2016年01月25日

涙なしに語れない卒業までの道のり(2)

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前回の続きのお話です。

「苦節4.5年、どうやらようやく、私のユヴァスキュラ大学院修士課程での修了・卒業が内定したらしい!!」

…いろいろワケありで自力だけで導いた修了とは言いがたいんだけど、それでも修了は修了ですっ(嬉涙)…という、その「ワケあり」部分の暴露日記の後半戦です。賄賂で単位を買ったとかそういうきな臭い話ではないので、ひょっとしたら今後フィンランドに正規学生として留学する方々の参考になる情報があるかもしれないし、後編は特に、世界に誇るフィンランド教育の特徴というか真髄が浮き彫りになったエピソードとも言えるので、そういう視点からでも「こんなことがあるのか…」と楽しんでいただけたら嬉しいです。
別に読み飛ばしていただいてもまーったく差し支えないのですが、一応まず前編(こちら)をご一読いただければ、ここまでのあらすじも追っかけることができますよ〜

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空前のフィン語作文アレルギー発祥で、どうにも残り2つのレポートに手をつけることができなくて、ドロップアウト(受講講座からだけでなく、大学院の修士課程そのものからの)を真剣に考え、離脱準備を進めていた冬休み。一番初めに心境を打ち明けていたミッコには、「レポートくらい、日本語でわかりやすく内容喋ってくれたら僕が全部翻訳して書いてあげるから…」となだめられ、でもさすがにサラリーマンに25ページのレポートのゴーストライターになってもらってまで卒業したいという気も全く無くて、丁重にお断りする日々。
大学友だちやオケ仲間にも、学食などで会ったときに少し話を聞いてもらったのですが、みんな「それなら全然無理する必要はないよ」と労ってくれながらも、「でもまだ在籍はしておいて時を待つのでもいいんじゃないかなあ。また突然やる気や体力が戻ってくるかもしれないし。」という、学費なし・手当の十分すぎる大学生ご身分を謳歌するフィンランド人ならではの見解がほとんど。ただ、何人かの友だちがそれとは別に、「フィンランドの大学はもちろん要件単位は細かく決まっているけれど、個々人のいろんな事情で、すでに取得した余剰単位の読み替え申請や、特別単位を出してもらうことだってできなくはないよ。だから結論を出す前に、まずはアマヌエンッシに相談に行くのがいいんじゃないかなあ」というアドバイスをくれました。

アマヌエンッシ(amanuenssi)というのは、大学の学部内の、さらに学科ごとに設置された教務部で、学生の単位や学位習得に関する監査やカウンセリングをしてくれる人のことです。個々の授業の単位認定は、もちろんその担当教官が処理を行ない、随時成績証明に反映されていきますが、アマヌエンッシは、学生が取得した単位の書き換えや読み替え、さらには新しい単位の「創出」までを司る、まさに神か閻魔大王か、という存在なのです。

単位の読み替えねえ…と、自分のこれまでの成績証明を眺めながらぼんやり思案にくれていたとき(これも前回書きましたが、私は必修科目の要件単位が足らないだけで、単位数自体はいろんな学科に浮気しながら要件数より20単位以上多く取ってあります…)、同じ街の別の大学(応用科学大学、以下JAMK)に通う友だちから耳寄り情報を得ました。少なくともJAMKでは、過去に通っていた大学なり専門学校で同類の授業を受けて単位を取ってる事を証明できたら、今の学校での取り直しは免除される…というもの。それ、ひょっとしてうちの大学でも認められるのかな…?だとすれば、私は日本の大学院でも今取りこぼしてる授業とタイトルだけ見ればほぼ同等の授業単位を取っているので、それを見せたら免除されるかも…

