2016年02月07日

パーソナルなことを根掘り葉掘り、のお仕事

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あっという間に、2月。1月はとにかく例外的に寒かったのもあり(笑)、もっぱらデスクワークばかりでした。おかげさまで卒業も決まったし、これから誰に必須単位や科目を強要されることもなく、自分の手でどうとでも自分の毎日や未来の舵を切っていける(堕落のストッパーもない)自由を噛み締め、にわかにワクワクしながら、ここ数年で一番深く一息ついているところです。

昼間はマイペースに、書き物仕事や、今年から始まったとある書籍の翻訳作業や、今後の進路を切り拓くための地道な書類作成に短時間集中。夜は冗談でなくほぼ毎日(!)、夫や友だちと遊び尽くしています。じっくりご飯を作ったり、飲みやサウナやドライブに行ったり、雪と戯れたり、ボードゲームに明け暮れたり。そして、ユヴァスキュラ拠点の日本やアジアと関わりのある起業ビジネス仲間たちと野心的な意見交換をしたり。正直、こんな塩梅のライフバランスをずっと続けられたらストレスも疲労もたまらないし、質素でも十分楽しいのにな〜なんてぬる湯の中で沈没しかかっているのですが、次のステップまでの充電期間てことで、時が来たらまたシャカリキモードに戻る(引き戻される)はず、ですけども…

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半年ぶりにオケにも復帰し、最近は家でも楽器を練習する時間が満足にとれて嬉しい。ある日家に譜面台持って帰るの忘れて、屈折自由のライトスタンドにこうやってマグネットで楽譜を貼り付けたら手元も照らせられて非常に便利だということがわかった

さて、毎年、年が変わってからのこの時期に必ずいただくお仕事があります。私の東京時代の古巣でもある、アイノラ交響楽団の定期演奏会パンフレットへのコラム執筆です。アイノラは、日本でシベリウス全曲演奏制覇を目指す世界でも類を見ないコンセプトの(笑)意識高いアマオケで、今年の定期はなんとついに、シベリウスファンなら「えええっそこに手を出していいの!?(楽譜手に入ったの!?!?)」と興奮を抑えるのに一苦労必至の、交響曲第5番の幻の初稿版と、そしてよく知られた現行版の弾き比べに取り組んでいるそうです。そしてまたオープニングが春の歌。正直、この選曲を聞いた時、春に楽器持って一時帰国すべきではないのかと真剣に予定表とにらめっこしましたよ。折にふれて主張していますが、私はやっぱり5番交響曲が飛び抜けて一番好きで思い入れが強いので…。

現役時代には、もはやこれは立派な北欧クラシック業界の同人誌なのでは?という渾身のパンフ編集を統括させていただいたのですが、遠くにやってきてしまった今もこうして(それこそSuomiのおかんとしての活動がまだ軌道に乗る前から)、"Who's Sibelius"という見開き2ページの、ハッキリ言って相当マニア度の高いコラムの執筆という形で、ありがたくも毎年ちょっぴり演奏会に参加できた気分を味わい続けさせてもらっています。Who's Sibeliusの半分は、「著名人との知られざる人物交遊録」や「ゆかりの地」のように毎年お決まりの小コンテンツが複数あって、その年に演奏するシベリウス作品の作曲年や背景に関係をもたせたトピック選定チャット会議を、事前に広報担当者さんと指揮者のユリ先生と行ないます。
そもそもこの連載コラムページ自体、もともとは私が現役時代に新たに創始したコンテンツだったので、DTPフォーマットもかつて自分が作ったものを例年そのまま流用。なので写真処理やレイアウトもオールインクルーシブで、今でももちろんIn Desigin入稿です(笑)

ちょっと話がそれるけど、すでに文字数やレイアウトがきっちり決まっている雑誌や書籍に寄稿させてもらうときも、私は断然まずインデザで使用予定のフォントとQ数を設定し、文字枠レイアウトを再現して執筆推敲する派。大学院時代に、ゼミ関係で少しだけ大阪の地方紙にコラムを書かせていただいていたのですが、その時に紙媒体の文章というのはしょせん内容半分図柄半分であることを学び(漢字、ひらがな、カタカナの配分や分散リズム、改行のタイミングによって人の目に映る印象でその文章の性格が決まるという考え方)、その後雑誌編集の仕事を経て、客観的に文章の視覚的コントロールにばかり気が持ってかれてしまうようになりました…(もちろん内容をないがしろにしてるわけではないですよ!笑)。だから一応今でも私なりに、どんな媒体であれ字数制限やレイアウトありきの文章は、ひらがなの分量や視覚的リズムだけでなく、改行改ページのタイミングまで、人知れずけっこうこだわって印象をコントロールしているのですよ…講評で直接的にご指摘いただいたことは一度もないですが(笑)

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先日魚屋さんに「カワメンタイの肝だけ売ってたりしない?」と打診しに行ったら、部分売りはないけど、その代わりこの日は珍しく良質な白子持ちが安く入荷されてたので、身は交換留学生たちと鍋に、貴重な肝と白子は後日JKLアラサーの会で肴として美味しくいただいた(大人って残酷笑)

