の心理については、より信じられるものを探し、選ぶ。信じるべきものが決まったら、とことん信じて応援してあげる。そういうふうにして、この広い世界で自分らしく生きてゆきたい。

ayana@jyväskylä.fi


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明日は久々学校に登校予定


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2014年05月28日

輝く人の、共通点

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自分にできないことと、できること。

それがとても具体的にわかった気がした、今回のお仕事。世の中にはとめどなく刺激を放出し続けている超人がたくさんいるけれども、それはその人たちが自分にできることをよくわかっていて、そのフィールドでの自分を過小評価することなく、そしてそのフィールド内で次なる目標を見定めて前進しているから、ひときわ輝いて見えるのだ。誰にだって、できることとできないことはある。

人生は長いようで、短い。死ぬまでにいろいろやりたいことはあるけれど、まずは自分にできることを、見つめて、もっとのばそう。大丈夫、私にだって、私にしかできないことはわずかながらある。それこそが、生業というもの。

ayana@jyväskylä.fi


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アールト自邸のお庭で、腰を下ろした瞬間に四つ葉のクローバーを見つけちゃいました。
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2014年01月14日

北の果ての成人式

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日本では本日、成人式で祝日でしたね。もちろんフィンランドではそんなことつゆ知らず、大学の多くの授業が今日から開講していました。けれど今年のユヴァス大への交換留学生の中には、(多くの留学生は3または4回生の間にやって来るなか)唯一最年少で留学に来て、たまたま今日という日に、成人式の参加権があるどころか誕生日を迎えてしまったおめでたボーイがおりまして(しかも地元では最寄りのイオンが同じという、ここからの距離で見れば私のご近所さんでもあるw)、そんな末っ子を可愛がる日本人留学生たちが主体となって、それはそれはサプライズと感動に満ち溢れた、寒いのに温かい極北成人式が挙行されました。
私はオケのリハもあったので、パーティの最後だけ顔を出して、ほぼ即興でトゥオマスのギターとデュオで「なごり雪」の演奏をプレゼント。なんとなく成人式向きな歌詞の2番は、みんなにサプライズで斉唱もお願いしておいて。

いや彼はほんとに幸せモノだわね。もちろん地元で古い友人たちと形式通りに祝う成人式に出られなかった無念もあるやろうけど、留学という人生の一大イベントのなかで出会った国際人たちと迎えたこの一日は、きっといつまでも心に刻まれるのだろう。いつか私が最初のフィンランド留学時に、これでもかとゼミ仲間に盛大に祝ってもらったあの愛すべき誕生日の一夜のように。

自分自身の成人式からはもうすぐ10周年を迎えてしまうわけですが…あの振袖姿の時分は、まだフィンランドの地を踏んだことすらなく、まして自分が海外に出て行くなんてこれっぽっちも考えず、狭く深いアマオケ世界でビオラとバイトと恋愛と宴会にしかエネルギー投資法を知らなかった頃。私が本気で自分の内と外に眼差しを向けるようになったのは、二十歳を過ぎてから出会った先生方の授業や、その後の留学生活を経てからだった。二十歳の瞬間は、まだまだ井の中のティーンエイジャー蛙の延長。
とはいえ曲がりなりにも人生のとてもわかりやすい節目を迎えた二十歳の自分は、10年先=現在の私に対してそれなりになにか理想やイメージを掲げていたんだろうか。今も昔も、課題や抱負をまじめに捻出してやり遂げることに重きをおく性分じゃないし、申し訳ないが二十歳のとき誓いなんて今更思い出しようがない…。ともあれ今、あの頃の自分が想像だにしない場所でこれまた想像つかない暮らしをしていることだけは間違いないけれど。

愛する関西から遠く彼方に飛び出てしまったけど、それでもこうして毎日楽しく、人にも恵まれながら、健康に、同期たちとはちょっぴり違ったスタイルとペースでぼちぼち前進しつつ生きていることを知ったら、「ま、それならいいよ。お好きなように」と、あの時の自分からもオッケーがおりるはず。…いやいや、まだ当時の自分は一般的によしとされる既成のレール上を歩む人生の幻想にひどく縛られていたころだったから、大いに恨まれる可能性もあるな(笑)

