2017年05月08日

わたしの道程

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前回の日記からの間に日本に一時帰国し、そしてフィンランドに帰ってきました。
日程的には、関西や関東ではぎりぎり桜も散ってしまっているか…というタイミングでの帰国で半ば諦めつつも、今年は桜前線の到来が例年より遅い…と報じられていたので期待も残していたのですが、帰り着いたら、地元神戸はまさに今がピークといったベストタイミング。こうしてめでたく6年ぶりの(日本の)桜を拝むことができたのでした。さらにその後も、北は函館、南は和歌山と今回もかなり日本をあっちこっちしていたのですが、函館についたときは桜前線を完全に追い抜かしてしまって、五稜郭もまだ蕾の膨らむ華奢な並木しか見られず、いっぽう帰国旅行の最後(4月末)に夫と両親と訪れた高野山では、緯度は神戸より低くともさすが標高が高いだけあり、これまた散り際の桜に再会することができたのでした。海外移住してからこの歳にしてようやく初めて訪れた鎌倉も、場所によってはまだ艶やかな桜色に包まれておりお見事。

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フィンランドに暮らし始め、毎年フェイスブックのタイムライン上だけでお花見をするようになって、「日本は四季四季言いながらも桜シーズンだけに注力しすぎじゃないか」と目を細めたくなるときもありましたが、結局そんなのやっぱりただのヒガミでしたね(笑)美しいものは美しい。桜色がちらっとでも視界に映るだけで、そこの風景や人物の佇まいすべてが美しく愛おしく見えるんだな、ということをしばらくぶりにに認識できました。

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今回は、日本滞在の合間にソウルにも少し遠出をしてきました。夫の留学時代の友達の再会と旨いものと公衆浴場を目当てに、そしてそのいずれも十二分に満たされる旅となりました。写真もたくさんあるのでここで振り返ろうかとも思いましたが、おかんFBのほうにも逐次ミニレポートはしていたし、日本旅行だけでももう随分遠く後ろに感じてしまっている今、韓国旅行の思い出までプレイバックしたいという気分でも今はないので、文面上は「キムチは地面に置いて売られていた」「チヂミは浅瀬の油の海で”揚げる”ものだった」「韓国にもムスタマッカラ(血色混じりの豚の腸に米やらを詰めて作ったソーセージ)が存在した(しかもめちゃくちゃ旨くてマッコリが進む)」という食卓報告に留めておきます(笑)
FB未公開の韓国風景写真は以下ちょこちょこ文中(本分とは関係なく)に挟んでいきますよ!

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さて、今回の一時帰国が実現したのはそもそも、夫の勤務する日本の会社が今年70周年ということで大規模な祝賀会が催され、全国の社員、どころか国外の社員とその家族までどんと招待してくれたから、でありました。夫はその後一週間本社出勤もあったので、その間に私は国内旅行をしたり、懐かしい人に再会したり、それから都内と大阪それぞれで講演/トークつき食事会イベントのスピーカーを務めたりしてきました。

韓国も含めて3週間くらいあっちに滞在したことになるのですが、実は私にとって今回のこの非日常は「慰安旅行」みたいなものでした。2つ前くらいの年の瀬の日記で、そのときの私は手がけていたとある仕事が解決していなくて、これが終わったときにようやく2017年を迎える心地になれるはず、と綴っていました。けれど、最後までいろいろあり、というか最後がとうとう来ないまま、あの一件は「未解決、一時保留」という烙印を押されたまま今現在に至ります。振り返って、もちろん私がコーディネーターとして実力不足だったゆえ、という部分もあったと思うのですが、今回に関してはそれもこれも、この件に関わったあらゆる立場の誰もかもが「前代未聞」と言葉を失う事件に巻き込まれてしまったというのが実際のところで、その前で誰もが必死に全力を尽くしたけれど、誰もが無力でどうしようもないまま、いつまでたっても光の差すV字回復点に到達しないまま、ずるずると底なし沼に足を取られ続けるしかありませんでした。悲しきかな、今もまだその淀んだ流砂のなかをもがく気力もなく漂っている心地から解放されてはいません。

