2017年05月08日

わたしの道程

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前回の日記からの間に日本に一時帰国し、そしてフィンランドに帰ってきました。
日程的には、関西や関東ではぎりぎり桜も散ってしまっているか…というタイミングでの帰国で半ば諦めつつも、今年は桜前線の到来が例年より遅い…と報じられていたので期待も残していたのですが、帰り着いたら、地元神戸はまさに今がピークといったベストタイミング。こうしてめでたく6年ぶりの(日本の)桜を拝むことができたのでした。さらにその後も、北は函館、南は和歌山と今回もかなり日本をあっちこっちしていたのですが、函館についたときは桜前線を完全に追い抜かしてしまって、五稜郭もまだ蕾の膨らむ華奢な並木しか見られず、いっぽう帰国旅行の最後(4月末)に夫と両親と訪れた高野山では、緯度は神戸より低くともさすが標高が高いだけあり、これまた散り際の桜に再会することができたのでした。海外移住してからこの歳にしてようやく初めて訪れた鎌倉も、場所によってはまだ艶やかな桜色に包まれておりお見事。

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フィンランドに暮らし始め、毎年フェイスブックのタイムライン上だけでお花見をするようになって、「日本は四季四季言いながらも桜シーズンだけに注力しすぎじゃないか」と目を細めたくなるときもありましたが、結局そんなのやっぱりただのヒガミでしたね(笑)美しいものは美しい。桜色がちらっとでも視界に映るだけで、そこの風景や人物の佇まいすべてが美しく愛おしく見えるんだな、ということをしばらくぶりにに認識できました。

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今回は、日本滞在の合間にソウルにも少し遠出をしてきました。夫の留学時代の友達の再会と旨いものと公衆浴場を目当てに、そしてそのいずれも十二分に満たされる旅となりました。写真もたくさんあるのでここで振り返ろうかとも思いましたが、おかんFBのほうにも逐次ミニレポートはしていたし、日本旅行だけでももう随分遠く後ろに感じてしまっている今、韓国旅行の思い出までプレイバックしたいという気分でも今はないので、文面上は「キムチは地面に置いて売られていた」「チヂミは浅瀬の油の海で”揚げる”ものだった」「韓国にもムスタマッカラ(血色混じりの豚の腸に米やらを詰めて作ったソーセージ)が存在した(しかもめちゃくちゃ旨くてマッコリが進む)」という食卓報告に留めておきます(笑)
FB未公開の韓国風景写真は以下ちょこちょこ文中(本分とは関係なく)に挟んでいきますよ!

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さて、今回の一時帰国が実現したのはそもそも、夫の勤務する日本の会社が今年70周年ということで大規模な祝賀会が催され、全国の社員、どころか国外の社員とその家族までどんと招待してくれたから、でありました。夫はその後一週間本社出勤もあったので、その間に私は国内旅行をしたり、懐かしい人に再会したり、それから都内と大阪それぞれで講演/トークつき食事会イベントのスピーカーを務めたりしてきました。

韓国も含めて3週間くらいあっちに滞在したことになるのですが、実は私にとって今回のこの非日常は「慰安旅行」みたいなものでした。2つ前くらいの年の瀬の日記で、そのときの私は手がけていたとある仕事が解決していなくて、これが終わったときにようやく2017年を迎える心地になれるはず、と綴っていました。けれど、最後までいろいろあり、というか最後がとうとう来ないまま、あの一件は「未解決、一時保留」という烙印を押されたまま今現在に至ります。振り返って、もちろん私がコーディネーターとして実力不足だったゆえ、という部分もあったと思うのですが、今回に関してはそれもこれも、この件に関わったあらゆる立場の誰もかもが「前代未聞」と言葉を失う事件に巻き込まれてしまったというのが実際のところで、その前で誰もが必死に全力を尽くしたけれど、誰もが無力でどうしようもないまま、いつまでたっても光の差すV字回復点に到達しないまま、ずるずると底なし沼に足を取られ続けるしかありませんでした。悲しきかな、今もまだその淀んだ流砂のなかをもがく気力もなく漂っている心地から解放されてはいません。

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2月ごろまではとにかく持ち場での事態好転への努力に必死だったので、その状況や自分の心を憂慮する余裕すら忘れていましたが、結局その後、為す術ない無重力空間に出されてしまったあとは、ただただ空虚さに絆されると同時に、今の自分の職業とそこに従事するための適性や能力の、ある種の限界や負の側面をどさっと机に山積みにされた状態で、さあそれで私は今後人生どうするの?どうあれば満足なの?…という問いかけについて何か答えを求めようとする厄介な思考モードの日々に苦しむことになりました。

この自問自答は、今回の騒動が引き金になったのは否めませんが、でも昨年後半くらいから、なんとなく予兆はあり、心をくすぶっていた案件ではありました。なんで最近そういう思いにとらわれがちなのか、思い当たるファクターはあります。要はフィンランドに移住してきてこれまで、目の前のやるべきこと(次の仕事プロジェクトとか)のもう少し先の視界に、一応常になんらかのもう少し大きく普遍的な目標(論文を完成するとか、卒業するとか、起業するといった)が常に見えていて、それが道標となって自分をここまで誘導してくれていました。ところが論文も書き終わり、大学院卒業も果たし、自分の事業拠点も持ててそれなりに生活に困らないくらいに自活できるようになった今、さて次はどっちの方角を目指そうか、という点に答えが見つからないのです。

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コーディネーター/通訳翻訳者という仕事は、そのプロジェクトひとつひとつはすごく楽しくて、やりがいがあって、そのたびに真新しい知識も経験も人間関係も生まれるし、とりわけ、こんな仕事でもしていなければ絶対出会わないような世界の人と、互いの専門技術をすりあわせて何かを作り出したり一緒に考えたりできるという役得からは、いつもいつも大きな喜びをいただけます。生活時間もフレキシブルにコントロールできるし、反りの合わない上司や同僚とどうにか付き合っていくストレスもないし、自分の性格を鑑みても天職と呼ぶべき仕事だという自覚はもちろんあります。それなのに、どうしてまだ私は悶々としているのか、どうあれば迷いなく現状を積み重ねていけるのか、「心」というものの身勝手さに我ながら嫌気もさしてきます(←これぞ負のスパイラル!)。

ここまでの実感としてコーディネーターは、良くも悪くも所詮、誰かと誰かのコミュニーションのためのただの潤滑油です。そこでドライビングセンスは求められても、私自身がルート決定を行なうことはありえません。ただただ、誰かの考えたアイディアや筋書きが納得の形で実現しますように、毎度そう強く願って、舞い込んできた仕事をひとつひとつ、必殺仕事人のようにこなし続けていきます。でもこれを延々続けることで、私の人生やキャリアはどこかの方向に向かってゆくだろうか。現場は毎回あまりにさまざま。そもそも、ひとつひとつの案件の積み重ねという行為によって、私はどこかの道を歩けているといえるのだろうか。ちぐはぐに、ダンスフロアでトランス状態になってステップを踏み続けているだけじゃないのか。

でもかといって、自分から進んでやりたいこと、進みたい道があるのかといえば、正直今はそういうものすら思い当たらない。昔はもうちょっとこの仕事に対してもプライベートに対しても「あんなことがやってみたい、こんなことに取り組んでみたい」といった呑気な理想や夢をもっていたはずなのに、今はそれらに対してすら自己満足とか安定志向以上の意義が見いだせず、ならばまだ安易に手を出すべきでないとまず考えてしまう。

