2011年06月12日

出国前夜の素直な気持ち

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早いもので、もう数時間後にはうちを出て、神戸空港から船で関空へと渡って、朝09:30のフライトで日本を出国します。

しばしお別れとなる今日の北神戸は、夕べのどしゃぶりに90%の大雨予報だったはずなのに…あらら、時折日がさしてすかっと鮮烈な青空がのぞくぐらい、過ごしやすいお天気をなんとか終日保ってくれました。梅雨も、このスーパー晴れ女の出国まではしばし休戦、という粋な計らいでしょうか。明日も、雨さえ降らなければもう何でもいいので、傘を開かず無事に搭乗まで滑り込めますように。


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午前中あれやこれやとオンライン業務に一区切りつけて、お昼に短い時間でしたが、中高のおともだち、聖ちゃんが地元で経営するカフェに久々に遊びに行ってきました。周囲ののどかな田園風景といい、やわらかな木材と素敵なうつわに囲まれたお店の雰囲気といい、石原姉妹の微笑ましいばかりのほんわかさといい、ここはいつ来ても体の芯から癒されます。癒し系とか和み系とか、あんまり好んで使いすぎたくない言葉ですが、それでもこれだけは癒されるというものを3つ挙げろと言われたら、間違いなくこのcafeふた葉(お店HPこちら)はランクインするでしょう!

お店は相変わらず、お昼を過ぎても満席が続く盛況ぶりを見せていましたが、少し聖ちゃんと向い合ってお話する時間も許してくれて、あのスマイルを前にいろいろ心境を聞いてもらっていたら、朝からなんとなしに高ぶっていた心がずいぶん落ち着きました。聖ちゃん、ありがとう!北神戸に帰ってきたときは、また必ず立ち寄るね。


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夕方は、ちょいと事務的な諸用があって、京橋まで出ていました。
うう、このけったいな人ごみも、数カ月後にはむしろ恋しくなるのだろうか。
その際に、とあるきっかけから、大学オケの仲が良かった同期や後輩(全員木管やったけど)の飲み会会場と電話中継してもらって、携帯紛失で通信手段を失ってしまっていた何人かとも最後にお話しする機会を得ました。嬉しかった反面、この頃からだんだん、胸がくっとつっかえてきて、やがて、ずーんと胃が痛くなってきました。。。

帰りの電車も、なんかすごく気分が不安定で、PerfumeやShakalabbits聴きあさってもちっともいつもみたいに元気が湧いてこなくて、お腹痛くて、率直に心境を一言で搾り出したら、「行くの怖いなあ…」ていう。行きたくないわけじゃもちろんないけど、でも、形も色も見えないぼんやりした目先に対して、すごく怖くて、すごく不安。
にわかに電車のなかで涙と鼻水に栓できなくなってきたりとか。

5年前、やっぱり出国前夜を迎えていたときの自分はどういう心境やったんやっけと思って当時のブログにさかのぼってみたら、今以上に天真爛漫で若さに身を委ねていた往時のこばやしあやなと言えども、さすがにそわそわ、いらいら、落ち着かない時間を過ごしていたご様子で。でも、今のそれは、なんというかもっとジットリ執拗なもので、ぐんぐん食欲や生気を吸い取られる感じ。

なんで私はいつまでもこんなに無理して走り続けたがるんやろ、って、人にもよく聞かれるし、誰より自分自身がいつでも一番そう自問しています。もっと身近で気楽なところに根をはって、誰かに寄りかかって、楽にお金を稼ぐ等身大の人生は、いくらでも見つかるやろうにさ…。

でも、自分自身の直感&直勘を、どうしても裏切ることができない。そして、私が信頼を置く人たちの「きっとうまくいく気がする」と言ってくださるその言葉にノせられ、過剰に信じて突き進んでいくしか、生きる方法を知らない。それが私なので、もうこれはしょうがないのです。。。

時が来て、えいぃっと飛び出してしまえば、あとはもう、次なる世界が否応なしに懐中を広げて待ってくれていて、器量良くがばっと自分を受け入れてくれるもの。そのぞくぞくするような瞬間がまもなく訪れるまで、できるだけ心穏やかに、自分をなだめて待ちたいと願います。

だいじょうぶ、だいじょうぶ。





posted by こばやし あやな at 02:13| Comment(4) | 出国前のばたばた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月11日

蛍の光 / 母校 / オケを世界へ

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さすがに出国前の慌ただしさも佳境となり、公約むなしく書くタイミングをなかなか掴めず、あれよあれよと言う間に明日は出国!!という。

そればかりか、連日、本当にたくさんのお餞別メールが届いており、そちらのお返事さえも満足に返しきれずにあたふたしており…

さらに、携帯を無くしたことで胸をはって音信不通の茂みに隠れられると一時的にはほくそ笑んだものの、そうはいってもさすがに出国までにこちらか一報せねばならないであろう方が少なくないので、こちらもまた。。。