10年前の今日の自分に対しては、形式的に「おめでとう」としか言えないけれど、その数年先のいくつかのきっかけからこわごわと少しずつ軌道変更を始めたことで、必然的に孤独や暗中模索の不安と闘いながらも、だんだん人生の無限の可能性に気づいて推進力を養っていく自分にこそ、今の私から精一杯の感謝とエールを送りたい。真の成人としてのスタートは、そのあたりからだったと今だからこそ思い返せる。

ayana@jyväskylä.fi


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外はいよいよマイナス20度突破!

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2013年07月30日

先輩っ子だったあのころ

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ただ今空港にてフライト待ちです。時間をちょっぴり勘違いしてて、まだそんなに忙しくない空港内でのんびりしたいい時間を過ごしてます。

昨日のことをちょっぴりと。昨日は、ポーランドで美学会の発表を終えた古巣・阪大美学チームから、2人の偉大な先輩がわざわざヘルシンキに立ち寄って遊びにきてくださいました。こうしてお会いするのは実に5年ぶりくらいです。その再会の場所がヘルシンキだなんて、なんとも嬉しいことじゃあないですか。

今でこそ世話焼きオカンを気取ってる私ですが、日本の大学院時代は、とにかく公私ともに頼れる素晴らしい先輩方(しかも文系のはずやのに8ー9割男性、しかも全員男前)に囲まれ、後輩としてぬくぬく甘えっぱなしの日々でした。教授陣も本当に尊敬できる良い先生方ばかりでしたが、いかんせん普段は厳しかったし(論文関連で何度ぼろぼろ泣かされたか…)私は「もう無理です!」オーラがどうも人に伝わりにくい(常にない余裕かましてヘラヘラしてる?)らしく雑務の押し付けられようが半端なかったので(笑)、その間に立つ先輩方にはそのたび温かい緩衝材となっていただき、大いに励まし助けられてなんとか修了することができました。いっぽうで、私はこの先輩方と一緒にいるともう、自分が明らかに研究者向きでないことや、彼らほど美学というものに力を注げないことを自覚せずにはいられず、なんとなく負い目も感じていました。わざわざ先輩がボランティアで開催してくださっていた自主輪講やフランス語読解講座もほとんど投げ出してしまって身につかずじまい、いっつも合同研究室で他所のゼミの人や事務員さんと雑談に明け暮れてるだけの不肖後輩。にも関わらず、自主勉強会以外の輪にもちゃんと居場所や役割を与えてくださった、才知だけでなく人徳ある先輩たちには、今でもただただ尊敬と感謝の念を抱いて心の中で崇め続けています。

今回遊びにきてくださったS先輩&Y先輩も、ときどき研究室や屋上で朝まで生討論などご一緒していた、ゼミの中でとりわけ異才を放つ強烈なお二人でした。なんといっても思考力が抜群で、知識量も語彙のレンジも半端なく、それを非真面目?な方向性にもちゃんと活かせる魅力的な先輩方。関西人同士のごく基本的なボケツッコミ問答モードにはいっても、ツッコミや反論のロジックが単調なだけで「おもんない奴の典型や」と一蹴されてしまう恐怖(苦笑)たんなる雑談までもが、非常に高尚であり、かつ超ばかばかしくオモシロイ…あのセンスとバランス感覚、たぶん私は一生たどり着けない境地であろう。。

しかも私が普段生業にすらしているはずのヘルシンキ観光でも、大聖堂内部のシンボリックなレリーフや祭壇画の意味から、ルーテル派の源流と歴史について、スオメンリンナの大砲のサイズと飛弾距離の予測、軍事史の光と影についてまで、事前に調べてきたわけでもなく現場を見渡しただけで次々何か見つけてスラスラ〜といくらでも語れてしまう、あの半端ない見識量。。。この圧倒される感覚そのものがただただ懐かしくて、こんなウォーキング世界百科たちに当たり前のように囲まれてた昔にもう一度戻りたいなあ…なんて気分にも。あ、でも、もう日本の修士課程には絶対戻りたいとは思わないですけどね(笑)

これだけ魅力的な方々でも、その肩書きと専門分野だけ強調されてはなかなか世間の風当たりがきついのが歯がゆい。先輩方の生き様に幸あれ、そう願って二人をのせたバスが空港に発つのをお見送りさせていただきました。

ayana@helsinki-vantaalentoasema.fi


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はやくスペインの美味しいものにたどり着きたい!!