こんな不安と不満の数々が、最近の私の穏やかとはいえない心の鎖をつくってしまっているようです。

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とにかく、そういう心の低気圧を何かしら晴らしてくれるきっかけが見つかればいいな、と、仕事の手を緩めて母国に戻りました。自分の心に前向きでクリエイティブなモチベーションを生み出すために、何か新しいものごとや新しい人に出会うことをテーマにきびきび動いたほうがよいのかな、とも考えましたが、やっぱり今回はこれ以上疲れないことを第一に、むしろ「フィンランドに移住してから今までの自分」をじっくり振り返れるように。そう思って、締め切り仕事や夏の仕事の打ち合わせを数件こなした以外は、新しい出会いや先のことを考える時間は極力避けて、おもに移住してからの私を見知る人たちとの再会や、これまで達成してきたことを他者に語って自己整理することに注力しました。特に都内では、これまで大学やお仕事でご一緒させていただいた方との再会ラッシュで、過去の思い出を語り合う時間は、なんだかうっとりするほどキラキラしていました。とくに他者の視点から、私が覚えていなかったこと、同じ場に居合わせていたはずなのに事態を違う見方をしていたようなことについての話がこぼれるとすごく楽しくって、その人と思い出に対する愛着がいっそう深まる感じがします。

またありがたいことに、東京都と大阪でお声掛けいただき実現した講演(トーク)の場でも、テーマはいずれも私のフィンランドでの論文執筆活動(大学院生活)、そして仕事生活についてでした。今回初めて、自分のトーク一本に対して、そこそこの額を払ってでも来てくださる来場者を各地で募ることになり、(いかんせん絶賛ネガティブモード中だったので)こんな私のしゃべくりごときに人が集まってくださるかどうかは正直かなり不安がありました。けれど蓋を開けてみれば、どちらもまさかの会場定員超えの盛況ぶりでした。会場では、あれ、私ってなにかの表舞台サイドの人間だっけ?とたじろいでしまうほど、これまでの私の活動をブログやFBなどを通して見守ってくださっている方からの挨拶や激励やファン宣言(笑)をいただき、そして私がこれまで文章で発信してきた現地情報が役に立ちましたという感謝の声を直接届けてくださりました。さらにまた新たに私のこれまでの業績に興味を持ってくださった方との議論も生まれました。いろんな場所で、思いがけず、私がその場その場で成し遂げてきたことに対して、日本語でたくさんの「ありがとう」をいただきました。

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結局、直接的に心の悩みをだれかに打ち明けてアドバイスをもらう、という機会はまったくありませんでした。でも、今回お会いした方々との交流を通して強く実感したことがあります。終わった過去を振り返ることは、未来を模索するときにおいてもまったく無意味ではないということ。むしろ、実はどう頑張っても推測の域を超えることのない未来のことを語るより、その瞬間を共有した人と過去のことを話しているときが、実は人生で1番幸せな瞬間だということ。

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る

小学校の卒業式の最後のクラス会で担任の先生が語りかけてくれた高村光太郎の有名な詩「道程」の最初の一節に、作者の意図するニュアンスとは違うかもしれないけれどこんなにも実感ともなって深くうなずける日が来ようとは、常に先を追いかけていた今までは考えもしませんでした。

人生どういう動き方をしていても、ふと足元を振り返れば、ちゃんと一本の道筋が見えているものなんだなあと。それはつまるところ時間軸そのもので、その道中道中に、いつかの思い出の数々が点々と置き去りにされている。思い出は記憶という空間上のあっちこっちに散乱しているようで、実は時間軸という一本の道筋の上にしか見当たらない。だから、ときどき立ち寄りたいと思えば迷わずそこに向かえるし、そこから今ここに戻ってくるための道筋を見失うこともない。人生は未来を切り開いてゆく作業というよりは、あとで思い出して幸せな気持ちに浸れる過去を作り続けていく作業なのかな、と今はぼんやり考えています。少なくともそう考えることで、これまで自分の心を締めていた鎖がふいに少し緩んでくれた気がします。

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もうひとつ、帰国してから新たに取り組み始めて(少なくとも、心がけ始めて)いることがあります。それは何か、日々の「習慣」を生み出すこと。もともと「日々変化&非日常」を愛するゆえこんな仕事をやっているわけで、機動力や臨機応変対応力はあるほうなんですが、反面、すぐに変化や成果が実感できないなにかをコツコツ継続するということが絶望的に苦手な私。毎日起床・就寝時間が違っていても全然平気だし、今日が昨日と違うほど安心する(笑)人生で唯一まともに地味な努力を続けることが出来たことって、ビオラの基礎練くらいかなあ…。それも今となっては毎日楽器に触れるわけですらないし。

ところがすぐ身近に、そんな私の性分の真逆を行くミッコというフィンランド人がおりまして、彼は朝5時台に起床して1時間ジョギングして、決めた数の新出漢字を覚えて、出勤表も監視する上司もないのにほぼ同じ時間に仕事を始め&切り上げて、夕方はどれかの武道か格闘技のトレーニングに行き、決めた量の筋トレをこなし、余裕があれば暗い部屋にこもってメディテーションし、9時にはベッドに入って1時間読書して、10時完全照灯…の繰り返しにこそ生きがいと喜びを感じている人間です。あと一度決めたことを長続きさせる意思の硬さがハンパなく、例えば今月は甘いもの食べないと決めたら、私が横でどんな美味しそうなケーキやアイス食べてても、びくともしない平常モード(帰省中、ミッコの横で私が気にせず甘味を食べるようすを母が不憫に思って、私に他の部屋行って食べろと忠告するのに対し、「いいんです。アヤナさんの幸せは僕の幸せなんで。」というパーフェクト回答を笑顔で繰り出す菩薩キャラ!)。長年、もうどれひとつとっても私は真似できなければ共感すら不可能、と思ってたし、互いの生活習慣の相違はもうそういうものと割り切って、互いに干渉や妥協することなくここまで同じ屋根の下で共存してきました(笑)

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当然ながら、私は、その「変化を最小限に抑えた日常」の先にどんな達成感や喜びがあるのか知りません。自分とは一生無縁の世界だと決めつけ、今まで知ろうともしりませんでした。でも、帰国後ふと、ちょっとだけ真似してみようかな、という気が起きてしまったのは、なぜだろう(笑)こんな身近にある最強の非日常に興味が湧いたから?日本にいる間に聴く機会を得たマッキーこと槇原敬之さんのコンサートで、いろんなライフソングを聴いてチャレンジ精神が刺激されたから??なにか自分の心持ちを変えるきっかけになりそうな予感がしたから???

