2017年05月08日

わたしの道程

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前回の日記からの間に日本に一時帰国し、そしてフィンランドに帰ってきました。
日程的には、関西や関東ではぎりぎり桜も散ってしまっているか…というタイミングでの帰国で半ば諦めつつも、今年は桜前線の到来が例年より遅い…と報じられていたので期待も残していたのですが、帰り着いたら、地元神戸はまさに今がピークといったベストタイミング。こうしてめでたく6年ぶりの(日本の)桜を拝むことができたのでした。さらにその後も、北は函館、南は和歌山と今回もかなり日本をあっちこっちしていたのですが、函館についたときは桜前線を完全に追い抜かしてしまって、五稜郭もまだ蕾の膨らむ華奢な並木しか見られず、いっぽう帰国旅行の最後(4月末)に夫と両親と訪れた高野山では、緯度は神戸より低くともさすが標高が高いだけあり、これまた散り際の桜に再会することができたのでした。海外移住してからこの歳にしてようやく初めて訪れた鎌倉も、場所によってはまだ艶やかな桜色に包まれておりお見事。

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フィンランドに暮らし始め、毎年フェイスブックのタイムライン上だけでお花見をするようになって、「日本は四季四季言いながらも桜シーズンだけに注力しすぎじゃないか」と目を細めたくなるときもありましたが、結局そんなのやっぱりただのヒガミでしたね(笑)美しいものは美しい。桜色がちらっとでも視界に映るだけで、そこの風景や人物の佇まいすべてが美しく愛おしく見えるんだな、ということをしばらくぶりにに認識できました。

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今回は、日本滞在の合間にソウルにも少し遠出をしてきました。夫の留学時代の友達の再会と旨いものと公衆浴場を目当てに、そしてそのいずれも十二分に満たされる旅となりました。写真もたくさんあるのでここで振り返ろうかとも思いましたが、おかんFBのほうにも逐次ミニレポートはしていたし、日本旅行だけでももう随分遠く後ろに感じてしまっている今、韓国旅行の思い出までプレイバックしたいという気分でも今はないので、文面上は「キムチは地面に置いて売られていた」「チヂミは浅瀬の油の海で”揚げる”ものだった」「韓国にもムスタマッカラ(血色混じりの豚の腸に米やらを詰めて作ったソーセージ)が存在した(しかもめちゃくちゃ旨くてマッコリが進む)」という食卓報告に留めておきます(笑)
FB未公開の韓国風景写真は以下ちょこちょこ文中(本分とは関係なく)に挟んでいきますよ!

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さて、今回の一時帰国が実現したのはそもそも、夫の勤務する日本の会社が今年70周年ということで大規模な祝賀会が催され、全国の社員、どころか国外の社員とその家族までどんと招待してくれたから、でありました。夫はその後一週間本社出勤もあったので、その間に私は国内旅行をしたり、懐かしい人に再会したり、それから都内と大阪それぞれで講演/トークつき食事会イベントのスピーカーを務めたりしてきました。

韓国も含めて3週間くらいあっちに滞在したことになるのですが、実は私にとって今回のこの非日常は「慰安旅行」みたいなものでした。2つ前くらいの年の瀬の日記で、そのときの私は手がけていたとある仕事が解決していなくて、これが終わったときにようやく2017年を迎える心地になれるはず、と綴っていました。けれど、最後までいろいろあり、というか最後がとうとう来ないまま、あの一件は「未解決、一時保留」という烙印を押されたまま今現在に至ります。振り返って、もちろん私がコーディネーターとして実力不足だったゆえ、という部分もあったと思うのですが、今回に関してはそれもこれも、この件に関わったあらゆる立場の誰もかもが「前代未聞」と言葉を失う事件に巻き込まれてしまったというのが実際のところで、その前で誰もが必死に全力を尽くしたけれど、誰もが無力でどうしようもないまま、いつまでたっても光の差すV字回復点に到達しないまま、ずるずると底なし沼に足を取られ続けるしかありませんでした。悲しきかな、今もまだその淀んだ流砂のなかをもがく気力もなく漂っている心地から解放されてはいません。

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2月ごろまではとにかく持ち場での事態好転への努力に必死だったので、その状況や自分の心を憂慮する余裕すら忘れていましたが、結局その後、為す術ない無重力空間に出されてしまったあとは、ただただ空虚さに絆されると同時に、今の自分の職業とそこに従事するための適性や能力の、ある種の限界や負の側面をどさっと机に山積みにされた状態で、さあそれで私は今後人生どうするの?どうあれば満足なの?…という問いかけについて何か答えを求めようとする厄介な思考モードの日々に苦しむことになりました。

この自問自答は、今回の騒動が引き金になったのは否めませんが、でも昨年後半くらいから、なんとなく予兆はあり、心をくすぶっていた案件ではありました。なんで最近そういう思いにとらわれがちなのか、思い当たるファクターはあります。要はフィンランドに移住してきてこれまで、目の前のやるべきこと(次の仕事プロジェクトとか)のもう少し先の視界に、一応常になんらかのもう少し大きく普遍的な目標(論文を完成するとか、卒業するとか、起業するといった)が常に見えていて、それが道標となって自分をここまで誘導してくれていました。ところが論文も書き終わり、大学院卒業も果たし、自分の事業拠点も持ててそれなりに生活に困らないくらいに自活できるようになった今、さて次はどっちの方角を目指そうか、という点に答えが見つからないのです。