閑話休題。フィンランド在住ライターとして記事を書く時、ジャンル問わずたいていは現地での取材やインタビューがベースになるものですが、もちろん歴史を紐解くような話題のときは、どこに宝が眠っているかもわからない書物庫で記事にとっての有益な文献を発掘し、黙々と読み解く…という作業が中心になります。ただただ図書館にこもって、かつて誰も手にとってないんじゃないかと疑ってしまうくらい手垢が少ないのにいっちょ前に古びた本や資料を繰り続ける…そんな取材に比べると100倍地味なこの作業が、こう見えて実は大好物だったりします(笑)文学部の申し子だからというのも半分、あとの半分は間違いなく、東京でたった半年余りですがDアゴスティーニの週刊S国武将データファイルの編集部にいた経験がうずいてるんですよね。。

当時私は、週を追うごとにマイナー度数の増していく新規武将のプロフィール&生涯年表ぺージ、人物相関ファイルなど、主に武将たちの生涯や人となりに密着したページの執筆や編集を担当していたので、毎回次号の特集人選が終わって台割があがってきたら、とにかくその名前を聞いたこともない新規武将のことを短期集中で徹底的に調べあげるために、週の半分は国会図書館に缶詰で、それこそ誰がこれまでこの本を手にとったのだろう…という郷土資料や時に古文書と格闘する日々でした。
データベースをあのワードこのワードで検索して、お目当ての人物についてほんの一行でも描写されている文献が見つかればほくそ笑みコピーに走る…そんなキチガイじみた日常。いくつか肖像画が残っているときは一番男前なのを選んで写真借用するんだけど、マイナー度が上がってきて肖像画すらない人物の場合は、日本の何処かにあるかもしれないその人の銅像なり墓石を探し当てて写真提供者を探したり、あわよくば週末旅がてら自分で撮りに出かけたり。。。

文章内容はすべて郷土資料や学術文から裏付けのとれる内容だけで組み立てるわけですが、それでも、今日まで引き継がれるに至った1500年代の一国民の描写が実際どこまで正確かなんて誰にもわかりゃしないし、まあ光を浴びた人ほど都合悪いことは排除されあることないこと"良く"見せて書かれていたのは間違いないので、結局はファンタジーの延長なのかもしれません。
ただそういった結果的な信ぴょう性や時代錯綜の概念を捨てれば、私たちがあの週刊誌編集のために行なっていたことは、いわば一個人のプライベートを徹底的に調べあげ出来る限り丸裸にしてやろう…という、某センテンススプリング誌などがやってることと実は本質は同じだったんですよね…。

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昨日大学の駐車場で見かけた衝撃のベンツ社


話がようやく目的地にたどり着きましたが、今の私が、シベリウスのマニアックコラムを書くために読み漁り反映させた裏付け資料のなかには、シベリウスの当時の(ネガティブオーラ全開の)赤裸々日記、彼の家族たちの日記、アイノや他の知人友人への手紙なども多くあります。それらは明らかにその人の心の声に肉迫した、でもだからこそ当の本人たちにとっては、プライバシーそのもの。当人の心境としては、LINEどころではなく流出なんてもっての他に違いなかろうに…今やアジアの極東までその一部始終が事細かく伝わっているという皮肉よ。織田信長は没後約430年、シベリウスなんてまだ60年そこら。こんなことを本人たちが生きてる時代にやったら間違いなくけちょんけちょんに非難され(切腹を命じられ)、でも実際はまさに亡くなったとたん死人に口なしで、事細かに調べあげた者が名誉に浴する。嗚呼、まったくなんたる皮肉。。

もちろん間接的にその一端に関わっている自分が、普段そんな罪悪感や、「真実をあばく姿勢を貫いているのだ!」という罪悪感の翻しによって虚勢を張りつつ、良心との葛藤と闘い苦しみながらこの仕事をしてるかといえば、申し訳ないけどそんな気はもちろんゼロです、皆無です。まだ邦訳されてなかろうスクープを現地語で掘り起こしてきて、「どうです、この真実を知ることで彼の音楽がより豊かに聞こえてくるでしょう!」なんぞ大義名分を振りかざし、日記に綴られた心の声を得意気に面白おかしく書き立ててお金をいただいているのです。天国のシベリウスはそんな私の愚行をどんだけ眉間にしわを寄せて恨んでいることでしょう…

さて、今後、人とやり取りするのも日記やメモを書き留めるのも電子機器を媒介するのが主流となった人々が次つぎに命を全うしていく時代、死後の自伝や人物研究の論拠となる文献は、一体何が拠り所とされるのでしょうか。はずかしいものは、死ぬ前にディレートボタンひとつで全て抹消しようと考える著名人も現れるかもしれません。けれど、そうした人がぽっくりいったとたん、彼の全てを解き明かす使命感に駆り立てられた研究者だか文屋が、本人によって消されたはずのチャットアプリなどの履歴を大元会社に照会するよう要求し、「学術研究や文化活動の前進のため」とかいった名目で、ご氏族が許せば自動的にその照会許諾が降りる…そんな時代が来たりするのでしょうか。

…以上、なんの結論も持論の主張もない、ただシベリウスのコラムを書きながらぼんやり考えていた与太話でした。それはそれとして、やっぱりフィン語が読めると、日本では読むチャンスも能力もなく無縁だった資料や、オリジナルのニュアンスが残った発言などが読めるわけで、ますます私の中のシベリウス観が多様化して楽しいものです♪
あと、今回はフィンランドの某出版社の写真アーカイブから、かなりのお宝画像の借用に成功したので、レイアウト上はさりげないのですがご注目くださると嬉しいです(笑)

ayana@jyväskylä.fi

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明日からは久々に仕事で北上!といっても今回は、自分がめいっぱい贅沢に楽しむことがお仕事です笑




posted by こばやし あやな at 07:13| Comment(0) | Suomi×音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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