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いつだったか、私のような遊牧人生(定住、安定を好まず運命の地を求めて大胆にさまよい続ける生涯、の意味でしょうか)を宿命としてしまった人種は、決然とした別れ方を身につけ、あるいはわざと知らせないという手段も行使しながら、誰に追われることも悲しまれることもないなかで、あっさり、ひっそりと次の地に移るくらいでなければいけない。というようなことをとある方に諭されて、当時は心のなかでアカンベーをしてた記憶があります。

これまで出会った人との縁は、自分が次にどこに移ろうとも、等しく最後まで大事にして、完結いや契約更新させていきたいと今でも思う反面、27年も生きてきたら、そりゃあ年々「知り合い」の数は膨らみ続ける一方なわけで、ときには次の地まで持っていく縁を精査して、あとは風のように去っていくくらいの覚悟や潔さがないと、自分自身も荷が重すぎてすっきりと旅立つことができないのかな、と、否応なしに感じる瞬間が最近増えたのも事実です。

ただ、自分にとってほんとうに大事な人に、あるいは自分を大事に思っていてくれる人に、もしここで私から直接の出発報告の連絡が行きそびれていたとしても、自身の生存や新天地での人生かけた活動のことがいつかどこかでたまたま耳に入る、目に飛び込んでくる、というチャンスが少しでも増えることだけを願って、これからも、どこにいようとも何かを発信し続けること、ビッグを目指すことを諦めずに頑張っていこうと思います。
私のこれまでの人生は、結局、出会ってきたあらゆる人との縁の集積や交わりそのものだけで成り立っている、細密なタイル画のようなものに違いはないので、いつまでもそのタイル一枚一枚への恩に報いるために。


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水曜日、岡山県美作市内に点在する(近年の町村合併までは街の呼び名もばらばらでしたが)親戚のおうちを母と挨拶回りし、母方のじいちゃん家で一夜のんびりさせてもらった後に、翌日は中国縦貫で一路大阪に向かって、6年間通った大学を訪問してきました。

今やおじいちゃん家の訪問自体も久しぶりだし、今思えば幼少の頃も帰省といえばGWかお盆、年末年始、しか機会がなかったもので、この時期に訪れたのは初めてだったとわかりました。というのも、27年めにしてはじめて、じいちゃん家の前を流れる川に無数に群がる蛍の光を目にすることができたのです。

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(ごめんなさい、そうはいっても写真はまともに撮れませんでした。あの流動的で弱々しい光を遊び用カメラで集めて捕えるのは至難の技やな。。。)

ここで育った母に言わせれば、昔は川のラインに沿って光の道ができるくらい(それはさすがに言いすぎやろと疑いつつも)もっともっと凄かったのだそうですが、私にとっては、これまでの人生で見てきた光の数を総合計しても追いつかないくらいの、十分すぎる天然イルミネーション・ショーでした。

蛍の光といえば卒業式で歌うあの歌が思い浮かびます。
蛍なんて、春の季語でもなんでもないのに、それがなんで別れの歌の定番に?と小学生時分に思っていたことがありました。まあ、もちろん歌詞の1番は「蛍雪の功」から来てるので季節的なハナシではまったくない、とあとで気づくのですが。

2番の歌詞に至っては、そういえばただ呪文のように覚えて歌っていました。

とまるも行くも、限りとて、
かたみに思う、ちよろずの、
心のはしを、一言(ひとこと)に、
さきくとばかり、歌うなり。


正直、今でさえ、この4行を黙読して「しみじみ」できるほど詩の意味がいまいち心に入ってきません。

これを、『教科書に出てくる歌のことば図鑑』(ポプラ社)という本の中では次のように意訳してあるらしいです。

別れというものはさびしいものだ。とどまるものにとっても、行くものにとっても……。これきりでもう会えぬかもしれない……そんな気もしながら、おたがいにかぞえきれないほどの思いを、ただひとこと、元気でね、おたがい元気でね、と、心をこめて歌うのだ。

えええ!あの短文にそんなやりとりが宿っていたのか!?
めっちゃ、ええ歌ですやん!!!