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コーディネーター/通訳翻訳者という仕事は、そのプロジェクトひとつひとつはすごく楽しくて、やりがいがあって、そのたびに真新しい知識も経験も人間関係も生まれるし、とりわけ、こんな仕事でもしていなければ絶対出会わないような世界の人と、互いの専門技術をすりあわせて何かを作り出したり一緒に考えたりできるという役得からは、いつもいつも大きな喜びをいただけます。生活時間もフレキシブルにコントロールできるし、反りの合わない上司や同僚とどうにか付き合っていくストレスもないし、自分の性格を鑑みても天職と呼ぶべき仕事だという自覚はもちろんあります。それなのに、どうしてまだ私は悶々としているのか、どうあれば迷いなく現状を積み重ねていけるのか、「心」というものの身勝手さに我ながら嫌気もさしてきます(←これぞ負のスパイラル!)。

ここまでの実感としてコーディネーターは、良くも悪くも所詮、誰かと誰かのコミュニーションのためのただの潤滑油です。そこでドライビングセンスは求められても、私自身がルート決定を行なうことはありえません。ただただ、誰かの考えたアイディアや筋書きが納得の形で実現しますように、毎度そう強く願って、舞い込んできた仕事をひとつひとつ、必殺仕事人のようにこなし続けていきます。でもこれを延々続けることで、私の人生やキャリアはどこかの方向に向かってゆくだろうか。現場は毎回あまりにさまざま。そもそも、ひとつひとつの案件の積み重ねという行為によって、私はどこかの道を歩けているといえるのだろうか。ちぐはぐに、ダンスフロアでトランス状態になってステップを踏み続けているだけじゃないのか。

でもかといって、自分から進んでやりたいこと、進みたい道があるのかといえば、正直今はそういうものすら思い当たらない。昔はもうちょっとこの仕事に対してもプライベートに対しても「あんなことがやってみたい、こんなことに取り組んでみたい」といった呑気な理想や夢をもっていたはずなのに、今はそれらに対してすら自己満足とか安定志向以上の意義が見いだせず、ならばまだ安易に手を出すべきでないとまず考えてしまう。

こんな不安と不満の数々が、最近の私の穏やかとはいえない心の鎖をつくってしまっているようです。

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とにかく、そういう心の低気圧を何かしら晴らしてくれるきっかけが見つかればいいな、と、仕事の手を緩めて母国に戻りました。自分の心に前向きでクリエイティブなモチベーションを生み出すために、何か新しいものごとや新しい人に出会うことをテーマにきびきび動いたほうがよいのかな、とも考えましたが、やっぱり今回はこれ以上疲れないことを第一に、むしろ「フィンランドに移住してから今までの自分」をじっくり振り返れるように。そう思って、締め切り仕事や夏の仕事の打ち合わせを数件こなした以外は、新しい出会いや先のことを考える時間は極力避けて、おもに移住してからの私を見知る人たちとの再会や、これまで達成してきたことを他者に語って自己整理することに注力しました。特に都内では、これまで大学やお仕事でご一緒させていただいた方との再会ラッシュで、過去の思い出を語り合う時間は、なんだかうっとりするほどキラキラしていました。とくに他者の視点から、私が覚えていなかったこと、同じ場に居合わせていたはずなのに事態を違う見方をしていたようなことについての話がこぼれるとすごく楽しくって、その人と思い出に対する愛着がいっそう深まる感じがします。

またありがたいことに、東京都と大阪でお声掛けいただき実現した講演(トーク)の場でも、テーマはいずれも私のフィンランドでの論文執筆活動(大学院生活)、そして仕事生活についてでした。今回初めて、自分のトーク一本に対して、そこそこの額を払ってでも来てくださる来場者を各地で募ることになり、(いかんせん絶賛ネガティブモード中だったので)こんな私のしゃべくりごときに人が集まってくださるかどうかは正直かなり不安がありました。けれど蓋を開けてみれば、どちらもまさかの会場定員超えの盛況ぶりでした。会場では、あれ、私ってなにかの表舞台サイドの人間だっけ?とたじろいでしまうほど、これまでの私の活動をブログやFBなどを通して見守ってくださっている方からの挨拶や激励やファン宣言(笑)をいただき、そして私がこれまで文章で発信してきた現地情報が役に立ちましたという感謝の声を直接届けてくださりました。さらにまた新たに私のこれまでの業績に興味を持ってくださった方との議論も生まれました。いろんな場所で、思いがけず、私がその場その場で成し遂げてきたことに対して、日本語でたくさんの「ありがとう」をいただきました。

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結局、直接的に心の悩みをだれかに打ち明けてアドバイスをもらう、という機会はまったくありませんでした。でも、今回お会いした方々との交流を通して強く実感したことがあります。終わった過去を振り返ることは、未来を模索するときにおいてもまったく無意味ではないということ。むしろ、実はどう頑張っても推測の域を超えることのない未来のことを語るより、その瞬間を共有した人と過去のことを話しているときが、実は人生で1番幸せな瞬間だということ。

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る

小学校の卒業式の最後のクラス会で担任の先生が語りかけてくれた高村光太郎の有名な詩「道程」の最初の一節に、作者の意図するニュアンスとは違うかもしれないけれどこんなにも実感ともなって深くうなずける日が来ようとは、常に先を追いかけていた今までは考えもしませんでした。

人生どういう動き方をしていても、ふと足元を振り返れば、ちゃんと一本の道筋が見えているものなんだなあと。それはつまるところ時間軸そのもので、その道中道中に、いつかの思い出の数々が点々と置き去りにされている。思い出は記憶という空間上のあっちこっちに散乱しているようで、実は時間軸という一本の道筋の上にしか見当たらない。だから、ときどき立ち寄りたいと思えば迷わずそこに向かえるし、そこから今ここに戻ってくるための道筋を見失うこともない。人生は未来を切り開いてゆく作業というよりは、あとで思い出して幸せな気持ちに浸れる過去を作り続けていく作業なのかな、と今はぼんやり考えています。少なくともそう考えることで、これまで自分の心を締めていた鎖がふいに少し緩んでくれた気がします。