ともかく、無理のない&楽しめる範囲で、「今日もまたこれをやった/気を配れた」という実感が伴いそうなことを見つけては、こつこつ続けて味わってみることにしました。幸か不幸か時差ボケ&白夜まっしぐらの季節のお陰で、目覚ましをかけずともいまだ朝5時にはぱっちり目が醒めるので、これを起点にして、今のところ、

●起きたら1時間のジョギングに出る。
●そのあと朝サウナ。
●少なくとも家の中では甘いものは食べない。
●買い出しでは多少高くても質の良いほうの食材を選ぶ
●寝る前にミッコがメニュー化したストレッチと、歯磨きを各5分ずつ丁寧にやる。

の5項目を実践し始めて、今日でやっとこさ5日めになります。正直ジョギングなんて最初の1日でギブアップすると自分で思っていた(し夫も想像してたらしい)…のに、やり始めたら、なんかすごく楽しい(笑)朝日を浴びて、好きな音楽を耳にしながら森や湖畔を走るのが超気持ちよくて、そのあと間髪入れず入る朝サウナの気持ちよさがまた格別で!
あと、どんなささいなことであれ「私は今日もこれをやれた」という実感を反芻することは、過去のハイライトな出来事を誰かと思い出してウキウキニヤニヤするのと同じくらい、自己肯定感を生む行為なんだな、ということが少しずつわかってきました。その心地を心に宿すことで、日中何か他のことをやるとき、考えるときにも、不思議とポジティブでいられるんですよね。今はまだ、これらの実践の積み重ねによってじわじわ何らかの効果・成果が感じられる…という段階ではないけれども、それでも、心には新鮮な風が吹き始めている。そもそもこれもまた、自分が歩み築いてきた過去のリスペクトのひとつのかたちなんだ。

ネットで読んだとある研究報告によると、人が何か新しい行為…特に身体運動に関わることを新習慣にしようと始めた時、それが無意識に着手できるくらい日常行為として定着する=習慣化するには、平均して66日かかるそうです(笑)66日も毎朝毎朝走り続けていられるかな…来週また寒くなるらしいしな…苦笑。あるいは、どこかで挫折したとき、一気に自己否定感に苛まれて気落ちするなんてことはないだろうか…とか。まだまだその辺は未知の世界です。でも、とりあえず「無理ない範囲で」をモットーに、まずは明日また、今日と同じスニーカーに足を通せるように。


そんなこんなで、いまさらだけど、2017年の目標をここに。

積み重ねてきた過去を大切に。新しい経験や前に進むことだけに囚われずに。

せっかく、今はそういうタイミングなんだと、時と環境が教えてくれたのだから。

ayana@jyväskylä.fi


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帰国後、めずらしくJ-popばっかり聞いてる笑
posted by こばやし あやな at 01:54| Comment(1) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月02日

2016年を振り返って

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もう今やこうしてすっかり、ブログという媒体が、単なる節目節目の挨拶&近況総まとめのためだけに更新される場になってしまいました…。昔は一体どれだけ時間が有り余ってて、どういうモチベーションで毎日あんな長文を綴り続けていたのか、私事ながらもはや不思議でなりません(苦笑)

24時間ほど前に、新しい一年が始まりました。
いつもは新年最初のブログなどには賀状がわりのメッセージ写真を載せていたのですが、喪中につき、今年は新年の挨拶を控えさせていただきますね。

それから例年、年末にはその年の業務実績なども一覧でご報告させていただいていましたが、先ほど、数ヶ月更新が滞っていたウェブページのworks欄を一気に更新したことですっかり力が果ててしまったので、よろしければそちらを覗いてやってください。ブログのサイドバーの「最近のお仕事」コンテンツも、そのうち気が向いたら更新しますので…。

そんなわけで、年は切り替わってしまったけれど、2016年のことをざっと総括して、それから今の自分の、例年の年末年始とはなにか違う心境なども少し内省して、それでまた次気が向くときまで、あるいは報告が必要そうなことが起きるまで、気兼ねなくブログから遠のかせていただきます(笑)


私にとっての2016年は、5年前にスタートしたフィンランド移住生活の「第一章」がひとまず完結し、そのまま第二章へと突入した、わかりやすい節目の年でした。第一章というのはもちろん、学生生活の期間にあたります。突然渡ってきたフィンランドという国でコーディネーションや翻訳通訳の仕事を与えてもらえるようになるために、まずはフィンランド語で論文を1本書き、学位を修める。これが、フィンランド移住時の最初に自分に課した目標でした。よき縁とタイミングが重なって、結果的にはありがたくも学生生活のうちからやりがいのあるお仕事に恵まれたのですが、そのぶんずるずると先送りしてしまった卒業。いざ、と2015年後半からお仕事を減らして集中的に学業に取り組み始めたものの、単位を揃えて論文を仕上げる作業は、過去の日記にも書いたとおり、予想を超えて辛く苦しいものでした…。

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一章の終わりには卒業式の総代選出というこれまた予想を越えたエピローグも待っていたわけですが、学生という肩書をおろし自営業者としての出発からが、移住生活第二章です。自営業者というより、前回も書いたように良き納税者としての、と言うほうがふさわしいのかな。これまで学費無料のうえ安い住居を提供してもらって奨学金や住居手当まで受給…と、とことん学生としての恩恵に預かり続けたぶん、今度はどんなかたちであれしっかり稼いでしっかり税金を納めて、移民という肩書に甘えずにフィンランド社会に貢献していきたい、という気持ちが、第二章の始まりのときに最も強い核をなしていました。今ももちろんその気持ちは変わらずあるのですが、容赦なく稼ぎから吸い取られてゆくもろもろの税金・年金の額を見るたび、ため息がもれてしまうのもまた現実です(笑)

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お仕事に関しては、学生と二足わらじでやっていたときのように、「何事も経験、どんな仕事でもやります!」というスタンスや業務内容からは大きくステップアップできたなと思っています。自分の知識や能力、得意分野を必要としてもらえるプロジェクトへのお声掛けが明らかに増えたし、自分自身でも、本当にやりたい仕事かどうか、今経験しておくべき仕事かどうか、対価は適正か…などの観点から選ぶゆとりや断る度胸がついてきました。自分が選んだことは、不思議なもので必ず次に自分のもとに来る人や依頼に関わってくるのです。この職業、そうはいっても受け身が基本で、日頃は誰かがフィンランドに目を向けてお話しを持ち込んでくださるのを待つばかりなのですが、とえいえ、日々の時間の使い方の自由度だけでなく、仕事内容に対してもある程度セルフコントロールを楽しんでこそ自営業者人生ではないかと。次を引き寄せるために、仕事を選ぶ、そしてきちんと成果を出す、というよいサイクルを作っていくことが大事と実感できた1年目でした。


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プライベートでは、あちこち旅行に行けたのが嬉しかった。なにせ一昨年までは学生生活ありきで、日本へ帰省するにせよ旅行するにせよ、季節や期間、そして予算にかなり制限があったので…。紅葉の季節の日本を歩いたのも丸6年ぶりだったし、夫婦水入らずでの東欧旅行、そして何と言っても、事前情報が少なかったぶんだけ収穫の多かったジョージア旅行。カウントしてみたら、なんだかんだ丸二ヶ月ぶんくらいはフィンランド国外で過ごしていたことになるけど、今年以降もこれくらいの割合で国外滞在率を保ちたいものです。やっぱりフィンランドはちょっぴり退屈な国だから(笑)

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あと、2016年はまれに見るキノコの豊作年だった!!これがパランデル家の明るい話題堂々一位でしたね(笑)いやーほんと良く採って採って採りまくった。おかげさまで、今日頂いただいたお雑煮も、

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冷凍保存してあった天然松茸で出汁を取ったお澄ましヴァージョンでした(笑)おせちもとことんキノコメニュー。キノコだけはなぜか毎年の収穫量が違いすぎて、シーズンが来るまでどんな年になるかまったく読めません。昨年ほどまでは望めなくとも、また松茸やシメジや珍種にも出会えてときめく季節になりますように。


