2017年04月05日

アレグロ・ノン・トロッポ考

P1080326.JPG

フィンランド独立100周年ということで、クラシック音楽界では、このあいだ生誕150年を各地で盛大に祝福されたばかりのシベリウスが、フィンランドの独立機運を支えた国民的作曲家として再び演奏されまくる一年となりそう。奇しくも古巣である日本のシベリウスオケ、アイノラ響でも、それから今年のシベリウス音楽祭のラハティ響でも、今年は「報道の日」祝典のための音楽が演奏されるらしい。これは、言わずと知れたフィンランディアの原型(たぶんマニア以外が聞いても違いにはあんまり気づかないと思う)が終曲に入っている劇音楽で、本当はこれが演奏された祝典とやら自体がバリバリの独立運動デモだったんだけれど、ロシアの検閲から目を逸らすために「報道の日(Sanomalehdistön päivät)」なんていう名目で強行されたいわくつきの集会。ちなみに会場は、エスプラナーディ通りに今でもあるスウェーデン劇場だったらしい。もちろんまだ現在の白い建物ではなかったけど。

というわけで、アイノラ響みたいにコンセプトを銘打ってるわけではないとは言え、こんな記念年でなくとも普段からシベリウスを始めフィンランド人作曲家の現代曲をバンバンとりあげる傾向のある類まれな学生オケ、ユヴァスキュラ大学交響楽団でも、おもに年2回ある定期公演で、まあ間違いなく今年はフィン色強いプログラムが組まれるのだろうということは予想されていた。で昨年末に、「次の演奏会のメインはシンフォニー2番らしいよ」と聞いて、ああ、春はまず無難に超有名どころでシベ2(シベリウスの2番)か、と一瞬思った私は甘かった、後日手渡された譜面は、オウル出身のシベリウスより少し後の時代のフィンランド人作曲家、レーヴィ・マデトヤの交響曲2番でしたとさ!!というのも、シンフォニー作曲家としての彼の名声をあげるきっかけとなったこの2番は、初演は1918年だけどおもに100年前の1917年を費やして作られた曲らしい。ちなみに今季の演奏会は全部そいういうコンセプトで選ばれていて、一曲目はシベリウスがやはり1917年に発表したユーモレスクの3番。

マデトヤのシンフォニーなんて、クラシック好きのフィンランド人でも「2番?あぁあの戦争色バリバリのやつね」ってすぐメロディが思い浮かぶ人なんてそうそういないやろう…。
フィンランド独立の歴史は、戦争の歴史。初演に至った1918年には、マデトヤは兄を赤軍の攻撃で亡くしているし、当時のフィンランド人作曲家界のルーキー、トイヴォ・クーラも白軍の勝利を祝う酒宴会場で射殺されるなど、身近なところで痛ましいこと続きだった。そんなさなかに出来た曲が、軍事色の強いパッセージが多く、怒りと悲しみに満ちた激動の曲になったのはある意味必然的な状況描写だったと思われる。



こちら、勇ましさ全開の3楽章。なんか随所にシベリウスのレンミンカイネン組曲の終曲っぽいフレーズが出てきて、弾くたびに思い出してしまう。ちなみに後半の軍隊マーチの先陣を切るのはビオラ。ま、我々しょせん最初に戦地に赴かされる歩兵がお似合いだよね〜、と世界共通の自虐文句がビオラパート内では交わされていた笑