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もうひとつ、帰国してから新たに取り組み始めて(少なくとも、心がけ始めて)いることがあります。それは何か、日々の「習慣」を生み出すこと。もともと「日々変化&非日常」を愛するゆえこんな仕事をやっているわけで、機動力や臨機応変対応力はあるほうなんですが、反面、すぐに変化や成果が実感できないなにかをコツコツ継続するということが絶望的に苦手な私。毎日起床・就寝時間が違っていても全然平気だし、今日が昨日と違うほど安心する(笑)人生で唯一まともに地味な努力を続けることが出来たことって、ビオラの基礎練くらいかなあ…。それも今となっては毎日楽器に触れるわけですらないし。

ところがすぐ身近に、そんな私の性分の真逆を行くミッコというフィンランド人がおりまして、彼は朝5時台に起床して1時間ジョギングして、決めた数の新出漢字を覚えて、出勤表も監視する上司もないのにほぼ同じ時間に仕事を始め&切り上げて、夕方はどれかの武道か格闘技のトレーニングに行き、決めた量の筋トレをこなし、余裕があれば暗い部屋にこもってメディテーションし、9時にはベッドに入って1時間読書して、10時完全照灯…の繰り返しにこそ生きがいと喜びを感じている人間です。あと一度決めたことを長続きさせる意思の硬さがハンパなく、例えば今月は甘いもの食べないと決めたら、私が横でどんな美味しそうなケーキやアイス食べてても、びくともしない平常モード(帰省中、ミッコの横で私が気にせず甘味を食べるようすを母が不憫に思って、私に他の部屋行って食べろと忠告するのに対し、「いいんです。アヤナさんの幸せは僕の幸せなんで。」というパーフェクト回答を笑顔で繰り出す菩薩キャラ!)。長年、もうどれひとつとっても私は真似できなければ共感すら不可能、と思ってたし、互いの生活習慣の相違はもうそういうものと割り切って、互いに干渉や妥協することなくここまで同じ屋根の下で共存してきました(笑)

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当然ながら、私は、その「変化を最小限に抑えた日常」の先にどんな達成感や喜びがあるのか知りません。自分とは一生無縁の世界だと決めつけ、今まで知ろうともしりませんでした。でも、帰国後ふと、ちょっとだけ真似してみようかな、という気が起きてしまったのは、なぜだろう(笑)こんな身近にある最強の非日常に興味が湧いたから?日本にいる間に聴く機会を得たマッキーこと槇原敬之さんのコンサートで、いろんなライフソングを聴いてチャレンジ精神が刺激されたから??なにか自分の心持ちを変えるきっかけになりそうな予感がしたから???

ともかく、無理のない&楽しめる範囲で、「今日もまたこれをやった/気を配れた」という実感が伴いそうなことを見つけては、こつこつ続けて味わってみることにしました。幸か不幸か時差ボケ&白夜まっしぐらの季節のお陰で、目覚ましをかけずともいまだ朝5時にはぱっちり目が醒めるので、これを起点にして、今のところ、

●起きたら1時間のジョギングに出る。
●そのあと朝サウナ。
●少なくとも家の中では甘いものは食べない。
●買い出しでは多少高くても質の良いほうの食材を選ぶ
●寝る前にミッコがメニュー化したストレッチと、歯磨きを各5分ずつ丁寧にやる。

の5項目を実践し始めて、今日でやっとこさ5日めになります。正直ジョギングなんて最初の1日でギブアップすると自分で思っていた(し夫も想像してたらしい)…のに、やり始めたら、なんかすごく楽しい(笑)朝日を浴びて、好きな音楽を耳にしながら森や湖畔を走るのが超気持ちよくて、そのあと間髪入れず入る朝サウナの気持ちよさがまた格別で!
あと、どんなささいなことであれ「私は今日もこれをやれた」という実感を反芻することは、過去のハイライトな出来事を誰かと思い出してウキウキニヤニヤするのと同じくらい、自己肯定感を生む行為なんだな、ということが少しずつわかってきました。その心地を心に宿すことで、日中何か他のことをやるとき、考えるときにも、不思議とポジティブでいられるんですよね。今はまだ、これらの実践の積み重ねによってじわじわ何らかの効果・成果が感じられる…という段階ではないけれども、それでも、心には新鮮な風が吹き始めている。そもそもこれもまた、自分が歩み築いてきた過去のリスペクトのひとつのかたちなんだ。

ネットで読んだとある研究報告によると、人が何か新しい行為…特に身体運動に関わることを新習慣にしようと始めた時、それが無意識に着手できるくらい日常行為として定着する=習慣化するには、平均して66日かかるそうです(笑)66日も毎朝毎朝走り続けていられるかな…来週また寒くなるらしいしな…苦笑。あるいは、どこかで挫折したとき、一気に自己否定感に苛まれて気落ちするなんてことはないだろうか…とか。まだまだその辺は未知の世界です。でも、とりあえず「無理ない範囲で」をモットーに、まずは明日また、今日と同じスニーカーに足を通せるように。


そんなこんなで、いまさらだけど、2017年の目標をここに。

積み重ねてきた過去を大切に。新しい経験や前に進むことだけに囚われずに。

せっかく、今はそういうタイミングなんだと、時と環境が教えてくれたのだから。

ayana@jyväskylä.fi


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帰国後、めずらしくJ-popばっかり聞いてる笑
posted by こばやし あやな at 01:54| Comment(1) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月05日