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2月ごろまではとにかく持ち場での事態好転への努力に必死だったので、その状況や自分の心を憂慮する余裕すら忘れていましたが、結局その後、為す術ない無重力空間に出されてしまったあとは、ただただ空虚さに絆されると同時に、今の自分の職業とそこに従事するための適性や能力の、ある種の限界や負の側面をどさっと机に山積みにされた状態で、さあそれで私は今後人生どうするの?どうあれば満足なの?…という問いかけについて何か答えを求めようとする厄介な思考モードの日々に苦しむことになりました。

この自問自答は、今回の騒動が引き金になったのは否めませんが、でも昨年後半くらいから、なんとなく予兆はあり、心をくすぶっていた案件ではありました。なんで最近そういう思いにとらわれがちなのか、思い当たるファクターはあります。要はフィンランドに移住してきてこれまで、目の前のやるべきこと(次の仕事プロジェクトとか)のもう少し先の視界に、一応常になんらかのもう少し大きく普遍的な目標(論文を完成するとか、卒業するとか、起業するといった)が常に見えていて、それが道標となって自分をここまで誘導してくれていました。ところが論文も書き終わり、大学院卒業も果たし、自分の事業拠点も持ててそれなりに生活に困らないくらいに自活できるようになった今、さて次はどっちの方角を目指そうか、という点に答えが見つからないのです。

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コーディネーター/通訳翻訳者という仕事は、そのプロジェクトひとつひとつはすごく楽しくて、やりがいがあって、そのたびに真新しい知識も経験も人間関係も生まれるし、とりわけ、こんな仕事でもしていなければ絶対出会わないような世界の人と、互いの専門技術をすりあわせて何かを作り出したり一緒に考えたりできるという役得からは、いつもいつも大きな喜びをいただけます。生活時間もフレキシブルにコントロールできるし、反りの合わない上司や同僚とどうにか付き合っていくストレスもないし、自分の性格を鑑みても天職と呼ぶべき仕事だという自覚はもちろんあります。それなのに、どうしてまだ私は悶々としているのか、どうあれば迷いなく現状を積み重ねていけるのか、「心」というものの身勝手さに我ながら嫌気もさしてきます(←これぞ負のスパイラル!)。

ここまでの実感としてコーディネーターは、良くも悪くも所詮、誰かと誰かのコミュニーションのためのただの潤滑油です。そこでドライビングセンスは求められても、私自身がルート決定を行なうことはありえません。ただただ、誰かの考えたアイディアや筋書きが納得の形で実現しますように、毎度そう強く願って、舞い込んできた仕事をひとつひとつ、必殺仕事人のようにこなし続けていきます。でもこれを延々続けることで、私の人生やキャリアはどこかの方向に向かってゆくだろうか。現場は毎回あまりにさまざま。そもそも、ひとつひとつの案件の積み重ねという行為によって、私はどこかの道を歩けているといえるのだろうか。ちぐはぐに、ダンスフロアでトランス状態になってステップを踏み続けているだけじゃないのか。

でもかといって、自分から進んでやりたいこと、進みたい道があるのかといえば、正直今はそういうものすら思い当たらない。昔はもうちょっとこの仕事に対してもプライベートに対しても「あんなことがやってみたい、こんなことに取り組んでみたい」といった呑気な理想や夢をもっていたはずなのに、今はそれらに対してすら自己満足とか安定志向以上の意義が見いだせず、ならばまだ安易に手を出すべきでないとまず考えてしまう。

こんな不安と不満の数々が、最近の私の穏やかとはいえない心の鎖をつくってしまっているようです。

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とにかく、そういう心の低気圧を何かしら晴らしてくれるきっかけが見つかればいいな、と、仕事の手を緩めて母国に戻りました。自分の心に前向きでクリエイティブなモチベーションを生み出すために、何か新しいものごとや新しい人に出会うことをテーマにきびきび動いたほうがよいのかな、とも考えましたが、やっぱり今回はこれ以上疲れないことを第一に、むしろ「フィンランドに移住してから今までの自分」をじっくり振り返れるように。そう思って、締め切り仕事や夏の仕事の打ち合わせを数件こなした以外は、新しい出会いや先のことを考える時間は極力避けて、おもに移住してからの私を見知る人たちとの再会や、これまで達成してきたことを他者に語って自己整理することに注力しました。特に都内では、これまで大学やお仕事でご一緒させていただいた方との再会ラッシュで、過去の思い出を語り合う時間は、なんだかうっとりするほどキラキラしていました。とくに他者の視点から、私が覚えていなかったこと、同じ場に居合わせていたはずなのに事態を違う見方をしていたようなことについての話がこぼれるとすごく楽しくって、その人と思い出に対する愛着がいっそう深まる感じがします。