里帰りするたび私を肩車してくれてたじいちゃんは、今や私が肩車してあげられそうなくらい小さく弱々しくなってしまったけど、私が生まれた頃や幼少期の思い出話を昨日のことのように聞かせてくれたり、家にほぼ全巻買い揃えてある『美味しんぼ』の最新刊をニヤニヤしながら出してきてくれたり、で、ばあちゃんは相変わらずちゃきちゃきしていて。
ともに80超えたといえまあまだまだふたりとも大丈夫やろ、と思っているのですが、そんなばあちゃんから、帰り際に「これが会うの最後にならんように帰ってきてね」とぽつんと言われて、その言葉が、あの晩に見た幻想的に乱舞する蛍の光の残像とともに、今もふわりふわりと心のどこかをか弱く飛び回っています。


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大学の再訪は、実は大して久方振りでもなんでもなく、最近の受験のために、この半年内でも在籍時代の資料請求のため何度か立ち寄りにきて、そのたびに研究室にちょいと顔を出したりもしていました。
ただ、いつもアポ無しで突撃訪問するとはいえ、決まって誰もいないときに行ってしまって、見知らぬ人とだけ挨拶交わして置き手紙してすごすごと帰ってくる…というパターンやったので、いよいよ今日がラストチャンスの覚悟で。…ていいながら、結局この日も電撃訪問に違いはなかったんですが。


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でも、この日は嬉しいくらい顔なじみの皆様にじゃんじゃん会えました!!
(じゃっかん公私混同しつつ)入り浸って動画編集ばっかして遊ばせていただいてたメディアラボのなんでも話せるスタッフ美生さん、相変わらず立派なお髭の妖精キャラ・文芸学助教ワタナベさんをはじめ、いつのまにか長いパリ留学から帰って来られていた先輩や、仲の良かったスロヴェニア人留学生さんなどなど。直属のボスであった教授にも、(まあちょくちょく東京で飲んだりはしてたけど)本が山積みになった研究室で対面すると、論文指導だの国際学会だのでいろんな種の汗と涙を流してた院生活が生々しく蘇ってきますねえ。
実はこの日、博論提出日の前日という関係者にとっては真剣勝負のお忙しい日でもあったはずなのですが、先生はこの突然来訪した不肖OGを懐かしの学食に連れ出して、しばらくぶりの歓談時間(というか、もはや進路面談)をとってくださいました。先生はすぐまたヨーロッパやフィンランドに来られるだろうから、きっとこれからもお世話になり続けることと思うけれども、なんとか顔を見て出国報告ができて、よかったよかった。

研究室に帰還して、また現地で学生生活に戻ることになりそうで…テヘヘ、という報告をすると、いろいろな先輩方から、

「せっかくカタギになれたのにねえ…」(注:院生生活を辞めて社会人になることの業界用語)

退院できてたのに、たったの2年でまた再入院するんかい!」(注:以下同)

と呆れられ、哀れまれました(笑)

ちなみに、現役の頃からどう贔屓目に見ても文学系の研究者とはいえない勉強ギライなアウェー者だったので、せめて研究室の行事では率先して盛り上げ役を買収し続けることで本業での適正不足な分をなんとかカヴァーしてた自覚はありました。

ところが、私が所属していた美学ゼミのご近所、演劇学ゼミが先日主催した研究会かなにかの集まりの歓談中に何故か私の話題が出たらしく(そもそも何故そんな場に自分の名が飛び出てきたのか気になる。。。)、演劇学教授のN先生が、「ええと、誰だっけそれ」とおっしゃったのに対し、周囲が「ほら、数年前に予餞会(論文諮問後に芸術学系ゼミ合同でおこなう卒業生&修了生を送る会)がどエライことになってた時期があったでしょ、あのときの首謀者ですよ」とフォローして、「ああ、あの子か」と即ご納得された、というエピソードを先輩から嬉しそうに聞かされまして、、、まさかそこまで自分が「伝説の芸術学バラエティ担当」として後世に名を残していたとはまったくの寝耳に水で、さすがに我ながら、開いた口がふさがりませんでした。。。
きっと、肝心の私の研究テーマや論文のことはもう誰も覚えてないにちがいない。まあ、もういいです。そんなことでも、自分のことを記憶にとどめていてくれる人がこの古巣にいらっしゃるなんて、有難き幸せです、とせめて思いたい。

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論文執筆で頭沸騰したり、同期や先輩後輩と語りたくなったりするたびよじのぼっていた美学棟の屋上へとつづくはしご。大学内では、学館(オケの部室)に次いで、ここが2番目に懐かしい場所やなあ。今では立ち入り禁止が強化されているようですが…当時のしがない研究室生活の青色スポットです。ボロくて狭くてきったなくて、褒められる点が何もない美学棟唯一の救いの点は、間違いなく、この屋上があったことでした。それともちろん、心から尊敬できる人との素敵な出会いがたくさんあったこと。たとえ適正はなくても誰よりも研究室だいすきっ子だったので、だからまた再入院してでも学生をやり直そう、って今も思えてるのでしょう、きっと。


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ここまでの全3回全部おんなじパターンですが、最後少しだけフィン絡みの話題をむりやり差し込んで締めくくります。

私が東京で所属していた、アイノラ交響楽団というシベリウス&北欧音楽に特化したオーケストラのwikipediaページづくりに少し前から関わっていて、ついに先日(昨日)、日本語、英語、そしてフィンランド語という三ヶ国語による翻訳ページがそれぞれ完成して、リンクで結ばれましたので公開いたします!!!