アレグロ・ノン・トロッポ考

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フィンランド独立100周年ということで、クラシック音楽界では、このあいだ生誕150年を各地で盛大に祝福されたばかりのシベリウスが、フィンランドの独立機運を支えた国民的作曲家として再び演奏されまくる一年となりそう。奇しくも古巣である日本のシベリウスオケ、アイノラ響でも、それから今年のシベリウス音楽祭のラハティ響でも、今年は「報道の日」祝典のための音楽が演奏されるらしい。これは、言わずと知れたフィンランディアの原型(たぶんマニア以外が聞いても違いにはあんまり気づかないと思う)が終曲に入っている劇音楽で、本当はこれが演奏された祝典とやら自体がバリバリの独立運動デモだったんだけれど、ロシアの検閲から目を逸らすために「報道の日(Sanomalehdistön päivät)」なんていう名目で強行されたいわくつきの集会。ちなみに会場は、エスプラナーディ通りに今でもあるスウェーデン劇場だったらしい。もちろんまだ現在の白い建物ではなかったけど。

というわけで、アイノラ響みたいにコンセプトを銘打ってるわけではないとは言え、こんな記念年でなくとも普段からシベリウスを始めフィンランド人作曲家の現代曲をバンバンとりあげる傾向のある類まれな学生オケ、ユヴァスキュラ大学交響楽団でも、おもに年2回ある定期公演で、まあ間違いなく今年はフィン色強いプログラムが組まれるのだろうということは予想されていた。で昨年末に、「次の演奏会のメインはシンフォニー2番らしいよ」と聞いて、ああ、春はまず無難に超有名どころでシベ2(シベリウスの2番)か、と一瞬思った私は甘かった、後日手渡された譜面は、オウル出身のシベリウスより少し後の時代のフィンランド人作曲家、レーヴィ・マデトヤの交響曲2番でしたとさ!!というのも、シンフォニー作曲家としての彼の名声をあげるきっかけとなったこの2番は、初演は1918年だけどおもに100年前の1917年を費やして作られた曲らしい。ちなみに今季の演奏会は全部そいういうコンセプトで選ばれていて、一曲目はシベリウスがやはり1917年に発表したユーモレスクの3番。

マデトヤのシンフォニーなんて、クラシック好きのフィンランド人でも「2番?あぁあの戦争色バリバリのやつね」ってすぐメロディが思い浮かぶ人なんてそうそういないやろう…。
フィンランド独立の歴史は、戦争の歴史。初演に至った1918年には、マデトヤは兄を赤軍の攻撃で亡くしているし、当時のフィンランド人作曲家界のルーキー、トイヴォ・クーラも白軍の勝利を祝う酒宴会場で射殺されるなど、身近なところで痛ましいこと続きだった。そんなさなかに出来た曲が、軍事色の強いパッセージが多く、怒りと悲しみに満ちた激動の曲になったのはある意味必然的な状況描写だったと思われる。



こちら、勇ましさ全開の3楽章。なんか随所にシベリウスのレンミンカイネン組曲の終曲っぽいフレーズが出てきて、弾くたびに思い出してしまう。ちなみに後半の軍隊マーチの先陣を切るのはビオラ。ま、我々しょせん最初に戦地に赴かされる歩兵がお似合いだよね〜、と世界共通の自虐文句がビオラパート内では交わされていた笑

ところで、この3楽章の速度標語がAllegro non troppo(アレグロ・ノン・トロッポ)だということに、上の動画を再生していて始めてきづいて、ちょっとときめいた。アレグロ・ノン・トロッポという言葉は、それこそ10年前、日本で一番時間と情熱を燃やしてオーケストラ活動に打ち込んでいたころ、その意図するところについてオケ仲間とたくさん論議もしたし、以来ひっそり人生の教訓に据えているフレーズでもある。
一般的な解釈として、アレグロ・ノン・トロッポは、「急ぎすぎずに」と訳される。
Wiktionaryの解説でも、allegro (“fast”) + non (“not”) + troppo (“too much”) ということでFast, but not too fast.だと。まあ、アバウトだけれど、言わんとしていることはわかる。シベリウスのヴァイオリン協奏曲の三楽章にも、あの快活な民族風リズムが雪崩を起こさぬよう最初にアレグロ・マ・ノン・トロッポと釘が刺されている(「マ」はbutであってもなくても意味はほぼおなじ)
ただ、必ずしもこの標語がしっくりこないのに、曲や楽章の最初に堂々とアレグロ・ノン・トロッポと書かれているのにも時々出くわす。それが多発する作曲家のひとりが、やっぱりなんだかんだで私自身一番好き、というか殿堂入りを認めざるをえないブラームス様。例えば交響曲1番第四楽章の中間部の、弦から始まり高揚してゆくあの有名なメロディ、交響曲4番の第一楽章、ヴァイオリン協奏曲の第一楽章などがそう。これらはそもそも速く弾かねばという衝動にはかられないし、実際たいがいはまあまあ落ち着いたテンポから演奏が始まる。じゃあ、ブラームスの考えるアレグロってなんなんだろう?