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2013年07月10日

慈悲深いデザインに学ぶ

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本日もユヴァスキュラエリア案内のお仕事の続き。今季の夏の光のなかで見るのは2度めのセイナツァロの村役場、やっぱりここがアールト建築のなかで一番好き。戦後間もなくの貧しかった時期に、決して良質とはいえないレンガ材で、限られた小さな土地に、役場、図書館、お店、住居といった多目的な空間を調和させることが求められた、無名の小さな集落のコミュニティ施設。そんな数々の制約のなかで、すでに世界的に名を馳せていた売れっ子建築家が知恵と愛情を絞ってデザインしたこの建物には、他国から輸入した大理石をハデにつかいまくる後期の作品にはない、慎ましやかで慈悲深いまごころがこもっている気がしてなりません。

空間の巧みなまとめ方はすでに日本でも多くの建築家や訪問者たちが批評し文章化しているので、またここであえて挙げる間でもないですが、細かな部分ひとつひとつへのこだわり、というより使い手への労りが隙きなく形にされていて、毎度行くたびに新たな発見をして帰ってきます。

今日も議事堂に並ぶオリジナルデザインの机と椅子をなにげなく引いたり腰掛けたりしていて、新たに気がついた小さな労りポイントが。木製椅子の肘掛けの表面に、机の面と同じく適度に締まりのある皮が張られているのですが、肘が触れるところはもちろん、さらにアームレストのパーツが垂直に曲がっている、そのカーブの下ぐらいまで、なぜか皮のカバーは不自然に続いています(説明ベタで想像しにくいですね…)。ここまで腕や手が伸びることはないのになぜだろうと一瞬思いましたが、こうすることで、椅子を引き入れするときに、アームレストと机の足とがこすれたとしても皮がクッションとなって、音が立ったりカクンと木材同士ぶつかる嫌な感じを回避できる工夫だったのですね。これで静粛な議事の場でも不快音を響かせることもないわけです。

いろいろな制約や注文まみれのなかで、さしあたりそのすべてを満たす調和策を見出す、だけで終わるのではなく、その場所やクライアントに思い入れや愛情を注いで、対象者を常にイメージしながら細部まで思いやりぬいた作品に仕上げる。この建物のなかでアールトが実現していることは、これからも続く限り書きものを生業としてゆきたいと志すわたしにも、大切な姿勢をたくさん教えてくれる気がします。

ayana@jyväskylä.fi


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今日は実は寝違えた首をさすりながらの外出でした。。。苦笑

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2013年06月18日

怒涛/気づけば3年め

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嵐のような土砂降りの後、何事もなかったかのようにふたたび照り始めた太陽。夏至目前の、夜8時ごろの西の空です。

ああ、もうこの2,3日、すべてを放棄して泣きたくなるような日々が続いておりました。明後日からの取材旅行の撮影先が一向に確約できず(一度オッケーでてからドタキャン、が相次いで)、それでなくとも候補を見つけるだけでも一苦労のラップランドエリアで、ツテやネットを頼りどうにかこうにか目的に叶う人たちを見つけ出しては電話交渉して…。なにせこの日のために日本からカメラマンさんが来るので、予定に穴をあけるわけにはどうしても行かず、代わりに私の胃に穴があきそうでした…苦笑

ともあれ先ほど、ようやくすべての旅程がフィックスされました。思いがけないサプライズ予定も舞い込んできて、プランを見返してみるだけでなんだかもう、とびっきり濃密な夏至祭の週末がありありとイメージされます!!うわー楽しみ!明日資料整理とプランチェックをして、なんとかall about原稿もう一本出して、水曜の早朝からヘルシンキ→翌日からラップランド入りします。