アイノラ交響楽団(日本語)http://bit.ly/jnlEfh

Ainola Symphony Orchestra(英語)http://bit.ly/if5LJk

Sinfonia Ainola(フィン語)
http://bit.ly/jsY8Ef


言うまでもなく、一番厄介だったのはフィン語サイトです。翻訳はもちろん私一人では無理なので、私のフィン語講師ラウラ先生のお力添えを得てまず原文完成。ところが大変だったのはそのあとのワードリンク作業でして、プログラミングしてくださった(もちろんフィン語のわからない)団員さんのために、文中のこの名詞はリンク作業をお願いします、というのを示さなければならないのですが、フィンランド語というのは奇妙な言語で、日本語と同様、ある名詞の後に「は」「を」「に」「から」など助詞にあたる語をくっつけて文章をつくっていく所謂「膠着語」なのですが、例えば日本語で「水」という言葉に「は」「を」「に」をくっつけたところで、「水」という単語自体はなにも変化を伴わないのに対し、フィン語ではその「水(に相当する単語)」そのものが、少しずつ音便変化を遂げてゆくのです。
ページ内の最重要キーワード「Sibelius」という人物名ですら、「シベリウスの」と活用させると「Sibeliuksen」というふうに、どっから発生したのかまったく謎である「k」がお目見えしたりとか。

で、これは今回の制作作業で知ったことなのですが、Wikipedia_Suomiの基本ルールとして、上記のように活用した名詞は、その活用形のまま、該当リンクに飛べるようプログラミングするものらしいのです。
つまり、文中に「Sibeliuksen」という単語が初出したとすると、その「ーksen」までを含めた語が画面上では青色になっていて、そこを押すと、「Sibelius」のページに飛ぶ、という仕組み。

そりゃそうでしょ、と思われるかもしれませんが、これがフィン語を知らない方との共同制作サイドとしてはひじょーーに厄介な事象でして、要は、翻訳文の文中の「Sibeliuksen」に、リンクお願いしますの意味で下線だけを引いてプログラマーさんに入稿しても、いざプログラマーさんがその言葉のリンク先をWikipeia_Suomi内に見つけるために検索をかけても、「Sibelius」というページそのものはヒットしなかったりするわけです。だから結局、単語の原形がわからないかぎり、どのサイトにリンクしていいかわからない、ということが多々起こりうる、と。

そういうわけで、私の編集段階で、単に翻訳文の該当単語に下線をひくだけではだめで、その単語のオリジナルフォームをいちいち注釈しなければならなかったため、ひっじょーに面倒な作業に駆られる毎日だったのですよ(涙)ここまで語っても、ニッチな話過ぎて皆さんにはあまりその苦労が伝わっていない気がしますが、、、


ちなみにこのページをつくるにあたって、フォーマットなどを模倣するために、Wikipedia_Suomi内にある、他のあらゆるページ(とりわけフィン国内のオーケストラのページはほぼ全部)を入念にチェックしたのですが、これだけは自信をもって言えます。

Sinfonia Ainolaのフィンランド語ページの充実度は、現存するフィン音楽団体関連ページのなかで最強である!

ヘルシンキフィルや放送響、はたまたウィーン・フィル(フィン語版)などどのサイトと比べても、ここまでしっかり章立てされて作りこんだWiki_Suomiサイトは、どこを探しても見当たりません!!(笑)
まさに生真面目日本人のモノづくり精神、ここにあり!という勢いがみなぎっているではないですか。

ちなみに英語版の方は、2年間お隣で弾かせて頂いていた、英語堪能なヴィオラトップの綾さんが下訳をつくってくださり、さらにお知り合いのネイティブチェックがばっちり入った、純ネイティブイギリス英語で綴られており、これまた自信を持って、世界に存在を発信していけるよすがとなること請け合いです!
大変なプログラミングをすべて引き受けてくださったクラリネットの山岡さんも本当にお疲れ様!