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もちろん死人に口なしだし、後世の色んな人がいろんな解釈をしているから正解をこれとひとつに絞ることは出来ないけれど、私が「気に入っている」解釈と言うか発想は、そもそもアレグロを始め速度標語や音楽用語の大半のベースになっているイタリア語では、アレグロというのは早い遅いという速度の相対性を表す形容詞というより、感情がプラスの方向に振れるニュアンスを示す言葉だ、ということ。大学オケのトレーナーに来てたイタリアかぶれの京響ヴァイオリニストの名物先生がよくこの事例を引き合いに出し、今一度あらゆる音楽用語に組み込まれた単語をイタリア語で引き直したら、きっといろいろ価値観が変わるとたびたびおっしゃられていた。
今試しにgoogle translationでallegroという言葉を調べてみたら、英語でcheerful/joyful、フィンランド語でiloinenと訳されて出てきた(日本語ではなぜか「メリー」ww)。やっぱり本家の感覚では、速い遅い云々より、幸福感ゆえノリが良いというそっちの方向を指す言葉なのは明らかだ。まあ、およそ気分が高揚してくると、鼓動のテンポに比例して、冷静にコントロールをしない限り表現のテンポは速くなり、まあその他にもいろいろおざなりになってくる。だから、non troppo(but not too much)というブレーキの一言がちゃんと添えられている。感情は高ぶってもいいけれど、きちんとコントロールされて抑制が効いていないと見苦しい、というブラームスのお告げなんだと思う。今風に言えば、冷静と情熱のあいだで、と、そんな感じじゃなかろうか。だったら、4番1楽章の表現にもおのずとイメージが浮かび上がってくる。あそこまでズブズブのメランコリックに走りたくなる調べだからこそ、感情に流されるのでなく、ストイックに、頭でその表現方法を計算しながら、我々は響きを作らなければならないのだろう。

生き方もそうありたい、と、ブラームス三昧だった学生時代から、アレグロ・ノン・トロッポを一種の憧れのようにずっと心に留め続けている。「生き急ぐな」というニュアンスももちろんのこと。でもここではブラームスバージョンをより重視したい。いわゆる人間味と称されるような、人を和ませたり楽しませたりするエンターテイナー精神や、泣いたり笑ったりを躊躇しない素直な心を何時もベースに敷くのはマスト。けれど感情や状況にほだされ続けてるだけじゃだめなのだ。いつでもどこか冷静さを保ち、秘密を守り、自分のコントロールが効いているという手応えをどこかで感じ続けて日々を生きていきたい、と強く思って日々あがいている。コントロールミスも想定外の外的影響も未だにあまりにたくさんあって、実行できてるという実感を得られる瞬間は少ないのだけれど…。

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少なくとも、フィンランドでコーディネーターという仕事に携わるようになって、人生においてアレグロ・ノン・トロッポを(無自覚かもしれないけれど)完璧に体現されていると感じずにいられない方に、数名出会えた。何かの世界でものすごい成果を残している人もいれば、地味に素朴に我道を行っている人もいる。ただおもしろいことに、そういう人たちとは得てして一緒に過ごす時間がいつもとてつもなく速く感じるし、立場の違い(格差?)はすごくてもなお気が楽で、すごく相性がいい。相性が良いかどうかは相手にも聞かないとわからないことで片思いの場合もあるかもしれないけど、最初は完全に仕事相手として出会っておきながら、絶対めちゃくちゃ忙しいはずなのにその後も自然にプライベートでも交流が続いているということには、不安になる必要はないはずと思う。

今の仕事の良し悪しについては最近よく思い悩んだりもするけれど、正直、たまのこういう出会いひとつで、ネガティブな思考は瞬時に吹っ飛び、出世も到達目的も何もいらないからずっと今の立場にしがみついて人生を味わいたい、と考えるようになったりする。適当やなー

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ところで、アレグロ・ノン・トロッポつながりで、どえらい映画を掘り当ててしまった。上の眼力ありありの子猫を見て、ピンとくる人もおられるのだろうか。「ネオ・ファンタジア」という邦題で輸入され、10年ちょっと前にひっそり再上映やDVD化もなされていたそうなんですが。イタリアの70年代の作品で、なにをかくそう原題がAllegro non troppoなんですよ。例によって日本語タイトルだけ、どうしてこうなったーーー!
まあ、その邦題もわからなくはなくて、この映画全体が、かのディズニーの「ファンタジア」のオマージュというかパロディーというか…なつくりではあるのです。6曲の有名なクラシック曲それぞれに、曲のイメージや緩急にぴったりよりそったアニメーションが創作されていて、しかもその幕間に、ばあちゃんばかりが舞台に乗った奇妙なオーケストラの実写版ドタバタコント?が挿し込まれている、という。ファンタジアでは、魔法使いの弟子とか禿山の一夜なんかがそのモチーフ曲になっていたけれど、ANTでは出てくる順に挙げると、牧神の午後への前奏曲(ドビュッシー)、スラブ舞曲7番(ドヴォルザーク)、ボレロ(ラヴェル)、悲しきワルツ(シベリウス!)、2つのオーボエと2つのクラリネットのための協奏曲(ヴィヴァルディ)、そして火の鳥(ストラヴィンスキー)。
このそれぞれのアニメの完成度が、そもそものストーリーの発想の自由さが、凄まじく素晴らしいの!!とりわけボレロはそれぞれの登場キャラクターのタイミングや出演時間まで完璧に計算しつくされているし(どういう意味かはぜひ実際に見てにんまりしてください)、シベリウスも本家「クオレマ」のストーリーも踏まえてありながらとにかく物悲しく叙情的。他の作品もつねに皮肉か悲哀かエロスか、といったところ(笑)すごい名曲ありきでここまで自由な表現をはめている芸術作品となると、最近まで見てたフィギュアスケートの演技に近いものがあるかも。
ネット上にも動画が落ちていてひとまずそこから見たけど、イタリア語の会話が入る実写編は訳もなかったし、これはぜひDVDで手に入れていつでも思い出したときに見られる場所に置いておきたい。

奇しくもwikipedia(英語版)のこの作品紹介のページに、ここまで延々ダラダラ書いてきた拙論を頼もしく、簡潔明快に裏付けてくれている一節があったので、最後はその部分を抜粋コピペして、今晩はぼちぼち筆を置きます。

In music, an instruction of "allegro ma non troppo" means to play "fast, but not overly so". Without the "ma", it means Not So Fast!, an interjection meaning "slow down" or "think before you act".
The common meaning of "allegro" in Italian is "joyful". The title reveals therefore a dual meaning of "allegro", and in addition to meaning "Not So Fast!" can also be read as "joyful, but not too much".