ということで、こんなこともあろうかと?移住前に母校で2部もらってきてあった英語版の修了証明と成績証明を引っ張り出してきて、そのスキャンデータとともに、アマヌエンッシのユハに嘆願のメールを書いてみました。「論文も出したし、卒業したいのは山々なのだけれど、もう自分の実力や体力に限界が来てしまいました。この過去の大学の取得単位の読み替えが認められないようなら、あとは大人しく中退の道を選びます…」と、本音としたたかさを全てさらけ出し…。
ユハからはなんと30分もしないうちに、長大なメールが返ってきました。しかもどうやらこの短時間に、しっかり私のこれまでの取得単位一覧を調べて、すぐに対策を検討してくれたみたい。ううう、さすが芸術学科生の誰もが「こんなにも仕事が迅速・敏腕なスタッフはフィンランドにそうそういない」と日頃から絶大な信頼を置く我らがアマヌエンッシ、ユハよ。。

しかもその返答には、

「(まず冒頭にここまで非母国語でしかも仕事と両立させながらよく頑張ってきたね、という泣かせてくれる労いの言葉が続いた後に、)悪いニュースと良いニュースがあるので、まずは悪い方から。残念ながら、うちの大学では過去の大学の修了要件単位として使った単位の読み替えは認められない。したがって、日本の大学で取った単位はここでは使えない。けれど良いニュースは、私は幸い必要数よりかなり多い単位を取得しているし、事実としては全大学で同等の内容を学習済みということはわかったので、取り残された10単位のうちの5単位分は、余剰単位で読み替えることは可能。さらに残りの5単位は、もし君がこれまで学業の傍らでフリーランスでやってきたという仕事が、『この大学の学科で学んだことを活かした職業である、あるいは仕事の成果が学業にも良い影響を与えてくれた』ということが客観的にわかるレポートを5ページくらい書いて僕を納得させることができたら、専門必修単位に読み替え可能な"job training単位"を5単位あげるけど、どう?」

…と、まさにこれまでの悩みや苦しみの煮詰まった鍋をかぱっとひっくり返してくれるかのような、画期的な救済案が提案されていたのでした。

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仕事と、学業。思えばこの数年の私の生活は、この二つの両立に苦しみもがいてばかりでしたね…。けれど、それぞれがスケジュール上で拮抗していただけかといえば、それは全然違う。私は文系や人文学部が役に立たないと軽視されることがずっと嫌だったし、そんなはずないという確信を持っていろいろじたばたしてきた末、今の仕事にたどり着きました。日本の文学部にいた時からも、絶対この学科に身をおいていたからこそ体験できたことや、出会えた人からの教えや、身についた思考力・文章力・アウトローであること恐れない度胸(笑)を武器に、社会のどこかしらで役に立ちながら、かつ絶対幸せな人生を送ってやると息巻いてきたし、その理想をこれからどうにか満たしていけそうな手応えも、今少しずつ蓄えられています。

どんな未知の世界を取材するときでも、娯楽番組をコーディネーションするときでも、誰かの何気ない言葉を通訳翻訳するときでも、人間らしい知性と温かさだけは、ぶれない軸として大切に保ち続けなければいけないと常々思っていて、その軸の芯部を形成してくれたのは、他でもない、O阪大学とJキュラ大学で書き続けたレポートであり論文であり、教授をくださった先生方であり同僚たちだったと、つくづく思います。もちろんそれに加えて、こんな超短期で私のフィンランド語をそれなりに使い物になるレヴェルに育て上げてくれた言語学部の先生方や、日々の先生であった大学の友だちへの感謝も計り知れません。

…とまあ、レポートではこんなアイドルの卒業スピーチ的な想いをそのまま書き綴ったわけではもちろんなく、これまで関わった取材やロケのプロジェクトのなかで、内容や取材プロセスにおいて人文学や芸術教育学の知識や考え方が応用された事例をいくつか紹介し、日本とフィンランドという異文化をまたいでメディア・コーディネーションやジャーナリズムの仕事に関わるうえでの気付きや諸問題を提議するような内容のものを提出しました。なぜか今回の作文作業だけはするするとはかどり、人生最後のレポートは、なんとたったの半日で仕上がってしました。あれ、5ページをこんなにさくっと書けたんなら本来のレポート2つくらいどうにかなったんじゃない?という疑念が自分でも一瞬よぎりましたが、まあこれは、大半が事業報告レポートという書きやすい内容だった上に、マラソンでゴールが見えてきたときにこそ発揮しうるラストスパ―トってやつだったんですよね、きっと(笑)