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はあ、なんとか出国までに当初の三ヶ国語アウトプットの目標が達成できて、やれやれですな。

もちろん皆さんには日本語サイトでお楽しみいただければ幸いです。なんとページの一番下には、4月の演奏会の音源もちょっとだけ聞けるよう細工しておりますので、ぜひご笑覧、ご視聴くださいね。
世界でも異例の活動をかれこれ10年続けてきたこの素敵なオケが、世界に羽ばたくことをねがって!!
posted by こばやし あやな at 12:48| Comment(2) | 出国前のばたばた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月08日

【謝】携帯がもう通じません / 祇園×フィン×蛙

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今日は終日、京都市内をあっちこっちうろついておりました。

それで、最初に大事なことを…

実はその移動中、どうやら携帯を落としてしまったみたいなんです。。。なんとまあ、あと数日という死期を悟って、携帯みずから自害に踏み切ってしまったのか。落ちたと思われる範囲や時間は極めて限定的なのですが、なんせその間まったく身に覚えがない。ヘッドホンなどしていたわけでもなかったので、落ちても音で気づくだろうにと思うのだけど、ともかくさっぱり。謎や。

そのあとに一件待ち合わせがあったので、戻って探しに行くこともできず、後で警察に届出したけど今のところそれらしきものは見つかっていないとのことで、その瞬間、早くもあっさり吹っ切れました。
そう、どうせあと数日の命だったのです。その限られた時間でやりとり交わすべき人は、他の手段でもなんとか連絡がつくと思うし、にわかに俗世間の柵から解放された気分になって、むしろせいせいしている…ような、手余し者な私でほんとごめんなさい。

ともあれ、出国予定の日曜日までにいちはやく携帯が通じなくなってしまい、また皆さんの電話番号やアドレス情報もごっそり失ってしまったので(あ、内蔵情報は、セキュリティロックかけてあるので漏れることはないと思います、ご安心ください)、何らかの連絡ややり取りを希望される方は、
各種SNSを通じてか、
スカイプ(ayana0324)、または、
PCアドレス(ayana.kobayashi〈at〉gmail.com)

までご連絡くださいませ。お手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願い致します。


さて、日記に戻りますね。

今日の京都徘徊の目的は、京都在住のお知り合いへの挨拶回り、フィン知人へのコテコテ手土産調達、それからせっかくなので一軒名銭湯巡り(えぇこのために終日おふろセット持ち歩いてましたとも)、そして夜には出張で京都にいらしていた東京の音楽仲間さんと北欧関係者御用達の名物バーで再会の乾杯、という、およそはんなり古都観光とはほど遠い分刻みのプランをこなすためでした。


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ちなみに、過密スケジュールの合間をぬってまでわざわざ尋ねた銭湯というのが、大正期から京都市北区の船岡山のふもとに鎮座し、業界内では「東の大黒湯、西の船岡」と並び称される「船岡温泉」です。(ちなみに、東の大黒湯というのは、東京都足立区北千住にある都内髄一の宮造り銭湯、大黒湯さんのことです。)銭湯道楽に目覚めるのがちと遅かった自分にとっては、この時期になってようやく、という感じです。

最寄りのバス停からしばらく歩く道中、方角が不安だったのでうしろから歩いてきた腰の丸いおばあちゃんに道を確認したら、自分の家が銭湯のすぐ裏手だからといって、歩調を合わせて一緒に向かうことになりました。
このおばあちゃんも、最近でこそ身体が悪いから自分の家のお風呂しか入らなくなったけど、一昔前までは毎日お世話になっていましたよ、とのこと。まいにち船岡、て、贅沢この上ない日常ですな。

はるばる歩いてやってくる客に遠くからでもその場所を示す、京都銭湯の象徴・極太煙突の威厳はいうまでもなく、流曲線の美しい唐破風に下がる彩色された懸魚(偶然にも青×白のフィンカラー。となると、白い鳥のモチーフもヘルシンキの港名物カモメに見えてこなくもない?)、肉厚な欄間のストーリー性あふれる透かし彫り、京御膳の盆を敷き詰めたような上品な格子天井、脱衣した客を浴槽まで誘導する極彩色のマジョリカタイル…

また、東京のどの銭湯でもみたことのない重厚な柱時計には、何故かUSAのロゴ。何よりもこの時計の威圧感にすっかり痲れてしまい、興奮抑えられずに女将さんに尋ねてみると、どうしてアメリカ寄贈の時計がこの湯屋にやってきたかはわからないんやけれど、ともかく大正12年からここで時を刻み続けているらしい。

浴槽でとりわけ感激したのは、露天の「水」風呂。
屋内にも何種もの浴槽が贅沢に配置されているのですが、屋外にはこれまた見事なかけ流しの岩風呂とサウナがあり、2つに仕切られた岩風呂の片方には、きんと冷たい水が張ってあるのです。通常よりかなり熱めに燻されたサウナから飛び出て、そのまま外の空気に身体をさらしながら浸かる天然水風呂、大いにフィンのサウナ儀礼に通ずるではないですか。いやいや、あっぱれ!