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読み手を振り切り振り払い置き去りにしながら、久々にこんなに書いてしまいました。もしここまで一緒にたどり着いてくださった方がいれば、お付き合いいただきほんとうにありがとうございました。私もちょっとスッキリしました。

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来週の今ごろは日本!桜よどうかもう少し留まっていてください!

posted by こばやし あやな at 07:32| Comment(0) | Suomi×音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月02日

2016年を振り返って

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もう今やこうしてすっかり、ブログという媒体が、単なる節目節目の挨拶&近況総まとめのためだけに更新される場になってしまいました…。昔は一体どれだけ時間が有り余ってて、どういうモチベーションで毎日あんな長文を綴り続けていたのか、私事ながらもはや不思議でなりません(苦笑)

24時間ほど前に、新しい一年が始まりました。
いつもは新年最初のブログなどには賀状がわりのメッセージ写真を載せていたのですが、喪中につき、今年は新年の挨拶を控えさせていただきますね。

それから例年、年末にはその年の業務実績なども一覧でご報告させていただいていましたが、先ほど、数ヶ月更新が滞っていたウェブページのworks欄を一気に更新したことですっかり力が果ててしまったので、よろしければそちらを覗いてやってください。ブログのサイドバーの「最近のお仕事」コンテンツも、そのうち気が向いたら更新しますので…。

そんなわけで、年は切り替わってしまったけれど、2016年のことをざっと総括して、それから今の自分の、例年の年末年始とはなにか違う心境なども少し内省して、それでまた次気が向くときまで、あるいは報告が必要そうなことが起きるまで、気兼ねなくブログから遠のかせていただきます(笑)


私にとっての2016年は、5年前にスタートしたフィンランド移住生活の「第一章」がひとまず完結し、そのまま第二章へと突入した、わかりやすい節目の年でした。第一章というのはもちろん、学生生活の期間にあたります。突然渡ってきたフィンランドという国でコーディネーションや翻訳通訳の仕事を与えてもらえるようになるために、まずはフィンランド語で論文を1本書き、学位を修める。これが、フィンランド移住時の最初に自分に課した目標でした。よき縁とタイミングが重なって、結果的にはありがたくも学生生活のうちからやりがいのあるお仕事に恵まれたのですが、そのぶんずるずると先送りしてしまった卒業。いざ、と2015年後半からお仕事を減らして集中的に学業に取り組み始めたものの、単位を揃えて論文を仕上げる作業は、過去の日記にも書いたとおり、予想を超えて辛く苦しいものでした…。

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一章の終わりには卒業式の総代選出というこれまた予想を越えたエピローグも待っていたわけですが、学生という肩書をおろし自営業者としての出発からが、移住生活第二章です。自営業者というより、前回も書いたように良き納税者としての、と言うほうがふさわしいのかな。これまで学費無料のうえ安い住居を提供してもらって奨学金や住居手当まで受給…と、とことん学生としての恩恵に預かり続けたぶん、今度はどんなかたちであれしっかり稼いでしっかり税金を納めて、移民という肩書に甘えずにフィンランド社会に貢献していきたい、という気持ちが、第二章の始まりのときに最も強い核をなしていました。今ももちろんその気持ちは変わらずあるのですが、容赦なく稼ぎから吸い取られてゆくもろもろの税金・年金の額を見るたび、ため息がもれてしまうのもまた現実です(笑)

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お仕事に関しては、学生と二足わらじでやっていたときのように、「何事も経験、どんな仕事でもやります!」というスタンスや業務内容からは大きくステップアップできたなと思っています。自分の知識や能力、得意分野を必要としてもらえるプロジェクトへのお声掛けが明らかに増えたし、自分自身でも、本当にやりたい仕事かどうか、今経験しておくべき仕事かどうか、対価は適正か…などの観点から選ぶゆとりや断る度胸がついてきました。自分が選んだことは、不思議なもので必ず次に自分のもとに来る人や依頼に関わってくるのです。この職業、そうはいっても受け身が基本で、日頃は誰かがフィンランドに目を向けてお話しを持ち込んでくださるのを待つばかりなのですが、とえいえ、日々の時間の使い方の自由度だけでなく、仕事内容に対してもある程度セルフコントロールを楽しんでこそ自営業者人生ではないかと。次を引き寄せるために、仕事を選ぶ、そしてきちんと成果を出す、というよいサイクルを作っていくことが大事と実感できた1年目でした。


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プライベートでは、あちこち旅行に行けたのが嬉しかった。なにせ一昨年までは学生生活ありきで、日本へ帰省するにせよ旅行するにせよ、季節や期間、そして予算にかなり制限があったので…。紅葉の季節の日本を歩いたのも丸6年ぶりだったし、夫婦水入らずでの東欧旅行、そして何と言っても、事前情報が少なかったぶんだけ収穫の多かったジョージア旅行。カウントしてみたら、なんだかんだ丸二ヶ月ぶんくらいはフィンランド国外で過ごしていたことになるけど、今年以降もこれくらいの割合で国外滞在率を保ちたいものです。やっぱりフィンランドはちょっぴり退屈な国だから(笑)

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あと、2016年はまれに見るキノコの豊作年だった!!これがパランデル家の明るい話題堂々一位でしたね(笑)いやーほんと良く採って採って採りまくった。おかげさまで、今日頂いただいたお雑煮も、