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最後に、 2017年元旦の今、私の境遇と感じていることを少し書き留めておきたいです。
正直にいうと、この年明けが節目だの新しい年の始まりだの、という清々しい気分では迎えられていません。どちらかというと、今すごく落ち込んでいるというか焦っているというか…とにかく胸中まったく穏やかではないです。それは、昨年末からコーディネーターとして関わっているプロジェクトが、運が良すぎるのか悪すぎるのか前代未聞の事態と衝突し、いまだ五里霧中の状態にあること。この目で見て肌で感じることとなった現実が、あまりに衝撃的でショッキングだったこと。そして、とにもかくにも乗りかかった船、完遂せずには解放されないプレッシャーや疲労との闘いが主因です。

だからもうこれは、人生における「例外の仕事」だと位置づけるようにしています。もしこんなことが延々繰り返されるのなら、私は潔く現地コーディネーターという仕事を辞めるだろう。でも、後にも先にもこんなタイプの苦労や困難はまあないだろうし、ここまで緊迫したり不安になったり既存の価値観や判断力を揺らがせながら仕事に取り組む、ということだって、他でもないフィンランドでコーディネート業を続ける限り二度とない(…と信じたい!)。

決して投げやりなのではなくもろもろの意思と覚悟をこめて、「終わらせる」。これを2017年の目標の一つ目に掲げたいと思います。泣いても笑ってもあと一ヶ月。それ以降の豊富や過ごし方は、とにかくこえを終わらせてからじっくり向き合います。

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本年もどうぞよろしくお願いいたします。

posted by こばやし あやな at 08:58| Comment(0) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月19日

終わりと始まりを迎えた春

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なんと、湖畔会議ブログをぱったり書かなくなってしまって、はや四ヶ月あまり…。
お久しぶりです、Suomiのおかんです。この数ヶ月、活動報告や日常便りの場がすっかりFacebook公式サイトのほうに移ってしまったというだけで、パソコンに向かえないような重大事件があったわけでも健康を損なったわけでもありません。

弁明ばかりも心苦しいので、ざっとダイジェストで、この数ヶ月私の身にどんなことが起きていたのかをさらってみたいと思います。

■2月
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・北の方へちょこちょこ出張。つるつるに凍結した路上を移動中ヘラジカ3頭に遭遇するなど。
・TOKYO FMさんの「コスモアースコンシャスアクト 未来へのタカラモノ」という朝の番組に一週間連続出演をさせていただいた。
・スキーW杯の国内大会を観客としてハシゴ。久々に土屋ホームの皆さんと再会。
・Maturiteeti(修士号取得のための最終判定e試験)に合格

■3月
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・9日づけでユヴァスキュラ大学文学研究科(修士課程)修了。
・雑誌JAPAN CLASSでのコラム連載開始。
・第一回ヘルシンキサウナデーに参加。夫婦でヘルシンギン・サノマット紙にインタビュー受け、サウナ・マイスター(修士号にかけて)という肩書を作られてしまう。
・32歳になりました。
・移住5年目にして初めて、そして3月終わりにして初めて、クロスカントリーを始める。
・イースター休暇はタリンで働く友人を尋ねてエストニアへ。
・ユヴァスキュラでもとにかくオーロラがよく見えた一ヶ月だった(4月も引き続き)。

■4月
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・1日づけで、フリーランス活動にピリオドを打ち、Japanin Koordinaatio Ayanaという会社を立ち上げて個人事業主としての活動を開始。
・事業立ち上げ早々、ありがたくもこれまで携わったことのなかったタイプの新事業にいろいろお声かけいただき、出張続きでとにかく常に疲れていたような記憶が…
・ミッコのGW休暇にあわせて、クロアチア&ボスニア・ヘルツェゴビナ旅行へ。

■5月
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・大学オケの公演
・卒業旅行と世界の温浴文化フィールドワークをかねて、単身ジョージア(旧グルジア)へ半月ほど。
・ユヴァスキュラ市内で念願のサウナ付き新居へお引越し。

■6月
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・よく働きよく遊びよくサウナ浴、の健やかな毎日。
(イマココ)

…と、なかなか移住後の人生のハイライトとも呼べる出来事が続いていました(笑)

新事業の立ち上げについては、個人的には以前の職務活動からそんなに大きな変化は感じておらず(会計士さんという強い味方についていただいたことは大きいけれど!)、もちろん、これまで学業に投資していた時間がごっそり減った分、今後は変化を期待するのでなく自分から変化を起こしていかないとなあ、ということは日々頭では考えています。でもいっぽうで、この2015年下半期から2016年上半期にかけては、「がむしゃら」以外の何物でもないスタンスでいろんな物事にかたをつけようと必死になり、おかげさまでいろいろどうにか納得いく形には落ち着いたのですが、さすがに少し疲れてしまいました。なので、休めるときにはゆっくりしたいなあ、とも。

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5月半ばのジョージアはまさかの山桜満開で、お花見トレッキングを楽しんできました!

さて先日の16日で、フィンランド移住まる5年がたちました。
ここまでは、ときに多少無理しているのがわかっていて苦しくても、今ここで立ち止まることが自分自身からも時流やタイミングからも許されていないように感じていて、ただただ前進あるのみと念じるように頭と身体を動かし続けた5年でした。
その自分自身のそれなりの頑張りと、我ながらあきれるほどの体力と、周りの温かい支えと、そして運(縁)の良さによって、とくにエンストや挫折を経験することなく今この地点まで来られたし、今後引き続きこの国で、学生という肩書を外してでも自立し暮らしてゆくための、それなりの礎は築けたはずと思います。でも今後は、今までのようなペースでエンジンふかし続けなくても、人生どうにかなると思える、実際になんとでも楽しめるような、見通しの悪さや時代の変化をこわがらない、少し今までの違う価値観を大切にした暮らしがしてゆきたいです。

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個人事業のたちあげにあわせて、ウェブサイトや名刺などを新しくしました。
ただ、このトナカイデザインとSuomiのおかん名義はすこぶる好評で(?)これらのおかげで皆さんに覚えていただき、ご贔屓にしていただいてここまで来たので、そのまま残すことに決めました。

Suomiのおかん/Japanin Kooreinaatio Ayana公式サイト
http://www.suomi-no-okan.com/


サイトもトップページにほとんど変化はありませんが、まずはぜひ右上の葉っぱアイコンからフィンランド語版リンクに切り替えてみてください!才能ある友人C君の手にかかれば、フィンランドの象徴樹が一瞬にして日本の象徴樹に早変わり!!
サイトリニューアルに関しては、結局フィン語サイトを充実させたことが作業の大半でしたが(今後はフィンランド人や企業とも、今の自分の境遇やスキルを活かしてお仕事をしていきたいというのが次の夢なので)、日本語サイトのプロフィール、ビジネスのページについては、フィン移住人生第一章を終えた今の自分の目線で新たに文章を書き直しました。また、ワークスのページも以前よりは少し見やすくなったのではと思います。よろしければ、ぜひ覗いてみてくださいね。

そして、きっと今後もまた当面は、おもにFacebookサイトのほうに、日々のフィン便りや業務報告などを随時綴ってゆくと思います。このブログは、とりとめない内面的なことを少し書きたくなったときに、また戻ってこようと思いますので、まだフォローされていない方は、以後どうぞSuomiのおかんの公式Facebookサイトの方に、遊びにきてくださいね!

