
カヤーニからクオピオ行きの列車で20分ばかり南下すると、スケヴァ(Sukeva)という田舎駅に到着します。
本日のお宿は、この村の端っこにある格安のモーテル。
(意外にモーテルという言葉が浸透していないようなので説明を加えておくと、車での長距離移動中で通るであろう街道沿いにある、主としてドライバーやツーリストライダーのために用意された簡易ホテルのことです。あ、決して風俗ホテルじゃありませぬ。ホステルのドミトリーなどとそんなに値段は変わらないのですが、ちゃんとシングルやダブルの小部屋に泊まることができるので、この旅でもときどき利用しています。近くのガソリンスタンドが経営代行してるケースが多いので、鍵をスタンドのおっちゃんのところまで貰い受けにいくこともしばしば)
この駅での降車客は、もちろん?私だけでした。
観光ガイド本はおろか、ラフな地図にも出てこないだろうというこの小さな村(※今度はほんとに歴とした村です。)にやって来たのは、翌日に隣町で行われる、とある世界選手権の決勝大会を鑑賞するためのベースキャンプ確保にほかなりません。
とはいえ、ざっと見渡す限り、大きな一本道の両側に住居や小さなお店(夕方6時前にしてこぞって閉店)がまばらに並んでいるだけ。あとはどこまでも、森と畑、その合間を貫いてやがてどこかに消えてしまう、たった一本の鉄道線路。
小さい村だし着けば宿の場所もすぐわかるだろうと思って、住所だけ控えてとくに地図など確認せずやってきてしまったのが間違いでした。ありがちですが、出歩いている人がだーれもいなくて、看板も皆無で、はたしてこの一本の通りを右左どちらに歩きだしてよいのかもわからへん…

結果をいえば、最初にしばらく歩いた方角は見事に真逆でした。。。15分くらい、トランクをころがしながら、うだるような暑さの中をのろのろと歩き続けたところで、トナカイを庭で飼っている御宅の前でようやく遭遇した、第一村人さんに尋ねてようやく発覚。はぁ…振り出しに戻る(までも一苦労)、か。
午後六時といえどもまだまだ日は高く、それも相変わらず強烈なまでのカンカン照りで、歩くほどに重いリュックに接した背中にじっとりと汗が。しかも、目的地が逆側ということはわかったものの、スタート地点の駅前からしばらく行っても、一向にそれらしい建物には出会えず…迷いようのない一本道で何度も無意味な不安にかられながらも、歩くこと20分あまり、なんとかお宿に到着できました。