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冷凍保存してあった天然松茸で出汁を取ったお澄ましヴァージョンでした(笑)おせちもとことんキノコメニュー。キノコだけはなぜか毎年の収穫量が違いすぎて、シーズンが来るまでどんな年になるかまったく読めません。昨年ほどまでは望めなくとも、また松茸やシメジや珍種にも出会えてときめく季節になりますように。


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最後に、 2017年元旦の今、私の境遇と感じていることを少し書き留めておきたいです。
正直にいうと、この年明けが節目だの新しい年の始まりだの、という清々しい気分では迎えられていません。どちらかというと、今すごく落ち込んでいるというか焦っているというか…とにかく胸中まったく穏やかではないです。それは、昨年末からコーディネーターとして関わっているプロジェクトが、運が良すぎるのか悪すぎるのか前代未聞の事態と衝突し、いまだ五里霧中の状態にあること。この目で見て肌で感じることとなった現実が、あまりに衝撃的でショッキングだったこと。そして、とにもかくにも乗りかかった船、完遂せずには解放されないプレッシャーや疲労との闘いが主因です。

だからもうこれは、人生における「例外の仕事」だと位置づけるようにしています。もしこんなことが延々繰り返されるのなら、私は潔く現地コーディネーターという仕事を辞めるだろう。でも、後にも先にもこんなタイプの苦労や困難はまあないだろうし、ここまで緊迫したり不安になったり既存の価値観や判断力を揺らがせながら仕事に取り組む、ということだって、他でもないフィンランドでコーディネート業を続ける限り二度とない(…と信じたい!)。

決して投げやりなのではなくもろもろの意思と覚悟をこめて、「終わらせる」。これを2017年の目標の一つ目に掲げたいと思います。泣いても笑ってもあと一ヶ月。それ以降の豊富や過ごし方は、とにかくこえを終わらせてからじっくり向き合います。

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2016年09月12日

夏、おわる

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今年もまた、短い夏が巡ってきて、そして去ってゆきました。

夏は、フィンランドで暮らす人々にとって、一年という大きなバイオリズムのうねりのなかの「躁」の期間です。そのことを、この地で夏を過ごすたびに強く実感します。そしていまや自分自身が、その軌道に見事のせられてしまっていることも。今は季節が秋に交替して、いちばん冷静かつ穏やかに日々や自分自身を振り返ることのできる時期です。そして間もなく、辛いこと、耐えるべきこと「ありき」の環境のなかで、それでもどれほどストレスや苦難を抱えず(抱えておらぬふりして)楽しく穏やかに過ごしていられるか、試される季節がやってきます。一年はそうして波を寄せて返して、下地だけみると延々と同じ波形の繰り返しです。

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今年は総じて、例年になく非常に良い(気候の)夏でした。夏至祭の日が雨が降ったり寒さに凍えずに迎えられたのもいつぶりかという感じだったし、キノコを育てるにわか雨が適度に降りつつも、気持よく晴れる日がとても多くて、あまり寒い思いをせず、かといって暑すぎず、不平不満なく過ごせる日がとても多かったように思います。さらに夜が暗くなり始めたころからオーロラも連日連夜ビッグウェーブ。日中は外でよく泳いだし、ベリーもたくさんストックできたし、なによりキノコが早いうちから大豊作でした。年々キノコ採取の知識経験にたいする飽くなき野望が肥大化し続ける我々夫婦。今年はついに、松茸の大脈を探し当てて数キロにおよぶ収穫が得られたほか、今年はじめて天然シメジの見分け・採取にも成功しました(去年まではフィンランドの森で採れることすら知らなかった)。シメジは、フィンランド語でもshimejiと表記されます。ポルチーニも、杏茸も、その他あらゆる食用キノコをまんべんなく大収穫。まあ当然ながら、我が家の食卓に日々キノコが並ばない日はありません。

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と、お宝ハンティングに関しては十分リア充してはいるのですが、幼少期からのナンデモ収集癖が抑えられずポケモンもちゃっかり集めています。先日ようやく、この小さな街の中の移動だけで100種達成!どこかのポケスポットにたむろして…という時間までは取れないですが、ユヴァスキュラ内で日常的に(もちろん仕事中はオフにしてますよ笑)自転車や徒歩での外出の行き来の際につけっぱなしにして待ち構え、気が向いたらほんのちょっと遠回りして帰ってみたり…ということをしているだけでも、開始(7月下旬)から今日までですでに200キロ近く移動しているようなので、なかなかびっくり。公共交通機関に頼れないこの街、日々それなりに動かざるをえない生活してるんだなあ…と気づかされました。

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と、ここまでただひたすらレクリエーションのことばかり書いてきましたが、お仕事のほうもまずまずの充実度で、今夏も無事に身ひとつで走り切ることができました。今年の夏はたまたま、われわれ一般人がいわゆる「有名人」と呼んでいる方々のプライベート旅行やお忍び滞在時間を預かる、という機会が続きました。私自身も日本にいる時から(テレビや本や作品を通じて)よく知っていた、影響を受けた方たちです。同じ日本という国に暮らしていたときには、そうしてメディア越しにしか見聞きすることのなかった遠い存在の人たちと、こうしてフィンランドに出てきてからご一緒させていただく、しかも私のスキルを信じて頼ってもらえる、というのは、話をいただいた瞬間もちろん不思議な感覚に身を持って行かれ、舞い上がってしまいます。
でもその不思議さにどきどきそわそわしてしまうのは実際に対面する時間までで、出会って、交流がはじまると、もうそのときは人生で出会った1人の生身の人間です。その圧倒的な感性や才能や努力のきらめきが何げない言葉や仕草の隙間に覗いて、おなじ人間でもこうも持ち合わせているものが違うのか…と羨望とうんざり感が一気に我が身を襲う瞬間ももちろんあるのですが、傍からすればなんと図々しいことかと思われるのかもしれないけれど、あ、この人とは相性が良いしきっと仲良くなれる、と琴線に触れる心の交流ができるときもあるのです。