そう、気づけば3年目突入、なんです。昨日付(6.16)で、大学院進学のためにフィンランドにやって来て。実際は過去に1年留学に来ているのでトータルで満3年といったところなんですが、周囲からは結構「え、まだそれだけだっけ?」とは言われます…(笑)とはいえ、ここから先の1年が、今後どこでどう自分の人生を描き、暮らしていくのか…その覚悟や決断のためにとても重要な年になるに違いない、と感じています。充実したその日その日を必死で積み上げていくだけでなく、視線をもう少し先に投げかけながら、実りある3年目にしてゆきたいです。いつも日本から見守ってくださっている皆さま、こちらでお世話になっている皆さま、いつも本当にありがとうございます。今後とも末永く、益々よろしくお願いいたします!

ayana@jyväskylä.fi


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応援クリックもいつも本当に有難うございます!!

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2013年06月09日

日々欠かせない時間

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昔から食器洗いと歯磨きしてる時間が異様に好きです。といってもその動作に集中しているというよりは、水回りに立ってこれらほどよく慣れた単調作業によって手を動かしながらだと、考えごとがとてもはかどるというのが理由です。もう起こったことを思い返すにも、新しいことを思いつくにも欠かせない時間で、かつ考え疲れるほどダラダラ続くわけでもない制限付きの時間。いつか生活がリッチになっても食洗機や電動歯ブラシはまあ要らないかな、って思ってます(笑)

ayana@jyväskylä.fi


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散歩いってきます


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2013年04月26日

コミュニケーションってなんだっけ。

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フィンランド人って、集団で何かするというときに、あるいは一対一でコミュニケーションをとるときに、実は日本人以上に「和」の概念を尊重している(しないとすぐ空気おかしくなる)気がする。もちろんその人の人格や価値観を否定するつもりではなく、ただ純粋に何かを追求するという目的のために本気で意見をぶつけあうことさえを極端に嫌う(雰囲気気まずくなるくらいならそこまで深く議論しなくてもよくない?みたいな)。ゼミでも、音楽でも。なんか最近、思うことがあっても「これ言ったら雰囲気悪くなるんだろうな」っていう心理で一歩引いてしまうことがすごく多くなった。その姿勢に学ぶところもあると信じて自分を当てはめようとしてるけど、これ、たんなる「生やさしさ」に甘んじてるんじゃないの?と懐疑的になってモヤモヤしてる自分もいる。

と、こうフェイスブックにこぼしたら、思いのほか在フィン日本人ウーマンたちからの反応・共感が大きく、何も私の身近なところや大学の「今時の若者」に限った話ではないのね、と、ひとつ見識を得たよう(笑)

なんとなくなんですが、わかる気がするんですよね、この雰囲気の出どころ。ぼんやりとした推測に過ぎませんが、「聞き上手」と「みんなちがって、みんないい」が教育指針となっているこの国ならではな気がしています。例えば、一人一人が自分の意見をはっきり言うことや、耳を傾け合うことはできるんですよ(まあ、もちろんそれも苦手な子だって見てきていますが…)。で、違和感を感じるのはその後なんです。

私としては、とりわけある同じ目的を持った集団(例えばゼミのグループワークとか、音楽のアンサンブルとか)や、友情なり恋愛なり、より深い関係を築いていきたいと思う誰かとの一対一のコミュニケーションのなかで、自分や人と違う意見がいろいろ出てきたときに、本心では「その違いにさらに互いにツッコミ(批判的視点)をいれつつ、折衷案やより深い視点を一緒に見つけ出す」ということに価値をおきたいと考えてしまうたちです。それこそコミュニケーションの面倒くささでありながら、何より重要な部分だと思うし。

でも、今周囲にいるフィンランド人達との輪では、なぜかいつもそこまで踏み込めない。互いの違いを認め合って、さあもう一歩踏み込んで深く事態を捉え直そう…という手前で、「うんうん、そういう考えもあるよね。いろんな意見があって面白いね。まあそれなら、今回はそれで。じゃ、この話はここまで」って、既に出てきた意見のどれかにさっと身を寄せて、その後はさーーっと引かれてしまうことが極めて多いんです。なんか、私としては、いつも拍子抜けというか、軽くショック受けることすらあって。。え、ここからじゃないの?違う意見をもってるんだから、もう少し主張しあったり、歩み寄ったり、すり合わせたりしながら、一緒に深みを目指していくんじゃないの?って。