フロントからは、ひっきりなしに「おいでやす/おおきに」のしなやか〜な挨拶が聞こえてきます。
開店一時間後の4時ごろで、夕方前の客入り第一次ピークを迎えておりました。といってもほとんどが地元の常連おばあちゃんたち。

そのなかで、ひとりだけ、それは美しい顔立ちの外人さんが脱衣所から中の様子をうかがい続けているのに気づいて、しばらく見惚れていたんです。
いかにも勝手がわからずお手上げ、私なんでこんなとこいるの?という戸惑い丸出しで、暫くまごまごしながら、なんとついに、脱衣所入り口の水道で密やかに身体を洗い始めたのです。あちゃーと思い助け舟を出しにいこうとしたら、私よりさきにおばあちゃんの一人が飛んできて、絶対通じていないであろう京都弁でまくしたてて、むりやり中のカランの場所に誘導していかはった。。。
そのときの外人さんの表情に浮き出た困惑の色が、"lost in translation"のスカーレット・ヨハンソンを彷彿とさせてちょっとクスっと来た。きっと彼女は、日本文化オタクな彼氏との京都旅行中、無理やりこの銭湯に連れてこられて、ノリノリの相方と暖簾のゲート前で強制離別させられてここに放り出されてしまったのだろう、とか想像して。
まあ、せっかくなのでのんびり楽しんでいってくださいな。


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…関係者内では言わずと知れたこの銭湯の凄まじさや珍エピソードについてこれ以上語り始めると、フィンの話そっちのけで話が止まらなくなりそうなんで、こらえて最小限にとどめておきます。すでにネット上には無数の訪問記や撮影写真が散見されますので、是非それらを御覧ください、そして次回の京都観光のコースに加えてみてくださいな。北野天満宮や大徳寺からも歩ける距離です。


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湯冷ましに、風呂やの目の前に佇む船岡山一帯に祀られた「建勲神社」に少しだけ立ち寄ってお参りしてきました。

建勲神社といえばかの信長公を主祭神とした大社で、そういえば前職では度々お世話になっておりました(信長家臣団の肖像画の宝庫です)。境内は、派手派手しい信長のイメージとは離れた、静謐で質素剛健なたたずまいです。
また、この船岡山自体は、前職在職中に私がもっとも戦局把握に苦しんでいた足利将軍家と細川家の権力闘争の中心舞台のひとつでもあったので、ほろ苦い思い出の地を訪ねた気分でした。
(そして携帯なくしたのは、たぶんこの境内と思われます。。。1年間食べていくのにこれでもかとお世話になってた、信長さんへの貢物となってしまわれたようだ。)


ああもう、今日もまた、フィン話に到着するまで既にどれだけ油売っとるねんという感じですが…

夜に、私が東京で在籍していたオケのティンパニ奏者山本さんと再会し、先斗町のお好み焼き屋さんで軽く胃を満たした後にいざむかったバーは、京都に数あるフィンランド関連のお店の草分け的存在とも言える、こちらのお店です。

ぎをん FINLANDIA BAR http://finlandiabar.com/

花見小路を一筋入った界隈の長屋の一角でこじんまりと経営されている北欧のお酒専門のバーでして、もともとは希少なフィンランド料理店から出発したお店でもありました。このお店を立ち上げられたお一人が、私も留学以来長くお世話になっている関西日本フィンランド協会理事長の坂田さんという実に素敵な方です(ついこの間まで、アイスランド航空をはじめとする4つもの欧州航空会社日本地区の総支配人を務めておられた上に、フィンやスウェーデンの名物ホテル・アイスホテルのオープンの功労者でもあられる北欧の達人です)。

引き戸をがらりと開けて店内に入り、一瞬面食らうのが、まったくBGMの流れない、しんとした空間。
この静けさに満たされたパブリック空間は、ありそうでない気がしませんか。
まるで、冬のフィンの森の中で営まれるバーカウンタのよう。

たとえばフィンランドものだと、言わずと知れたフィンランディアウォッカ各種や60度を記録するコスケンコルヴァはもちろん、産地ベリーを使ったリキュールや、そういえばAlko(フィンの酒屋チェーン)でみかけたことあるかも、というマイナーウォッカなどがずらり取り揃えられています。
でも、フィンものだけでは品数がイマイチ、てなわけで、スェーデンやアイスランドなど北欧各地の銘酒をひと通り揃えるに至ったのだそう。
更けゆく華やかな祇園の裏路地で、オトナノルディックなひとときを過ごしたい方に、おすすめの一軒です。

・・・て、集った二人は、まあ決してそんなオサレな雰囲気になじめるようなキャラクターではないもの同士やったんですけどね〜

そのうえ、話が弾むなかで急遽山本さんの古いご友人がお一人遅れて参戦することとなり、神戸への終電ギリギリまで、三人で楽しく飲み明かしておりました。

山本さんご自身も、お仕事で何度もフィンランドに出張に来られているお方で現地トークも弾むのですが、あとから来られて初対面を果たした山岸さんという方が、またどえらくおもろい方やったのです!!!