例によってユハからは30分とたたないうちにメールが返ってきて、「レポートすっごい面白かったよ!フィンランド人でも就職難の今の時代に、自分のバックグラウンドや能力が活かせる天職がみつかってよかったね!あとはこっちで単位処理しておくから、学位希求のオンライン手続きをして、シャンパン冷やして待っときな!」と、なんだか急展開に対しての彼のノリの軽さに、あららこれはひょっとして夢なんじゃないか…と、にわかに信じがたいような複雑な気持ちに。(ちなみにそんなユハの、大学HPに載せられたプロフィール写真はこちらですww入学当初はこんなパンクな人に自分の単位預けて大丈夫なのかと私も周りもみんなビビってましたが笑。)

ともあれ数時間後にはちゃんと大学から単位確定のオフィシャル通知メールが届いて、これにて、めでたく、ユヴァスキュラ大学修士過程修了が確定したのでした。

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今回の一連の対応やプロセスを経て、自分でもあらためて、単位って、大学での勉強って何なのだろう、ということを(最後の最後で)考えなおすきっかけを得ました。

少なくとも日本の大学では、大学外でのバイトや仕事の実績や頑張りが単位と互換されるということは考えられないし、担当教官が生徒個々人の事情をヒアリングして、自宅学習課題やレポート締め切り延長など単位取得のための代替案を提案したり、それぞれの単位を出す教官以外の人が、その学生の習熟度なり境遇を推し量って単位を創出・コントロールするという行為も、信じがたい目で見られることでしょう。

でも一方で、単位の価値の不公平性って日本のほうが顕著だったとも思うのです。うちの大学は、大学全体の傾向として「地中に埋まった単位を掘り起こさねきゃならない大学」と関西圏で揶揄されてたくらい単位には厳しい大学だったみたいですが、それでも入学したらまずどこかの専門サークルが作っている「講義情報(と名のつく、先生や教科による単位の"取れやすさ"を分析、可視化した一覧ノート)」を入手し、単位に甘い先生をターゲットに少しでも楽して単位を稼ごうとするのが普通でした。
こちらの大学では、どんな教科や担当教官であれ単位がもらえるまでの課題量やその難易度は、マニュアルもあるのではと察するくらい比較的均衡がとれていて、この先生だから単位が取りやすい、というのは聞いたことがありません。そもそも生徒も、単位の取れやすさよりは先生や授業の質の良さを確実に重視します。昨年度の授業の内容の評判を聞いて選択科目を選んだり、あるいは最初にその先生に「こんな授業を希望する」という要望を伝えたりするくらいです。
様々な事情で(たとえそれが「大学外での仕事が忙しくて…」であったとしても、)どうしても人並みに授業や単位取得プロセスについていけない人にたいする代替案も、それ相当の別課題を課したり、その時間で学ぶ内容の習熟度があるかを判定するのは絶対です。ですから、それらは「えこひいき」と言うのとは違います。

ただ、個々人が何かを学ぶそのプロセスやアプローチ方法には固執しない。その人にとって結果的に学ぶことがあったならそれでいいじゃない、という柔軟さが、フィンランドの(おそらく大学教育に限らず)教育現場での基本スタンスなのでしょう。単位は、その一つひとつの学びにたどり着いた証にすぎないもの。
ある目標地点への到達までの個々人の足並み(プロセス)をシステマチックに揃えさせるのは、ある意味簡単です。同じ現場に呼び寄せて、同じ説法を聞かせて、同じ課題を同じ時間にこなさせて、その最終結果だけを個別判定すれば良いのですからね。そのプロセスについてこられない人は、去る者追わず、自発的にドロップアウトしてもらえばいい、というスタンス。
一方、こちらの大学の先生達やユハがやってくれたように、一人ひとりの事情に耳を傾け、一緒に代替措置を考えて応じるというのは、当然ながら、その分だけ余計に考えるべきことが増えてしまうし時間も手間もかかります。でも、そういう個人的なケアまでを面倒がらずとことんやってくれるスタンスに救われ、やる気や学ぶチャンスを失わずにすむ学生はたくさんいるはずです。大学というのは、義務教育でもないし、最初の試験によっておよそ同等の能力を持った人たちが集って来る場なのでこの言葉がふさわしいかわかりませんが、大学教育の場においても、ごく自然にインクルーシブ教育の考え方が根付いている、というイメージでしょうか。
そもそもこちらの大学は、社会人を経て再入学する人もいれば、私のように仕事をする傍らで学位を取ろうとする人も多いので、学生一人ひとりの目的意識やニーズ、バックグラウンドにはかなりばらつきがあるのも事実。大学はまさに、そういう事情をカバーするインクルーシブ教育の実践の場となっているのかもしれません。