いろいろな授業での課題やディスカッションでも、「これもアリ」「あれもアリ」とあまりに個々の観点や成果がフリーダムすぎて、それらを互いに深く批判しあうとか擦り合わせるとかいったところまで及ばずに、バラエティの豊かさだけに満足して終了、というシーンが結構あります。とりわけ私は日本での研究室時代「褒め1パーセント駄目だし99パーセント」の環境で心身鍛えられてきてしまったので(苦笑)、今でも自分を確実に成長させてくれるのは、褒め言葉より他者の観点や批判的意見なんです。「あなたはそれでいいのよ」モードで納めにかかられると、返って懐疑心をいただいてしまうようなひねくれ者?なもので…


そしてどうもその背景には、冒頭に書いたように、「互いの雰囲気が気まずくなるくらいならそこまで深く議論しなくてもいいでしょ」という防御反応がくすぶっている気がする。私は意見の主張によってあなたを傷つけたくないし、自分が傷つきたくもないの。わかるでしょ?というような…。あともうひとつ、「いくらいずれ面白い境地にたどり着けるかもしれないとしても、必要以上に時間をかけるのだけはごめん」という感覚(笑)

もちろんこのスタンスって、人付き合いを確実に円滑に穏便におさめることができるし、自分の時間が侵されないし、衝突の痛みを回避するためにはとても理にかなった賢いコミュニケーション能力のような気がする。そのことに、語学やらなんやら不安だらけの当初の私はたくさん救われることもあったし、自分という個を尊重してもらっているのだとありがたく思っていました。

でもだんだん、生活のなかで真剣に何かに取り組むほど「結局は個」という発想だけでは満足に切り抜けられないシーンというのも、最近とくに増えてきた気がします。

マルかバツか、のセンター試験的な発想が実社会でまかり通らないことは、もちろんもう誰だって知ってる。世の中白黒つけられることなんてそうないし、個々の数だけ考えや価値観があるのだから「誰もが満足する」とか「心からわかりあえる」なんて聞こえはいいけど実現は極めて困難なこと。それでも、日々のなかで、対峙している人との間になにかの相違が顕在化したときに、ある程度の衝突もなしに「あなたはそういう人なのね。面白いこと考えるね」だけで「事なかれ」と済まされるシーンばかりだと、単純に味気なく、なんか虚しい。面倒でも、多少傷ついてでも、異質な存在同士でのコンテクストの摺り合わせに腐心してみること。それがコミュニケーションじゃなかったかしら、と首をひねってしまう。

なんだか取り留めがなくなって来ましたが、とにかく最近この手のことでもやっとすることばかりが続いたので、事象の整理がてら書いてみました。
以上の長文乱筆の趣旨を一言で言い表すならば、「生ぬるい」のです、最近なにもかも。

ayana@jyväskylä.fi


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そんなわけで、あれこれ考えあぐねて不満も残ったままだった本日提出の課題の出来も、「素晴らしかったわ」の一言で無事に片付けられました。




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2013年04月10日

みずから得にゆく情報か、待っててもやって来る情報か

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突然ですが、ここどこだと思いますか?ビジネスホテルの個室には及ばずとも、ユースホステルの個室…くらいの価値はありそうでしょう??
実はココ、大学のメイン図書館にある「lepohuone(休憩室)」であります。…が見ての通り、公共施設での「休憩」のイメージを大幅に超えた、もはや「仮眠室」(笑)大学の個々の研究室にはこういう仮眠ベッドが用意されているところも多いですが、一般の人も利用可能な総合図書館に、管理人さんに声かけるだけでほいほい〜と開けてくれて、しかも一人あたり無制限で使って良いという密室の仮眠室って、いろんな意味で日本では考えにくい設備ですよねえ。だって、誰しも頭に浮かぶだろうからあえて堂々と代弁しますけど、ここをラブホとして利用することだって、まあ不可能じゃないわけですからね(あ、シャワーはないですが。。。)