ところで、この3楽章の速度標語がAllegro non troppo(アレグロ・ノン・トロッポ)だということに、上の動画を再生していて始めてきづいて、ちょっとときめいた。アレグロ・ノン・トロッポという言葉は、それこそ10年前、日本で一番時間と情熱を燃やしてオーケストラ活動に打ち込んでいたころ、その意図するところについてオケ仲間とたくさん論議もしたし、以来ひっそり人生の教訓に据えているフレーズでもある。
一般的な解釈として、アレグロ・ノン・トロッポは、「急ぎすぎずに」と訳される。
Wiktionaryの解説でも、allegro (“fast”) + non (“not”) + troppo (“too much”) ということでFast, but not too fast.だと。まあ、アバウトだけれど、言わんとしていることはわかる。シベリウスのヴァイオリン協奏曲の三楽章にも、あの快活な民族風リズムが雪崩を起こさぬよう最初にアレグロ・マ・ノン・トロッポと釘が刺されている(「マ」はbutであってもなくても意味はほぼおなじ)
ただ、必ずしもこの標語がしっくりこないのに、曲や楽章の最初に堂々とアレグロ・ノン・トロッポと書かれているのにも時々出くわす。それが多発する作曲家のひとりが、やっぱりなんだかんだで私自身一番好き、というか殿堂入りを認めざるをえないブラームス様。例えば交響曲1番第四楽章の中間部の、弦から始まり高揚してゆくあの有名なメロディ、交響曲4番の第一楽章、ヴァイオリン協奏曲の第一楽章などがそう。これらはそもそも速く弾かねばという衝動にはかられないし、実際たいがいはまあまあ落ち着いたテンポから演奏が始まる。じゃあ、ブラームスの考えるアレグロってなんなんだろう?

DSC_2665.JPG

もちろん死人に口なしだし、後世の色んな人がいろんな解釈をしているから正解をこれとひとつに絞ることは出来ないけれど、私が「気に入っている」解釈と言うか発想は、そもそもアレグロを始め速度標語や音楽用語の大半のベースになっているイタリア語では、アレグロというのは早い遅いという速度の相対性を表す形容詞というより、感情がプラスの方向に振れるニュアンスを示す言葉だ、ということ。大学オケのトレーナーに来てたイタリアかぶれの京響ヴァイオリニストの名物先生がよくこの事例を引き合いに出し、今一度あらゆる音楽用語に組み込まれた単語をイタリア語で引き直したら、きっといろいろ価値観が変わるとたびたびおっしゃられていた。
今試しにgoogle translationでallegroという言葉を調べてみたら、英語でcheerful/joyful、フィンランド語でiloinenと訳されて出てきた(日本語ではなぜか「メリー」ww)。やっぱり本家の感覚では、速い遅い云々より、幸福感ゆえノリが良いというそっちの方向を指す言葉なのは明らかだ。まあ、およそ気分が高揚してくると、鼓動のテンポに比例して、冷静にコントロールをしない限り表現のテンポは速くなり、まあその他にもいろいろおざなりになってくる。だから、non troppo(but not too much)というブレーキの一言がちゃんと添えられている。感情は高ぶってもいいけれど、きちんとコントロールされて抑制が効いていないと見苦しい、というブラームスのお告げなんだと思う。今風に言えば、冷静と情熱のあいだで、と、そんな感じじゃなかろうか。だったら、4番1楽章の表現にもおのずとイメージが浮かび上がってくる。あそこまでズブズブのメランコリックに走りたくなる調べだからこそ、感情に流されるのでなく、ストイックに、頭でその表現方法を計算しながら、我々は響きを作らなければならないのだろう。

生き方もそうありたい、と、ブラームス三昧だった学生時代から、アレグロ・ノン・トロッポを一種の憧れのようにずっと心に留め続けている。「生き急ぐな」というニュアンスももちろんのこと。でもここではブラームスバージョンをより重視したい。いわゆる人間味と称されるような、人を和ませたり楽しませたりするエンターテイナー精神や、泣いたり笑ったりを躊躇しない素直な心を何時もベースに敷くのはマスト。けれど感情や状況にほだされ続けてるだけじゃだめなのだ。いつでもどこか冷静さを保ち、秘密を守り、自分のコントロールが効いているという手応えをどこかで感じ続けて日々を生きていきたい、と強く思って日々あがいている。コントロールミスも想定外の外的影響も未だにあまりにたくさんあって、実行できてるという実感を得られる瞬間は少ないのだけれど…。

DSC_2654.JPG

少なくとも、フィンランドでコーディネーターという仕事に携わるようになって、人生においてアレグロ・ノン・トロッポを(無自覚かもしれないけれど)完璧に体現されていると感じずにいられない方に、数名出会えた。何かの世界でものすごい成果を残している人もいれば、地味に素朴に我道を行っている人もいる。ただおもしろいことに、そういう人たちとは得てして一緒に過ごす時間がいつもとてつもなく速く感じるし、立場の違い(格差?)はすごくてもなお気が楽で、すごく相性がいい。相性が良いかどうかは相手にも聞かないとわからないことで片思いの場合もあるかもしれないけど、最初は完全に仕事相手として出会っておきながら、絶対めちゃくちゃ忙しいはずなのにその後も自然にプライベートでも交流が続いているということには、不安になる必要はないはずと思う。