ええと、すでに私を知る人は、極度のカエル好きという偏向?もすでにご理解くださっていることと存じますが、この山岸さんは、そんな私のフィンランド×蛙というニッチすぎる趣向をがっちり共有してくださる…いやむしろ蛙については、ただ専門知識もなく愛でてるだけの私とは比べものにならないくらいの蛙博士であり、稼業にさえされているスペシャリストさんなのです。

こちら、山岸さんの工房のホームページを是非ご覧あれ!!



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(勝手ながら画像もHPより拝借いたしました)

見ての通り、山岸さんの本職は、本物に忠実な手作りカエルフィギュアの職人さんなのだそうです。フィギュアというとなんだか軽いイメージがつきまとってしまうけれど、一体一体オーブン粘土で丁寧に造形され、一度焼いた作品の上に、アクリル絵の具で精細な彩色を施して作られています。本物に極めて忠実な学術標本レヴェルの作品から、表情や仕草をちょっぴりデフォルメした、見てるだけでニヤけてくる愛らしい作品まで。

そんな山岸さんとフィンランドの出会いは、なんと以前、ヘルシンキ市内の名物動物園、コルケアサーリ動物園から、直々に作品展示の依頼を受けたことがあり、そのとき初めてフィンランドのことについて調べたり現地に訪れるようになって、フィンランド(の、とりわけ森と音楽)にすっかり惹かれてしまったのだとか。音楽知識のほうは、だいぶ山本さんが吹きこんでらっしゃるのがよくわかりましたが笑

ホームページなど拝見していても、日本産のカエルちゃんたちの写真の背景に、何故かちらちらフィンの森のイメージ画像が・・・!
その素晴らしきコラボレーションに、私は頬がゆるみっぱなしです、むふふ。

これまで気になっていたけれど自分で調べるに至っていなかった、フィンランドにおける生息カエルの種別などについてもレクチャーしていただき、まさに思いがけぬ出会いここにあり、な一夜でした。突発的に仲人をつとめてくださった山本さんにも感謝です。次はぜひ三人そろってフィンランドでお会いしましょう〜
(ちなみに山岸さんは本日婚姻届を出されるのだとか。そんな大事な前夜にお付き合いいただいてありがとうございました。こんなトコロからではありますが、心より、おめでとうございます!お幸せにケロケロ!)


ええと最後に、本日は、岡山のじーちゃん家に帰省してくるので、更新はまた明日以降に。それどころか、携帯もネット環境もない地に篭るので名実ともに音信不通となってしまいますが、ご容赦くださいませ。

posted by こばやし あやな at 14:02| Comment(4) | 出国前のばたばた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月06日

ひとつ よしなに

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皆さんお待たせしました!
出国までいよいよ一週間を切った本日6月6日より、私、こばやしあやなのフィンランド一色ブログ「Suomiのおかんの湖畔会議」の更新をキックオフいたします。
1日1フィンランドの公約を果たせるよう、ネット環境のある限り、毎日何かしらのフィンな話題を気楽に綴っていきたいなと思っておりますので、どうぞ、ひとつよしなに。

私の素性やこれからの生活のことは、今後の日記を通しておいおいお話してゆくとして、緊張気味の今日はひとまず、東京からの帰郷後の簡易近況報告と、ブログタイトルの由来(というか考案秘話)についてお話します。


5月29日の晩、音楽仲間や職場の元同僚、そして高円寺のご近所さんたちにそれは盛大に見送られながら新宿を後にして、自分の体重を上回る重量の荷物とともに実家・北神戸に帰ってまいりました。
新喜劇のようにドタバタで、寂しさの隙もなくただ賑やかすぎたあの別れの瞬間から、もう一週間すぎたんやねえ。


それからは毎日、新生児のように好きな時間に寝て食べてを繰り返しながら、


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田植えシーズンを迎えている地元の緑と土のにおいをたっぷり吸い込んではしゃいだり、


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幼なじみらと隣町まで真夜中の肝試しドライブに繰り出したり、


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淡路島で何年ぶりかのプチ家族旅行を決行したり、


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大学オケ時代の同胞と5年ぶりの再現合宿したり・・・


などと、びっちびちに近場での再会と娯楽を詰め込んでおります。もちろん、その合間にいそいそと出国準備にも手をかけつつ、なのですが。

2年間、時につま先しびれるくらい背伸びをしながらも、なんだかんだで自分ぽさを保ち続けて、スピーディで刺激的で実りある東京生活を謳歌してきました。そのすべてに一区切りつけて、やっとこさ戻ってきた地元の空気、西の風は、なんてったって悠揚迫らず心地良い。長居してたら、どんどん冒険心が砂塵と化していきそうな怖ささえもあるし、エネルギー充填名目にはあと一週間くらいがちょうどいいのかもと思います。