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夏至ウィークは、楽しいロケ仕事にいってきます!

posted by こばやし あやな at 23:46| Comment(0) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月11日

プロ意識

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月曜の夜にユヴァスキュラに戻ってきて、翌々日くらいまではアフターフォローや不在中に溜め込んでいた諸々の事務処理と締切りで腰を落ち着けることができませんでした。が、それらが一段落して昨日、今日は、さあ修論のための最後のインタビューデータのテープ起こしやるぞと決めていたのに、なんだかちっとも身体も動かず頭も回り始めずで、結局食う寝るサウナ入る、以外はずっと取りつかれたように読書と動画観賞ばかりして時間を費やしていました。まあ、長かった出張とその出発直前のヘルシンキ出張や締切り&校正ラッシュ、さらにさかのぼってデンマークスウェーデン旅行から、ずっとぼんやり休む暇なく頭も身体も酷使し続けてきたので、今週はもうええやろ、と甘やかしを正当化してしまいます。

おかんFacebookサイトのほうでは少し中継もしましたが、先月末から10日間ほど、クオピオで行われていたスキージャンプの葛西選手率いるチーム土屋の合宿キャンプ地に、あるTV番組の撮影スタッフたちと泊まりこんで、コーディネートやインタビュー通訳などのアシスト業をさせていただきました。今年2度目のTVクルーとのお仕事。ただジャンルや目的が違えばこんなにも役回りや気をつけるべきポイントが変わってくるのか…と、最後まで新経験つづきで慣れない現場のなかで、オロオロしてる心を必死に隠しながら「振る舞ってきた」感じでした。
基本的には終始、撮影側と行動を共にしてはいましたが、ほぼ終日ジャンプ練習やトレーニングに打ち込み絶えず真剣な選手の皆さんとも、ちょっとしたすきま時間や街のイベントに繰り出すときなどに、お話できる機会があり、主にフィンランドの日常文化の話題を通じて和やかに交流させていただいたこと、時に些細なことで頼っていただいたことは忘れがたい思い出になりました。私がいまさらここで鼻息荒く強調するまでもなく、葛西選手は強靭不屈の基礎体力と精神力をお持ちの、名実ともに「レジェンド」でした。その上お人柄も(なんとなくフィンランド人ぽくて)大らかで誠実で、何よりスキージャンプ以外の引き出しの多さに圧倒され続けたものでした。

昨年くらいから、こうして有難いことにお仕事を通じて、なんらかの分野で世界に通用するスペシャリストの日本人あるいはフィンランド人たち(それは華々しい表舞台のゲストだけでなく、取材編集チーム撮影チームのスタッフの方々も含めて)とご一緒させてもらう機会も少しずつ増えてきました。これまでの私は、そのたびに「日本で暮らしている限りでは出会うこともない人が、フィンランド⇔日本という専門性(?)を持った自分を頼ってくださる喜び」をただただ噛み締めて悦に浸るだけで一期一会を重ねてきていた気がします。けれど今回、「オリンピックで金メダル」というこれ以上になく明確で、途方もなく、いずれわかりやすく白黒のつくたったひとつの目標を掲げ、「1日24時間」と平等にあたえられた時間の中で死力を尽くす1人の人間の姿を追い続けていくなかで、自分自身はどんな専門性を誇れる人を目指していて、どんな人生に憧れて目指しているのか、どんなことが達成できれば幸せと感じられるのか…と、曲がりなりにもレジェンドと同じ重みの1個の命を預かった1人の人間として、悶々と悩み焦る日々が始まってしまいました。
というか、これまで縁があり出会ってきた大勢の方の仕事ぶりや個性や哲学に感化されながら、仲介者(メディア)として相手の言葉を引き出したり、ただただ献身し続けることで無心に商いを続けてきた自分自身については、先の質問への答えはすぱっと思い浮かべられないことに愕然とするわけです。

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ここ2日ほど、片っ端から電子書籍や動画をDLしまくって無我夢中に観賞にふけっていたのは、ぱっと思いつく限りの「いいなと思っている有名人」の随筆や作品や人間ドキュメンタリーばかりでした。とにかくもっともっといろんな一流人の考え方や日々の行いを知って、その言葉やふるまいのなかから共感できる部分を抽出しながら、今のところ無色透明に近い自分自身の人生や仕事の指針についてじっくり考えてみたい、という衝動でした。成果としては、唯一以前から自分自身も大切にしている「ただ眼の前の案件(物事)をひとつひとつ誠実にこなす(結果や道筋はその先に出来てくる)」という感覚を、意外とさまざまな分野の眩しいプロフェッショナルたちが大事にしているんだな、ということがわかってちょっと安心しました。私自身も、これまでは一つひとつ、縁あって舞い込んでくる新しいお仕事に、(最初ちょっと無理かなとビビっても)ポジティブに挑み、そのときのもちうる実力や対応力で誠実にこなす、ということの繰り返しで、少しずつ、多様で充実度の高いお仕事に恵まれるようになってきた実感は強くあります。でもそういう過去の実績だけでは心もとないというか、「縁」というふわっとした存在を強く信じ続けるだけも難しいというか……自分自身がもっと何かしらのスキルを磨いて、信念を強く持って、セールスポイントを作りこまないと、いつか自活できない日が来てしまうのではないかという恐怖感もずっとあります。そのためにも、今よりワンランク上の「自分らしさの自覚」すなわち自信がほしいなあ、と、ここ数日はそんな止めどないことばかり考えて時間を消費(浪費?)しています。

フィンランドのあらゆる分野の知識をしっかりつけ、そして語学力や文章力を磨くというのは、この仕事を続けていく上でもちろん大前提なのですが、これまでの経験上、このお仕事をしていく(相手に満足していただく)上ではなにかそれ以上のスキルが求められていることも肌で感じ続けています。ずばっと核心を教えてくれる上司もいないし、今のところそれが何かは明確ではなく、うまく言葉にはできませんが、キーワードをあげるとするならば、それはきっと「コミュニケーション」。異世界に生きる人同士の時間の限られた交流を、どのようにお互いにとって円滑に気持ちよく、ハプニングもひっくるめて着地点へとアテンド・アレンジしていけるか、というチャレンジに必要な技術。それは現場経験の中で体験的に身につく類のものかもしれないし、ひょっとしたらそもそもの性格的なものなのかもしれませんが、まだしばらくは、次にくるお仕事に誠実に向き合い試行錯誤するなかで、それがどんなスキルなのか、どうやって磨いていけばよいのか、今まで以上に自分自身の動きを俯瞰しながら向き合っていきたいなと思います。

と、たまの日記がまたこんな自己完結的な長文ですみませんでした。。
明日からはそろそろまた手足と頭をしっかり動かしてまいります!

ayana@kuopio.fi


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今回の取材の成果が形になるのはまだしばらく先なので、気長にお待ちください〜!
posted by こばやし あやな at 05:03| Comment(0) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月02日

最近の幸福感について

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またもや日記から遠ざかった一週間となってしまいました。最近の己の傾向からだんだんと自分でもわかってきたのは、昨今、長年自分の生活において重心を置いていたものごとやより心地よいと感じる環境・時間の使い方がぐっと変わってきたんだなあということ。単純に、「書いて寝る」よりも楽しい夜のひとときの過ごし方、「書いてストレス発散する」よりも心を穏やかにできる人付き合いに支えられた日常を、手に入れてしまったのだなと感じます。忙しいから書かないというのは私の中ではしょせん表面的な言い訳で、ここ10年来どんな忙しい日でもブログを書く日はいくらでもあったし、書きたいという衝動があるかどうかなんですよね、結局。