今の仕事の良し悪しについては最近よく思い悩んだりもするけれど、正直、たまのこういう出会いひとつで、ネガティブな思考は瞬時に吹っ飛び、出世も到達目的も何もいらないからずっと今の立場にしがみついて人生を味わいたい、と考えるようになったりする。適当やなー

allegro_non_troppo.jpg

ところで、アレグロ・ノン・トロッポつながりで、どえらい映画を掘り当ててしまった。上の眼力ありありの子猫を見て、ピンとくる人もおられるのだろうか。「ネオ・ファンタジア」という邦題で輸入され、10年ちょっと前にひっそり再上映やDVD化もなされていたそうなんですが。イタリアの70年代の作品で、なにをかくそう原題がAllegro non troppoなんですよ。例によって日本語タイトルだけ、どうしてこうなったーーー!
まあ、その邦題もわからなくはなくて、この映画全体が、かのディズニーの「ファンタジア」のオマージュというかパロディーというか…なつくりではあるのです。6曲の有名なクラシック曲それぞれに、曲のイメージや緩急にぴったりよりそったアニメーションが創作されていて、しかもその幕間に、ばあちゃんばかりが舞台に乗った奇妙なオーケストラの実写版ドタバタコント?が挿し込まれている、という。ファンタジアでは、魔法使いの弟子とか禿山の一夜なんかがそのモチーフ曲になっていたけれど、ANTでは出てくる順に挙げると、牧神の午後への前奏曲(ドビュッシー)、スラブ舞曲7番(ドヴォルザーク)、ボレロ(ラヴェル)、悲しきワルツ(シベリウス!)、2つのオーボエと2つのクラリネットのための協奏曲(ヴィヴァルディ)、そして火の鳥(ストラヴィンスキー)。
このそれぞれのアニメの完成度が、そもそものストーリーの発想の自由さが、凄まじく素晴らしいの!!とりわけボレロはそれぞれの登場キャラクターのタイミングや出演時間まで完璧に計算しつくされているし(どういう意味かはぜひ実際に見てにんまりしてください)、シベリウスも本家「クオレマ」のストーリーも踏まえてありながらとにかく物悲しく叙情的。他の作品もつねに皮肉か悲哀かエロスか、といったところ(笑)すごい名曲ありきでここまで自由な表現をはめている芸術作品となると、最近まで見てたフィギュアスケートの演技に近いものがあるかも。
ネット上にも動画が落ちていてひとまずそこから見たけど、イタリア語の会話が入る実写編は訳もなかったし、これはぜひDVDで手に入れていつでも思い出したときに見られる場所に置いておきたい。

奇しくもwikipedia(英語版)のこの作品紹介のページに、ここまで延々ダラダラ書いてきた拙論を頼もしく、簡潔明快に裏付けてくれている一節があったので、最後はその部分を抜粋コピペして、今晩はぼちぼち筆を置きます。

In music, an instruction of "allegro ma non troppo" means to play "fast, but not overly so". Without the "ma", it means Not So Fast!, an interjection meaning "slow down" or "think before you act".
The common meaning of "allegro" in Italian is "joyful". The title reveals therefore a dual meaning of "allegro", and in addition to meaning "Not So Fast!" can also be read as "joyful, but not too much".



P1080340.JPG

読み手を振り切り振り払い置き去りにしながら、久々にこんなに書いてしまいました。もしここまで一緒にたどり着いてくださった方がいれば、お付き合いいただきほんとうにありがとうございました。私もちょっとスッキリしました。

ayana@jyväskylä.fi


にほんブログ村 海外生活ブログ フィンランド情報へ


来週の今ごろは日本!桜よどうかもう少し留まっていてください!



posted by こばやし あやな at 07:32| Comment(0) | Suomi×音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。