またありがたいことに、東京都と大阪でお声掛けいただき実現した講演(トーク)の場でも、テーマはいずれも私のフィンランドでの論文執筆活動(大学院生活)、そして仕事生活についてでした。今回初めて、自分のトーク一本に対して、そこそこの額を払ってでも来てくださる来場者を各地で募ることになり、(いかんせん絶賛ネガティブモード中だったので)こんな私のしゃべくりごときに人が集まってくださるかどうかは正直かなり不安がありました。けれど蓋を開けてみれば、どちらもまさかの会場定員超えの盛況ぶりでした。会場では、あれ、私ってなにかの表舞台サイドの人間だっけ?とたじろいでしまうほど、これまでの私の活動をブログやFBなどを通して見守ってくださっている方からの挨拶や激励やファン宣言(笑)をいただき、そして私がこれまで文章で発信してきた現地情報が役に立ちましたという感謝の声を直接届けてくださりました。さらにまた新たに私のこれまでの業績に興味を持ってくださった方との議論も生まれました。いろんな場所で、思いがけず、私がその場その場で成し遂げてきたことに対して、日本語でたくさんの「ありがとう」をいただきました。

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結局、直接的に心の悩みをだれかに打ち明けてアドバイスをもらう、という機会はまったくありませんでした。でも、今回お会いした方々との交流を通して強く実感したことがあります。終わった過去を振り返ることは、未来を模索するときにおいてもまったく無意味ではないということ。むしろ、実はどう頑張っても推測の域を超えることのない未来のことを語るより、その瞬間を共有した人と過去のことを話しているときが、実は人生で1番幸せな瞬間だということ。

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る

小学校の卒業式の最後のクラス会で担任の先生が語りかけてくれた高村光太郎の有名な詩「道程」の最初の一節に、作者の意図するニュアンスとは違うかもしれないけれどこんなにも実感ともなって深くうなずける日が来ようとは、常に先を追いかけていた今までは考えもしませんでした。

人生どういう動き方をしていても、ふと足元を振り返れば、ちゃんと一本の道筋が見えているものなんだなあと。それはつまるところ時間軸そのもので、その道中道中に、いつかの思い出の数々が点々と置き去りにされている。思い出は記憶という空間上のあっちこっちに散乱しているようで、実は時間軸という一本の道筋の上にしか見当たらない。だから、ときどき立ち寄りたいと思えば迷わずそこに向かえるし、そこから今ここに戻ってくるための道筋を見失うこともない。人生は未来を切り開いてゆく作業というよりは、あとで思い出して幸せな気持ちに浸れる過去を作り続けていく作業なのかな、と今はぼんやり考えています。少なくともそう考えることで、これまで自分の心を締めていた鎖がふいに少し緩んでくれた気がします。

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もうひとつ、帰国してから新たに取り組み始めて(少なくとも、心がけ始めて)いることがあります。それは何か、日々の「習慣」を生み出すこと。もともと「日々変化&非日常」を愛するゆえこんな仕事をやっているわけで、機動力や臨機応変対応力はあるほうなんですが、反面、すぐに変化や成果が実感できないなにかをコツコツ継続するということが絶望的に苦手な私。毎日起床・就寝時間が違っていても全然平気だし、今日が昨日と違うほど安心する(笑)人生で唯一まともに地味な努力を続けることが出来たことって、ビオラの基礎練くらいかなあ…。それも今となっては毎日楽器に触れるわけですらないし。