日記帳でなくブログに書くということは、私の日常や考え事を世界の誰もが読むチャンスを作るという行為に他ならないので、ただ自己のために書くだけでなく、無意識であれ作為的であれ「誰かと共有したい/してほしい/させたい」という欲求に基いているのは確かです。そして最近の私の心の中では、その欲求がかなり消極的になってしまったというのが正直なところです。
私の場合メインのお仕事も基本は同じ作業なので、普段から人にあれこれレポートしすぎて疲れ始めてるのかもしれないけれど、一番自覚があるマインドは、誰に知っててもらう必要もひけらかして満足する必要もない、ただ自分自身(と声の届く周りの人たち)が感じたり知っていたらそれでいい、という自己充足感に、寝る前にすでに十分心が満たされているのです。

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単純に最近、私はすごく幸せだなあと恒常的に感じています。パートナーシップもしかり、仕事づきあいもしかり、友情もしかり、フィンランド在住4年目にして各方面で本当にステディな関係が作られてきていて、さらに新しいことに挑もうとするときでも「迷ったり失敗しても自分を支えてくれる心強さ」が身近にあふれていることを強く感じながら、毎日を生きています。
もちろんいつまでもここは異国で私は移民だけれど、最近は外国人であることの物理的・制度的な障壁を苦痛に感じたり不平不満の対象にすることがほとんどなくなったし、言葉や振る舞いの面で無理をしたり我慢したりすることも少なくなった。もちろん暮らしを紡ぐ上で、通じない思い、通じない相手には次々に出会うわけだけれど、「あの人がわかってくれるから大丈夫」と、すぱっと開き直ったり、自分を慰めるのがうまくなったのかもしれない。現実に余裕があるわけでも悩みがないわけでもないんだけれど、人との接し方、お金の使い方、自由な時間の作り方、その使い方、将来の思い描き方…そうした自分の振る舞いひとつひとつが、前よりも自己肯定できる、愛おしいものに変わってきているなと、素直に思えるのです。

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そしてそんなふうに自分自身と楽にそして楽しく付き合えているのは、とにもかくにも一番身近な人たちの温かい眼差しのおかげだなと思います。裏を返せば、今まで1人で遠出ばかりして新しい物事や出会いばかり求めて、心細く頑張りすぎていたことが多すぎたのかもしれない。
昨日は、元同居人のカティに誘ってもらって、珍しくミッコを置いてきぼりに、一日女2人で日帰りデートに。とある事情で一日手に入れたスポーツカーで田舎道をぶっとばし、新緑が輝くテラスでご飯を食べて、倉庫で楽器弾きまくって、夕方はサウナ(と湖畔)でなんと3時間弱も素っ裸で過ごしたのでした。国籍違えどアラサー同士、どっちもがどっちもの言語を理解できる類まれな親友同士、持ってきてた薪をすべて燃やしきるまでひたすら汗をかき、そして喋り尽くせて、すごく心が軽く温かくなりました。最後に服を着ながら、(私同様最近は仕事でラボかチェルノブイリに缶詰状態の)カティがぼそっと「さいきん研究や仕事で頑張って給料もらって、自分が誰かや何かの役に立ってるなと感じたりすることは多いけど、長く深い関係にある家族や友達の役に立ったり助けてもらったりすることがすごく減ったと思う。」と呟いていて、ブログやSNSを通じて他人への自己PRや共感を誘うことで人との繋がりや幸福感を得、現実世界では自分自身や、新しい物事や、いつまでも自分の芯部をさらけ出せない人とばかり延々向き合っていく日々の危うさをぼんやり考えさせられました。

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今日はミッコの記念すべき初給料日。この二ヶ月、面倒を見てくれる上司的存在の人がネット越しにしかいない環境下で、なれないビジネス日本語に四苦八苦しながら、彼は本当によく食らいついて頑張っていたと思います。週末にはそのお給料で私と両親を街一番のレストランに招待してくれるそうですが、今日は2人でワインをあけてプチ祝い。今はたんぽぽとともに私の(名前の)象徴花である野生の菜の花が満開のシーズンなので、家の前に咲いているのをいくらか手折って、黄色一色のテーブルセッティング。オリーブは、昨日までギリシャでバカンスだったミッコパパ&ママからのおみやげであります。それらしく写真を乗せてはいますが、さっき片付け前に残っていたものだけを寄せ集めて無理にファインダーに収めた「なんちゃって記録写真」です。文字通り、間抜けです。乾杯の前に、「あ、ちょっと一枚写真を…」とか、最近もはや頭の片隅にもわいてこない。。。一応、人生にもう二度と巡ってこない記念すべきパーティだったはずだけれどなあ。

その瞬間瞬間に没頭しすぎて、結果的に写真に撮り忘れたり書き留めそびれて、あとあとタイミングよく思い出せないあやふやな記憶として脳の何処かに押しやられるのはなんか物寂しいし、主に「書く」ことでしか何かを表現したり残したりが自分にとっては、ブログから離れていく生活はもちろん不本意なことではあります。でも、たわいない日常も、ちょっと非日常の瞬間も、忙しく苦しい時でも、大きく羽ばたこうとしている時も、その一瞬一瞬に没頭している最近、以前に増してしっかりと自分の心で「幸せ」を感じられるのなら、無理に以前の「書き留めて寝る生活」に向き戻る必要もないのかなと思っています。
しばらくは気ままに、書きたい時だけ、どどっと書いたり書かなかったり、現在の自分の欲求に従いつづけてみたいと思います。あまり以前のように有益なフィン情報や日常公開も期待できないと思いますので、読んでくださる皆さんもまた、気ままに気長にお付き合いいただければ、嬉しいです!

ayana@jyväskylä.fi


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とはいえ、前回書きかけていたことは、備忘録としてもぜひ残しておきたい新体験だったので、これは近々書き出したい!と思っています。さていつになるかな?

posted by こばやし あやな at 07:33| Comment(4) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月21日

カメラを手にしている時にこそ気づける世界の美しさ

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実は最近カメラを新調し、レンズコレクションも増やしました。
ここ1年くらいかしら、なんだか忙しさとプライベートの充実差にかまけて、仕事以外ではちっとも(携帯じゃない)カメラを持ち歩かなくなってしまっていた。そしたら、やっぱりどこを出歩き誰と時間を過ごすにせよ、いろんな風景や表情の機微に疎くなってしまったなと感じるのです。肉眼というレンズを通して覗く世界の美しさにかなうものはない、というのは確かなんだけど、一度写真撮影がライフワークになると、カメラを手にしていることで、無意識に私の眼がおもしろい被写体探しをしてくれるんだなということが今更ながらわかった。
だって、今日久々に重量感のあるカメラ片手に夜のドライブに出かけたら、さっそくこんな横断歩道みたいな空に出会えたもの。これは、今日という日の空模様の偶然がもたらした出会いかもしれないけれど、私がそれに「気づいた」から、出会いが成立したとも言える。あまりファインダーを覗かなくなってしまったこの一年の間だって、空はもっと結構な頻度でおもしろいことになってたんだと思う。それを私が気づきそびれていただけ、いや、そもそも空を見上げていなかっただけなんだろう。

一期一会というのはただ偶然に身を任せるだけではダメで、大事なものを見逃さないよう、日頃から自分自身で高くアンテナを立てておかないと、ぽろぽろと知らぬ間に素晴らしい出会いの素がこぼれ落ちていたりするんだろうなと想像する。結局その落し物にも気づいてないから、損をしたとかそういう気分に陥らなくてすむとはいえ。ファインダー越しでもいい、もう一度、もっと身近な世界をのぞいていこう。

ayana@jyväskylä.fi


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最近は夕食後の白夜ドライブデートが我が家のホットなレクリエーションです。


posted by こばやし あやな at 08:35| Comment(0) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月20日