ここのモーテルはお隣のログハウスレストランが経営してらっしゃって、ほら、お部屋もロッジのようで可愛らしいでしょ。
なんせすでに村のあらゆるお店が閉まっているので、同じく宿泊者だけでなく、土曜の夜を外で楽しみたい村人さんたちがこぞってこのレストランのテラスに集ってきているらしく、この一角だけとってもにぎやか。
そして、いくら一部の人はすでにお酒が入っているとはいえ…なんか、ちょっとびっくりするぐらい、皆さんノリがいいというか、なんというか…
もちろん、ここが小さなコミュニティであり、かつ私が珍しい東洋人だからというのもあるでしょう。それでも、出会う人出会う人、こうも初対面の私に馴れ馴れしく語りかけてきたり、ハグしてきたり、「明日、僕とイチゴ積みにいかない?」なんて口説いてきたり…あれ、フィンランド人て、こんな民族やっけ?
結局滞在中、村を歩いていて出会う人ほとんど(車に乗っている人までも)が、すれ違いざまににこやかに挨拶してきてくれたり、熱烈ラブコールくれたり、そうでなくてもちゃんと微笑んで手をあげてくれました。
そういえば、ここはすでにフィンランド東部の北サヴォ県。
実はフィンランドでは日本と逆で、国土を東西にわけると東の人たちの方が得てして関西人気質、西のスウェーデン側の人が東京人気質、とよく例えられます。(だからアヤナは住むなら東のほうがむいてるよと、と昔からよくアドバイスされる)。
とりわけ東の民族は、シャイだとか言われる一般的なフィンランド人のイメージとは裏腹に、とても人懐っこく朗らかで、笑ったりお喋りするのが大好きな人たちが多いのだとか。
余談ですが、国民性とか地域性とかを一言で言いきるのは、たしかに横暴といえば横暴ですし、主観や勝手なイメージにすぎないと言って嫌う人も結構います。確かに、例えばフィンランド人=シャイというのも…私の限られた経験上で、シャイという言葉を「最初から自分や相手の個人域にがつがつ踏み込むことを好まず、相手を気遣いながら徐々によい塩梅の距離感まで縮めていくのが得意」と広義(プラス思考?)で捉えてあげるなら、あながち間違っていないかな、という気がするくらい。もちろん、その定義にすら当てはまらない人も居ますしね。
ただそれはそれとして、私は根本的にはお国柄、ローカル色、民族性など問答支持派であります。思うに、そういったローカリズムを最初に生み出したのは(和辻哲郎の言うように)その土地の気候や風土性もあるでしょうが、それが継承されつづける一番の要因は、その街、その地域で生まれ育ってゆく人の愛着とプライドじゃないかと。
特に大小さまざまな異文化交流が普通になった昨今、外部から改めて指摘されがちな自分たちのローカリズムを、嫌な人は捨て去ってニュートラルであろうとするだろうし、本当に故郷が好きで仕方ない人たちは、どこに行っても、すでに自覚できている大事なものを波にさらわれないように抱きかかえるもの。関西人がどこに越しても関西弁が抜けないのはなぜか?そんなもん、自分が関西出身であることが嬉しくて誇らしくて、その大事な証を捨てたくない気持ちがはたらくからに決まってるでしょーが(笑)
「生粋の」とか「〜のDNAが」といった表現もなされるけど、集団的にある傾向や雰囲気が継がれるに際して不可欠な要素は、生まれてから出会う環境だけでは不十分で、たとえ無自覚だとしても、やはりそれらに対する当人たちの普遍的な愛着や誇りが併せて必要ではないかなと思います。
その意味では、とりわけ愛国心の強い(←それ自体もまた一種の民族イメージに過ぎませんが)フィンランド人という民族に、何らかの同一傾向が見出されるのもまた自然なことで、かつ本人たちもまんざらでもないのかな、という気がしています(何かにつけて自虐ネタで笑いをとるのが大好きなところを見ても…)。ま、あくまで全部私の主観と経験だけに基づく持論ですが。
要は郷土愛の表われなら、民族性問答もええんちゃう?、てことです。
あらら、閑話休題。
そんなわけで早速いろんな村人たちに熱烈なお誘いを受けつつも、丁重にお断りして、荷物を置いてからまっ先に向かったのが…

そう湖畔。毎度ながら、湖畔。
実はえっちらおっちらモーテルを目指す道中、左がわの先の視界がばっと開けて、そこからはるか先まで延々広い湖が続いてるのが見える、なんとも胸踊る小道があったのです。しかも小さい立て札が立っていて、「こちら湖水浴場」やって!!モーテルについたら、まっ先に着替えてここに泳ぎに来ようとそのとき胸に誓ったのでした。もはや旅先でのひと泳ぎはすっかり日課です。
ようやくここに戻ってきたってときに陽が陰り出して、急に外気も下がってきたのだけど、それでもお構いなしにじゃぶんと入水。冷たいけど、気持ちよさのほうが上手。
無限に広がる澄んだ空の天井を眺めながら、大好きな背泳ぎで、行けるところまで。

同じく何人かの地元の子供たちが遊びにきていたけれど、そのはしゃぎ声さえもすぐに吸収してしまうほど広くて大らかな湖と空。海のように満干もないし、日も暮れないし、どこまで行ってもずっと遠浅で安全な湖岸なので、きっと子供たちが毎日のようにやってくる秘密の遊び場なんでしょうな、いきなりお邪魔しちゃってごめんね。
最初はだいぶ訝しげな目で見られていたけど、最後にはちょっとだけビーチボール遊びの輪にも入れてくれて、年甲斐もなく一緒なってはしゃいでしまいました。ふう、今日も気持ちよかった〜。

再びモーテルへと戻る道で、ほんのりブルーベリー色をした雲が広がっているのを見つけてさらに嬉しくなりました。
しかもふいに反対を向くと、

日本の真夏の代名詞、入道雲にそっくりの、ダイナミックな白い雲が!
セミの鳴き声は一切聞こえず、稲穂の代わりに白樺林の葉がちりちりと揺れる、静寂に守られたこの村の夏の景色は、やっぱり私が知っている夏の風景とは似つかない異世界だけれど、あの空に浮かぶ力強い入道雲がほんの一瞬だけ、故郷の夏の姿と、そこに身を置いているときの感覚みたいなものを、鮮明に思い出させてくれたのでした。ありがとう。
ayana@sukeva.fi
次回いよいよ、
あの不可解な世界選手権の現場に潜入!
あの不可解な世界選手権の現場に潜入!