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もうひとつ私の事例からも特筆すべきなのが、大学側が、学生の大学外での職務体験に対して寛容であり、かつ大学での学びとワーキングライフ(や、大学以外での人生)との接点を肯定しフォローしてくれるスタンスです。特に日本の文系学部の場合、そもそも大学側が、学生がこの学科で学んだことを就職先で活かしてくれるはず…ということを端からあまり期待していない消極的なムードを感じます。どうしてもこの分野の研究を極めたければ修士・博士課程へ…でもいずれ就職する気ならできるだけ進学は考えるな。そして就活では大学での自分のフィールドに固執したり職務内容を選ばず、広く数多くやりなさい…という指導方針に乗せられます。社会が「不要だ不要だ」と口を叩く風潮に、実は文系学部自体も社会に果たす役割に自信をなくしている雰囲気があるのではないでしょうか。
実学的でない勉強をしてきた人が、その後の就職や人生に大学時代の実績やこだわりをまったく発揮できないというのはやはり寂しいことだし、大学の学科側が「結局世の中そういうもの」という雰囲気を否定しなかったら、ますます非実学叩きに歯止めが効かなくなりそうです。

私が今回行使してもらった"job training単位"というのは、規定として大学での専攻分野での勉強が活かせる仕事やジョブトレーニングに規定時間数以上従事したことを証明し、その意義を客観的にプレゼンできれば誰でも申請可能な単位らしいです。学業の一環そして職業訓練の一環として、自分自身で意義のある職を見出す、あるいは職に意義を見出す…という作業も、特にこういう学部だからこそ大切な経験やそのきっかけになるのでは、という気がします。人生に一貫性など別にいらないと思うけど、特に大学という、ある意味時間と心身を一番自由に贅沢に使え、知りたいことを心ゆくまで学べる特別な期間に、自分が何を身につけたのか、そしてそのおかげでこれからの人生をどう変えていけそうか。その動線を自分自身で確かめることで、さらにそれを大学側に認めてもらえることで、自分のこれまでとこれからに自信を持って、前向きに次のステップへと進んでいけるような気がします。

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学び方は、人それぞれ。学んだことの活かし方も、人それぞれ。
フィンランドでの大学生活の総括は、そこにつきます。
こんなふうに、人生でもう一度学生生活を過ごせたこと、それも日本では知り得なかった学生時代を謳歌できたことはとても幸せなことでした。長い人生、ひょっとしたらまたここに舞い戻ってくることもあるのかもしれませんが、ひとまずはここで一呼吸つき、ここからまた新しい道を歩き始めてみようと思います。
ま、ノマドワーカーにとって大学図書館ほど居心地よい場所もないので、しばらくは私の第二の作業場のままかな〜笑

今回だっと書き綴ったこと以外にも、「フィンランドの大学教育」について、実際に身をおいたり数々の視察のお手伝いをしてきた経験から書き留めておきたい事項って、実はまだまだあるので、一応夏までは学生証も有効だし(笑)、折にふれてそういうトピックも書いていきたいなあと思っています。

ちなみにここまでのBGMならぬバック・グラウンド・ピクチャーは、一応内容に沿って通学路の風景限定でお送りしました。肝心の学び舎がひとつも写ってないけど…

ayana@jyväskylä.fi


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ここまでの長文を完読してくださった方、本当にありがとうございます。
posted by こばやし あやな at 23:08| Comment(0) | 大学院生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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