己を知る、を知る

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今日は、ここ数ヶ月ずっと取材と執筆に明け暮れていたプロジェクトの、私が担当するいくつかの章の原稿をようやくすべて入稿し終えることができました記念日です。絶対にサウナの時間までにはスッキリ終わらせるぞと意気込んで集中し、編集者さんにデータを送り届けたのはなんとサウナ時間の2分前!!残念ながらビールを買って冷やしておく時間までは確保できませんでしたが、それでも、「もうひと頑張りシャワー」じゃなくって、ちゃんと「お疲れサウナ」に入室できたのは本当に嬉しかった…。実は最近いつのまにやら、考え事をするときはシャワーへ、考えることを放棄したいときはサウナへ、という明確な行き場分けができてしまっているのです。作業に行き詰まったりインスピレーションが降ってこないときは、一日何度でもシャワーを浴びてしまうほどに…。

まあ実際は全然今日が節目でもなんでもなく、その傍らで次々に差し戻されるレイアウトチェックして原稿を加筆修正して…という作業がまだまだ続くし、画像収集も終わってないし、初校色校戻しまでたどり着くにはもうしばらく机を離れられなさそうですけれど、ああ書き終えた、という充実感は今日だけでも十分かみしめています。とりあえず、今晩はこのあと溜まっていた連ドラの過去放送分を一気に消化してしまいたい!

今回のプロジェクトは、フィンランドで今急成長を遂げているとある企業(ブランドというべきか)の芯部まで立ち入らせていただき、経営者たち、そして数々のデザイナーたちのクリエイティブ・ワークフローから作業現場、そして何気ない日常までを丁寧に現場取材させてもらって、それを日本語でまとめ上げる作業が中心でした。なのでここ数ヶ月はまさに人の数だけのクリエイティブ・シンキングや自身を律する方法を教えてもらって、共感したりああもう絶対真似できないなと共感を放棄したり…を勝手に心のなかで繰り返しながら、気がつくとしばしば、もし自分自身にも同じような質問を投げかけるなら何が答えなのだろう、と、あくまで内省のための自問自答をしている時間が増えました。というのも、今回のやや長期的な作業に向かう時間を通して、私自身もまた一表現者として、これまでのようにただ空き時間を見つけて机に向かってマスを埋めるのではなくどうせなら日々よりよいアウトプット(たとえば書き物)ができるように、自分の心のリズムや頭の栄養分の摂り方をよく知ってコントロールしていくことの大切さに気付きはじめたからです。

人に偉そうに語りをお願いしておきながら、実際にこれがわたし自身のイズムです!なんてドンピシャな言葉を見出すには、そういえばまだまだ自分を知らなさすぎてもっての外という感じですが、行き詰まったらとりあえずシャワーとか、机に向かうのは一日最大何時間までが限度とか、何時頃が一番捗るとか、心が落ち着く場所とか、枯渇気味の心を潤す音楽とか…そういう「自分プチ情報」を客観的に蓄えておくだけでも、同じ自分の身体や頭から湧き出てくるアイデア、綴られる言葉が変わってくることは、ようやく身を持って実感できたここまでの日々でした。
7月上旬に日本の書店に並ぶ予定の本なので、体裁が整ってちゃんと告知ができるまで、もうしばらくお待ちください〜!

ayana@jyväskylä.fi


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最近、いっつも入浴後の夕方だけ晴れる。

posted by こばやし あやな at 04:21| Comment(0) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月23日

誠実でいられる範囲内で

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ふう、とにかく大変な一週間だった。
とにかくどこかでヘマをするまい、手を抜くまいと、焦りと疲れでボロがでそうになる心身をなんとか律して、どうにかすべてをやりぬいた…はずと思ってる。今日は午前中だけは自分へのご褒美でとことんベッドの中でぬくぬくゴロゴロして過ごしました。最近朝食代わりに時々食べる禁断の?和フィン折衷食が、ポリッジ(牛乳粥)に、バターと、昔自分で大量に炊いて冷凍保存してあるあんこを落としてぐちゃぐちゃかき混ぜたもの…本来はこのあんこのポジションにジャムやシナモンシュガーが来るんですが、あんことの相性も決して悪くない。フィンランドの名古屋に位置するここユヴァスキュラのご当地B級メニューとして流行らせてみようかしら(笑)

仕事の話に戻ると、とにかく今後は仕事を欲張らず、自分が無理なく(=誠意を保って)取り組めるスケジュールのなかで、もっと要領良く、健やかに最善を尽くしていかねばと反省した一週間でもありました。幸いにして誰かを落胆あるいは逆上させるようなことにはならなかったし、日本からのお客さんからは「日本に帰ってきた時はぜひ連絡ください」という、最高に嬉しい労いの言葉(と受け取っている)を今回もいただけて、結果はオーライでしたが、持続可能性に欠けるようではやはりダメだ。
来週もまだ過密スケジュールが続いてしまうけれど、やると決めたからにはきちんとやり遂げ成果を出す。中途半端になりそうなら手を出さない。この基本原則を胸に刻んで自分を律していこうと思います。

ayana@jyväsylä.fi


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今日は久々に雪も降ってまさに寒の戻りに見舞われた一日。今年もホワイトバースデーになるかも?
posted by こばやし あやな at 07:24| Comment(0) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月12日

正当化されたゴシップ

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とあるコラム執筆のために、最近は片っ端からシベリウス関連の書物を読みあさってます。分量、内容的にここまでいろいろ手を付けんでもええやろ、と思いながらも、長年シベリウス関連の書籍は日本で日本語でしか目を通したことがなかったので、そりゃやっぱり本国発のほうが新しい情報や見方をいろいろ提供してくれるわけで読み比べも楽しいです。

それにしても、例えば現代のジャーナリズム…というかゴシップ業界では、誰かが渦中の当人の両親のプライベート情報にまで斬りこむだけですぐに批判の声が集まるものですが、過去の偉人に対してはそういうモラルにもおのずと時効が来るんでしょうか。例えば、(ジャン)シベリウスがわずか2歳のときに他界した父クリスチャンなんか、たまたま息子が超有名人になっちゃったがために、実は医者のくせに飲んだくれで多大な借金を家族に残したこととか堂々公開されてしまっていますよね。さすがに2歳の息子が将来そんな大物になるなんてまだ想像だにしてなかったでしょうから、きっとクリスチャンはあの世で相当羞恥心と後悔に耐え切れずあえいでいるに違いありません。自分自身が後世まで研究者や文屋に人生のすべてを調べつくされるほど超ビッグネームになってしまったら、何を暴かれてもしょうがないかという感じですが、自分の身内が名声を得たがために飛び火パターン…というのがあることも、我々庶民だって一応肝に命じて、やはり日頃から品行方正を心がけておいたほうがいいかもしれませんね。

もっともシベリウス自身も、たとえばアイノと長年やりとりしてた書簡集までが世に全公開されるなんて、さすがに思っても見なかったんじゃないでしょうか。そんなことのために全部の手紙大事に保管してたんやあらへんわ!!と天国で憤慨してるに違いない。最近こちらも入手して目を通しているのですが、はっきり言って、もしこんなノリで自分と相方とのメールやらフェイスブックメッセージやらを全世界の人に一斉公開されてしまったら、私なら恥ずかしさの極みで発狂し大暴走してしまう気がします。この二人の書簡集はあまりに甘ったるい内輪の愛にみちあふれすぎてて、読んでるうちに背筋がクネクネしてくる…。なんて言いながら、実はさっきまでミッコとジャンとアイノになりきってノリノリで感情込めまくった朗読大会してたんですが、もし自分がシベリウスで、現世のどこぞの輩がそんなことしてキャッキャと笑っているのを天国で窺い知ったら、間違いなくヘルシンキのシベリウス公園にある自分の銅像をその輩の家に向けて天から投下してることでしょう。。。すすすすみませんでした。

ayana@jyväskylä.fi


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かすかな風邪の気配を感じる…

posted by こばやし あやな at 06:53| Comment(0) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月27日