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さて、話変わって、なんで「Suomiのおかんの湖畔会議」か、の弁解ですが、まず「Suomiのおかん」の屋号に込めた思いは、ウェブサイトのこちらで簡潔に綴っていますゆえ割愛。

それでもなお、主に東の人から多く寄せられたのが、「未婚でも〈おかん〉でいいの?」という疑問の声。。。
自分としてはそれまで違和感を感じないポイントだったもので、尋ねられてから初めて自問したのですが、たぶん関西人にとって「おかん」というのは、母親、という実際的なポジションを指す言葉である以前に、一種のキャラクターの形容詞としての認識が強いのではと思います。

やたらに甲斐甲斐しくて世話好きで、初対面でもかまわず馴れ馴れしくて、情報通なことがプライドで、人情にモノを言わせるうえに、正義感だけは人一倍強い…

「おかん」と聞いて我々関西人が思い起こすのは、あまり歳や身分に関係なく、そういうイメージのたくましい母ちゃんキャラ、じゃないでしょうか。あれ、私だけっすかね??

まあ、いつかほんとのおかんになる頃まで、このポリシーや目標を追い続けて仕事を成就させていられたらな、という長期戦への意志もこめて、この屋号とともにぼちぼち頑張っていきたいと思っています!


「湖畔会議」のほうですが、いや〜ここはだいぶ悩んだ形跡が手帳の罫線を無視した荒いメモ書きのなかにに多々残っております。「Suomiのおかんの…」に続く小気味良いフレーズ、ということで、最初はなにか「名詞化された複合動詞」にこだわって、いろいろ列挙していたようです。笑い泣き、立ち話、股のぞき(←?)、ひとふで書き・・・

そのうち、「おかんがしそうなこと」に掛けるのがいい気がしてきて、井戸端会議?→あれ、フィンランドに井戸端はあるのか?→フィンで語らう場所といえば湖畔!→じゃあ、湖畔会議でええやん

という流れの末、ここに落ち着きました。。。

ちなみに、このブログやホームページのデザインをやってくれた友人には「Suomiのおかんが湖畔でごはん」というグッド・リズミカル賞な案を頂いてこれまた迷ったのですが、そうするとほんとに食べ物の話題に傾倒しかねないということで、ここはごはんでなく会議でまいります。

それにしても、このホームページ&ブログを素敵なデザインに仕上げてくれたクロス君には感謝感激、Kiitosです!!

マリメッコのテキスタイルみたいに、多色多要素なのに調和性のあるバランス感覚と、大阪のネオンのような騒がしさと、かわいいトナカイ君のモチーフを融合させたデザインを編み出してほしい
という私のむちゃぶり第一声に当初困惑しつつも、出来てみれば、見事にそのすべてを叶えてくれてるやないですか!!さすが、プロのデザイナーのヒアリング力と創造の引き出しはすごいですねえ。

そんなマルチデザイナーの友人クロス君が、現在、古巣・高円寺で私が毎週通っていた愛すべき街のお風呂屋さん「小杉湯」併設の銭湯ギャラリー(こちら)にて、ミニ写真展を開催中ですので宣伝をば!!

実はこの6月の個展開催権は、もともと2年前に私が抑えていたのですが(誰でも無料で個展をさせてもらえる大人気ギャラリーなので、常に2年以上先まで予約がいっぱいなのです)、まさか自分がこんなにあっさり東京を去ることになるとは考えもしてなかったので、結果ぎりぎり個展を諦めざるを得なくなったのでした。というわけで、譲り手を探していたタイミングでお仕事することになった彼に、そのまますいっとバトンタッチ。

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私は採寸に立ち会っただけで現物は見られずじまいでしたが、風呂屋の伝統建築の空間で、大胆にヨーロッパの写真作品を展示しているようです。東京の皆さん、是非一度ひとっぷろ浴びがてら、ギャラリーにお立ち寄りくださいね!会期は6月いっぱいです。ちなみに、ここのお風呂もまた、建築、お湯質、サービス、なにをとっても遠方から足を運んでも損はさせないお墨付き銭湯です!!ご贔屓の程を。


ふぅ。
最初っからついとばしすぎましたかね〜。
ブログという無限の紙面は恐いもので、ほっとくと推敲なしにいくらでも言葉が放流されてしまいます。。。
今後はもう少しコンパクトに、かつ徐々に敬体を解除しながら、フィンランドよもやま話を堆積してゆけたらなと思う次第であります。コメントなどもどうぞお気軽に、そして今後とも、末永くよろしくお願いいたします。
posted by こばやし あやな at 23:23| Comment(4) | 出国前のばたばた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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