ところがすぐ身近に、そんな私の性分の真逆を行くミッコというフィンランド人がおりまして、彼は朝5時台に起床して1時間ジョギングして、決めた数の新出漢字を覚えて、出勤表も監視する上司もないのにほぼ同じ時間に仕事を始め&切り上げて、夕方はどれかの武道か格闘技のトレーニングに行き、決めた量の筋トレをこなし、余裕があれば暗い部屋にこもってメディテーションし、9時にはベッドに入って1時間読書して、10時完全照灯…の繰り返しにこそ生きがいと喜びを感じている人間です。あと一度決めたことを長続きさせる意思の硬さがハンパなく、例えば今月は甘いもの食べないと決めたら、私が横でどんな美味しそうなケーキやアイス食べてても、びくともしない平常モード(帰省中、ミッコの横で私が気にせず甘味を食べるようすを母が不憫に思って、私に他の部屋行って食べろと忠告するのに対し、「いいんです。アヤナさんの幸せは僕の幸せなんで。」というパーフェクト回答を笑顔で繰り出す菩薩キャラ!)。長年、もうどれひとつとっても私は真似できなければ共感すら不可能、と思ってたし、互いの生活習慣の相違はもうそういうものと割り切って、互いに干渉や妥協することなくここまで同じ屋根の下で共存してきました(笑)

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当然ながら、私は、その「変化を最小限に抑えた日常」の先にどんな達成感や喜びがあるのか知りません。自分とは一生無縁の世界だと決めつけ、今まで知ろうともしりませんでした。でも、帰国後ふと、ちょっとだけ真似してみようかな、という気が起きてしまったのは、なぜだろう(笑)こんな身近にある最強の非日常に興味が湧いたから?日本にいる間に聴く機会を得たマッキーこと槇原敬之さんのコンサートで、いろんなライフソングを聴いてチャレンジ精神が刺激されたから??なにか自分の心持ちを変えるきっかけになりそうな予感がしたから???

ともかく、無理のない&楽しめる範囲で、「今日もまたこれをやった/気を配れた」という実感が伴いそうなことを見つけては、こつこつ続けて味わってみることにしました。幸か不幸か時差ボケ&白夜まっしぐらの季節のお陰で、目覚ましをかけずともいまだ朝5時にはぱっちり目が醒めるので、これを起点にして、今のところ、

●起きたら1時間のジョギングに出る。
●そのあと朝サウナ。
●少なくとも家の中では甘いものは食べない。
●買い出しでは多少高くても質の良いほうの食材を選ぶ
●寝る前にミッコがメニュー化したストレッチと、歯磨きを各5分ずつ丁寧にやる。

の5項目を実践し始めて、今日でやっとこさ5日めになります。正直ジョギングなんて最初の1日でギブアップすると自分で思っていた(し夫も想像してたらしい)…のに、やり始めたら、なんかすごく楽しい(笑)朝日を浴びて、好きな音楽を耳にしながら森や湖畔を走るのが超気持ちよくて、そのあと間髪入れず入る朝サウナの気持ちよさがまた格別で!
あと、どんなささいなことであれ「私は今日もこれをやれた」という実感を反芻することは、過去のハイライトな出来事を誰かと思い出してウキウキニヤニヤするのと同じくらい、自己肯定感を生む行為なんだな、ということが少しずつわかってきました。その心地を心に宿すことで、日中何か他のことをやるとき、考えるときにも、不思議とポジティブでいられるんですよね。今はまだ、これらの実践の積み重ねによってじわじわ何らかの効果・成果が感じられる…という段階ではないけれども、それでも、心には新鮮な風が吹き始めている。そもそもこれもまた、自分が歩み築いてきた過去のリスペクトのひとつのかたちなんだ。

ネットで読んだとある研究報告によると、人が何か新しい行為…特に身体運動に関わることを新習慣にしようと始めた時、それが無意識に着手できるくらい日常行為として定着する=習慣化するには、平均して66日かかるそうです(笑)66日も毎朝毎朝走り続けていられるかな…来週また寒くなるらしいしな…苦笑。あるいは、どこかで挫折したとき、一気に自己否定感に苛まれて気落ちするなんてことはないだろうか…とか。まだまだその辺は未知の世界です。でも、とりあえず「無理ない範囲で」をモットーに、まずは明日また、今日と同じスニーカーに足を通せるように。


そんなこんなで、いまさらだけど、2017年の目標をここに。

積み重ねてきた過去を大切に。新しい経験や前に進むことだけに囚われずに。

せっかく、今はそういうタイミングなんだと、時と環境が教えてくれたのだから。

ayana@jyväskylä.fi


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帰国後、めずらしくJ-popばっかり聞いてる笑
posted by こばやし あやな at 01:54| Comment(1) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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