我慢で成り立つ子育て社会

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今日、ツイッター上で在フィンママさん達による「日本は外出先での授乳も厳しいし、赤ちゃんは泣くのが当たり前に気を使わなきゃならないのが大変」…という意見を見かけました。「公共の場での授乳行為」の良し悪しという点についても興味が沸いたのですが、一昔前?に日本で物議を醸していた「赤ちゃんの泣き声と公共性」を巡って、母親という立場を経験したことのない私自身が、これらのことに対して日々正直に思うこと/わきまえていることを書き留めておきたいなと思い立ったので、考えるままに筆を走らせ…いや指を走らせてみます。たくさんの方があの告発事件をきっかけにいろんな意見を出していて、私のは今さら目新しい意見でもなんでもないと思いますが、いくつか考えうる意見のうち、あくまで私自身のスタンスはこれ、という表明のために。

本音をいえば、私もこれまで、他人の赤子や子供の止む気配のない泣き声にさらされるたび内心かなり「いらっ」としているし、そもそも赤ちゃんの泣き声自体が、他人の心に生理的な不快感を生むという事実は認めざるをえないと思っています。視覚情報のように目をそむければ自主的に回避できるものじゃないし、赤ちゃんや小さな子供の泣き声というのは言うまでもなく理屈と対極の、理不尽さの象徴音だから、「何事もどうにかすればなんとかなる」という大人の理性のバリアを突き破ってストレートに心を掻きむしられる思いがする。さらに他人の子供は、そもそも自分が率先してどうにかしようと動ける対象にあらずなので、こんなに必死の雄叫びが自分のところに聞こえていても、あくまで自分と無関係のものとして聞き流さなければならない、という一方向性がまた苦行の種になっている気がします。

ただし、このイライラはぶつける矛先がない、という至極当たり前な現実は理解しているつもりです。赤ちゃん本人も、そのお母さんも、攻める対象にあらず…このことについては議論の必要性もないというか、どんな人でも、まったく赤ちゃんの泣き声の聞こえていない今この場所で、赤ちゃんが泣くのは悪か、それを回避できない母親は悪か、といった問いにYesは突きつけないでしょう。
問題は、例の理性のバリアを破って心を掻きむしられる思いのする泣き声から逃れられない密室内で、それでもなお、同じ問いに同じ判断ができる心の余裕を保てるかどうか、です。もうここは誰しも、心に仏を呼び寄せ、いらいらを顔に出したくなる正直な自分をなだめ説得し、かつ余裕があればできるだけ母親が甲斐のないプレッシャーやストレスを感じぬよう「あ〜自分これくらいなんてことないっすよ〜ゆっくりなだめてやってください〜」というオーラを出せるように上手く演じることに徹することだけが要求されているのです。
倫理的に云々…より、その場に居合わせた個々がとっさにその努力のできる「大人」になれるかどうか、この問題はそこにかかっていると思います。

もしこういう現場や事後につい母親や赤ちゃんに対して不快感を露わにしてしまったり、ましてそれを交通機関側の問題に転化してしまうような人を見かけたら、悪人だとはまったく思わないけど、子供っぽいなあ、とは思います。「泣く可能性のある赤ちゃんを連れた外出が悪だ」という理論も、あの泣き声にいらいらさせられた自分自身の過去の経験に煽られ、つい口をついて出てくるのでしょうが、そもそもそういう個人的感情を抜きに考えれば、ある特定の世代の人だけ公共の場(や交通機関)の利用を禁止させようというのがいかに理不尽で反社会的な、子供っぽい(こう言ったら子供に失礼ですらある)アイディアかと気づけるでしょう。

子育てにやさしい国と謳われるここフィンランドでも、バスなんかで赤ちゃんが泣きわめき始めたら、みんな確実にいらっとはしているな、というのはいつもよくわかります。決して誰もが仏のように笑顔で見守っている極楽のような状況ではなく、みなさんさり気なく眉間にしわを寄せながら、時々思わずちらちらと振り返りながら、でもイどうにかライラを飲み込み、母親をまわりの雰囲気で追い詰めてしまわぬよう、平常を装ってやり過ごしています。もちろんその根底にあるのは、赤ん坊や子どもや母親が外出を億劫に感じる雰囲気を作っしまってはいけないという当たり前の考え。誰にだって当然にある外出欲と権利を、制度や設備でなく人の雰囲気で抑制させてしまうのも立派な人権侵害だと心得ているから、多少の「いらっ」もスマートに我慢するのです。それが共生社会の一員としての判断というものです。
というか日本でも、一部の我慢の苦手な人がメディアを巻き込んで言葉にして事を荒らげるから、本来心の底では皆同様の思いを隠しているだけに余計に空気や全体の風潮までがおかしくなるわけで、大半の日本人は上述したフィンランド人同様つい抱いてしまう「いらっ」をうまく隠して、人によっては笑顔でお母さんを安心させる余裕まで持ち合わせながら、そういう場面を事なく切り抜けているはずです。

逆に、我が子が泣き出したときに、つい人目すなわち「まわりへの迷惑」を気にしてしまうお母さんも、もちろん世間の本音に怯えているんだろうとも思うし、そもそも自分自身も、赤ちゃんの泣き声には誰も気持ちいい思いをしない…という実体験があるからこそ、怖気づいている部分もあるのではと察します。極端に言えば、自分が被害者から加害者に変わってしまうような恐怖感。でも、ここはやはり社会の(大部分の)人が当たり前に持ち合わせている「公共性」に身を委ね、周囲に当然のように我慢してもらえばいいと思うのです。
「赤ちゃんのギャン泣きには誰も気持ちいい思いをしない」…これ自体は悲しきかなたぶん真です。でも、世の多くの人は、それを仕方ない、我々が我慢するしかない、とも思っています。なぜなら、ただ単純にそれが公共、あるいは社会というものだと心得ているから。それ以上に「赤ちゃんや弱者をみんなで守り育てる社会をつくろう!」という意欲の強い人は、ありがたくもより積極的に(親身に)その場を取り繕うとするだろうし、そこまで強いイズムがなくても普通は、弱者を精神的に追い詰めることに加担してはいけない、というほぼ無意識の社会性がはたらき、誰しも我慢(+α)という方法でその場を乗り切ります。我慢できない人は、残念ながら悪というより子供なんです。そういう大人が増えているのも事実かもしれませんが、だからといって、そういう自分に正直すぎる人たちの子どもじみた不平不満にいちいち耳を貸したり心を痛める必要はないと思います。

お母さんたちには、どうかいつでも申し訳無さなんて感じずに、ただ淡々と、その場の空気に身を委ねて、それよりも赤ちゃんが泣いて自分に何かを訴えようとしている、そのメッセージを受けとめてあげることに集中してくれたらなと願います。

ayana@jyväskylä.fi


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市民プールようやく再開。明日は朝ひと泳ぎしてきたい

posted by こばやし あやな at 01:52| Comment(0) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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