最近睡眠不足が重なっているので、夕方始まりの授業までの小一時間、始めてここを借りて熟睡させていただきました。なんとなく学校の保健室のベッドが思い出される心地でした(笑)


さて本題ですが、今日たまたまツイッターのフォロワーさんがリンクを貼っていた、このページに書かれたやりとりを一読しました。日本にいた時から、オードリー若林さんの賢さというのか「ひと味違う感」にはおおおと一目置いていましたが(余談ですが東京での住まいは春日さんちの近くでしたw)、ここでの論点や視点も「冴えている」というのとはちょっと違うけど、なるほど確かにという妙な説得力が漂ってますよね。twitterで「炎上」の着火剤となる人たちについては、私自身は正直いってこれまで「関わりがなかった」ので、必然的にその心理について関心を持ったことすらありません。でもこんな影響力のある人達はみなさん、身を持ってその不条理さと向き合ったり戦ったり、自分を納得させる方法を必死で考えているのだろうなと察します。

ただ、私自身がこの書き起こしを読んで着目したのは、実はその下りではありません。

「…現象として不思議だから、なんでなのか知りたかったの…それで、いろんな本を読んだのね。新書のコーナーが好きで、タイトルをダーッて読んでいくと、まさに今知りたいってことがタイトルでドンってくるときがあって」

「ツイッター関連の本も読んでみたり、『「上から目線」の時代』とかも読んでみたんだけど、どれもこれも答えがしっくりこないの…俺は5冊くらいタイトル買いして、50ページくらい読んでつまんなかったら捨てる、っていうのを繰り返してて…この間、本屋に行って、まさにっていうタイトルをみつけて…」

という話をしている部分。
ある不条理な命題にモヤモヤ、イライラを抱えた若林さんが、自分の心を納得させ、沈めるための解決策として「本屋に行って、自分の言葉にならない感情を言葉にしてくれている本に出会いに行く」という手段に乗り出していること。なぜかこのやり方に、心から拍手賛辞を送りたい気分になりました。

実はつい最近、私自身もこの手法に救いを求める傾向にあった(実際救われた、と思う)ので、妙に共感してしまったのです。ただ自分ではその行為自体をメタ的に捉えたりはしていなかったから(あくまで自分の不安やモヤモヤを解消させるのに必死だった)、ああそういうことか、と他者のフリみて初めて自分自身でも気づいたというか。

つまりこういう感じです。
心のなかに、原因も解決法もわからないモヤモヤがある。漠然と自分自身でも「こういうことだろう」という推測や予感はあるけど、確信はもちろんない。うまく言葉にならない。
先人は、プロフェッショナルは、自分の尊敬する人は、こういうときどう考えるのだろう。この状況をどう分析し、乗り越えるのだろう…と確かめたくなって、とにかく片っ端から、脈のありそうな書物なり人物との対話にあたる。
けれどその「脈」は、(タイトルや雰囲気など)ぱっと見で簡単に当たりそうで、なかなかびしっと当たることはない。でも、しつこく手当たり次第、予感のするものを読みあさったり探し求めていたら、ある日ある時ある箇所で、ストーンと自分の「腑に落ちる」考え方なりフレーズに出会える瞬間が巡ってきて、なんだかほっとして一気に成仏できるような…そんな感覚に包まれるという結末。

私は若林さんのようにお金持ちではないから、本を何冊もかっては「無意味なら即読み捨てる」なんてリスキーなことはできないけど(笑)、ある意味とても理想的な人生の姿勢です。特にこういうとき、もちろん他者から直にもらえるアドバイスや意見というのも有益なことは多々ありますが、活字としてすでに書き起こされた文章や一節から「これだ!」というフレーズに遭遇した時の、あの心のときめきと安心感は、時に肉声のパワーを上回る気がするんです。

そもそも「そういう考え方/言い方があったか!」という感動が得られる瞬間ってのは、何もその著者がまったく誰の思考回路でも及ばないような斬新で素晴らしい考え方を提唱しているというわけではなくて、むしろその言葉が私たちの「もやもや」と共鳴する…からこそ、心に響くのではないでしょうか。つまり、私もどこかでそういう考え方をしつつあったのだけど(あるいは漠然とした感じ方止まりだったり)、ここまで鮮やかで明快な言葉(考え)としてアウトプットする能力はなかった、ただそれだけのこと。だから、そういう不器用な自分と共鳴する文章に出会ってびびっと来た瞬間は、いつも「よく言ってくれた!」「そう、そうなんだよね!」という気持ちに満たされて安堵したりドキドキしたりできるのです。そしてたぶん、この感覚に救われるというのは、たまたま以前この日記で書いたように、言葉という形を与えられたアイデアと、言葉にならない自分の心のなかのモヤモヤとが、「エンパシー」でつながったから、じゃないかと思っています。

「自分の目、耳、肌、心でつかまえたものを、借りものではない自分の言葉でわかりやすく伝えること」

「わたしにしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということだけ」

これは、私が物書きとしてずっとバイブルにしている辰濃和男さんの書いた『文章のみがき方』のなかに出てくる文章ですが、私がこの本をバイブルのように感じているのは、まさに私がぼんやりと普段感じている(けどあえて言葉として組み立てたことのなかった)ことすべてが、見事にわかりやすい簡潔な言葉としてアウトプットされているからです。そして、上の引用文の指南が生かされた文章を書くことが「書き手」としての私の目標ですし、こういう文章に出会うことが「読み手(あるいは一弱き人間)」としての私の無常の喜びであり救いです。


で、ここからちょっと話はそれるのですが、こんなご時世なので、今や自分の活動の認知度を上げたりみずから情報収集したりするために、twitterやfacebookの運用はもう欠かせませんよね。悲しきかな。みんな、とにかく「おっ」と思った情報(リンク)に飛びついて、安易にばらまく(リツイートする)。情報の拡散は、もちろん時にありがたいことです。それだけで単純にアクセス数だってぐっと変わってくるのですから。

でも、皆さん、近ごろこうやって受け身姿勢でいても十分量「どっかからまわってくる」情報だけで満足してませんか?自分がフォローする人やコミュニティというのは、当然自分が関心があったり共感することの多いジャンルや人柄なのだろうから、その人達が推奨するリンク先だけ毎日目を通していれば、欲しい情報ばかりがそれなりにすんなり入手できるのも当然です。
そして最近はみんながみんな、あっちこっちでいろんなリンクを進めていて、あるいはスレッド上でなにか主張していて、正直それを全部追っていくだけでも膨大な読書(?)量でしょう。時間がかかるぶん、もちろんそれ相当に得るものも多いでしょうから、きっとその日SNS上から得た情報だけで十分満足し、今日も知識や人生が豊かになったなあ〜と実感している人は少なくないはずです。

そんなご時世、この若林さん流「モヤモヤ解決強硬手段」に共感できる人って、そんなに多くはないのかな、という気がします。誰かに問いたいこと、どうしても知りたいことがあったらまず本屋に行くんじゃなくてYahoo知恵袋に書きこむ人のほうがおおいのでは?(笑)

「当たり外れ」の苦いプロセスも含めて、それでもみずから求めている情報(救い)に向かって体当たりしていく姿勢、非効率かもしれないけど、どんな時代に暮らすにしても軽視してはいけない気がしています。そのもどかしい過程で思いもよらぬ新しい世界と出会って開眼することだってあるかもしれないし、ストンと腑に落ちた瞬間、その出会いに感謝できるだけじゃなく、出会いのために奔走した自分自身にもちょっぴり誇りが持てるから。

私自身も、今までもこれからも、誰かがなにかのきっかけで見つけて読んでくれて、私の文章との出会いに感謝してくれる…そんな書き手でありたいという願いをこめつつ、毎日せっせと駄文量産中でございます。

ayana@jyväskylä.fi


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久々の長文にお付き合いいただきありがとうございました。



posted by こばやし あやな at 06:58| Comment(0) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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