ともかく、一際多忙で人の目も気にしなければならない生活を送ってらっしゃるなかで、貴重なオフ時間をここで穏やかに、楽しく、効率よく過ごすために自分を頼ってくださった皆さんに対しては、こちらも、メディア媒体のためのロケや取材撮影にのぞむときとは違ったもてなし方や接し方が必要とされる…というか喜ばれることを、一瞬一瞬のレスポンスから体得させてもらいました。こうした経験からも、今年の夏はコーディネーターの大事なスキルなひとつである「おもてなし力」の幅を特に広げてもらえたような気がします。

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photo: Petteri Kivimäki


今年の夏のもうひとつ思い出深いできごとは、大学の卒業式に全修了生総代(primamaisteri)として出席し、いろいろと一世一代の大役を遂行したことです(当初はいち学部の総代だと思っていて蓋を開けたら、責任の規模が違ってた…)。こちらはまた一から言葉を変えて振り返るのがしんどいので、以下、まずは当時のフェイスブックの日記をコピペさせてください…苦笑

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四年に一度開催の大学全学卒業式(過去四年のマスター・ドクター修了生を対象にした任意参加の修了認定式)に、全修了生の総代という名誉ある大役を背負って参加しました。全参加者の一番前を歩き、式中にはお世話になった教授と一緒に登壇して、修士論文の内容について公開ディフェンス儀式に挑みました。
フィンランド語で文学部の論文一本書けば、語学の実力もつくだろうし世間にも在住コーディネーターとして認めてもらえるだろう…という一心で捨て身の渡フィン。当然最初は授業についていくことすらままならなく、その後の進捗を思い返しても、当然こんな日が来ようとは想像だにしませんでした。ここまで、幾度か心折れる寸前まで七転八倒してた自分への「頑張ったで賞」として、また学生生活を実務でも精神的にも支え続けてくださった方々への「感謝の証」として、誇り高く全学生の一番最初に冠をいただきました。

人生二度目の大学生活のなかで、文学部の学問道の楽しさを再び味わいながら同時に、天職、生涯の伴侶、数えきれない出会いや縁と巡りあうことができ、今毎日がこんなにも楽しく幸せで、移住してからここまでの軌跡に何一つ悔いも不満もありません。また、納税力のまだまだ弱い一移民として、変わりゆくフィンランドの教育・社会システムのなかで、時に申し訳なく感じるほどの恩恵を受け、最後まで苦なく学業を続けられた環境にも本当に感謝しています。

学生という肩書がはずれた今、今後はこの国の良き納税者となることでその恩をきっちり返してゆきたいです。この国の過剰なほどの学生への投資と優遇は、まさにこの気持ちを持たせてくれるための社会制度なんだなあ…と、いま我が身で実感しています。(8月21日/一部加筆)
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マスター修了生のシンボルアイテムである月桂冠は、なんとこうしてパートナーの手で本物の枝葉から作ってもらいます。これが卒業式初日の儀式で、その後3日間にわたって、古いしきたりに則った儀式が次々に執り行われます。

もちろん今も、上に述べた気持ちはそのまま心に留めて、真に自立した生活へと移行を目指し試行錯誤をつづける最中です。何せ冒頭に述べたように、生活が落ち着き自分自身が一番冷静沈着になる秋がやってきたので、その日暮らしでつい面倒なことを先送りしてしまう日々の見直し、努力してもなかなかうまくいかないことへの対策、そのほかそろそろ真剣に考え動き出さねばならないこと、などなど、向き合うべき課題が次々に可視化してきてしまい、その都度うんざりもするし、ついついすべて投げ出し思考や身体を止めて休みたくなってしまいます。周囲も、少しでも私がそんな愚痴や弱音を吐こうものなら全力で「思い切ってしばらく休みなよ」と誘ってくださいます(笑)てか、前回のブログでも、今後は少しスピードを緩めて…とみずから公言してますね…。
でも、現実的にそういうわけにもいかずに今までの延長で走り続けようとしてしまう理由は、単純にまだそんなに疲れていないのと、動くのを止めたらここからの生活が立ちゆかなくなる怖さから、なんでしょうかね。生活=お金でもあり、キャリアでもあり、充実した日々でもあり…。

想定外のできごととか、不可抗力によってでないと、多分今後も自分のライフスタイルは自分でゆるめたり大きく改変したり、ということはできずに半自動運転でレール上を先に先に行ってしまうような気がしてしまいます。それが幸せなのか不幸せなのか、ちょっとよくわからない。「想定外」を待つが先か、みずから「不可抗力」を迎えるが先か…人生という旅路をてくてく歩きながら頭をかすめる悩みや思索に気を取られがちな今日このごろです。

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一時帰国までに、もう1回くらいブログを書けるように。

posted by こばやし あやな at 08:29| Comment(0) | 大学院生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月19日

終わりと始まりを迎えた春

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なんと、湖畔会議ブログをぱったり書かなくなってしまって、はや四ヶ月あまり…。
お久しぶりです、Suomiのおかんです。この数ヶ月、活動報告や日常便りの場がすっかりFacebook公式サイトのほうに移ってしまったというだけで、パソコンに向かえないような重大事件があったわけでも健康を損なったわけでもありません。

弁明ばかりも心苦しいので、ざっとダイジェストで、この数ヶ月私の身にどんなことが起きていたのかをさらってみたいと思います。

■2月
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・北の方へちょこちょこ出張。つるつるに凍結した路上を移動中ヘラジカ3頭に遭遇するなど。
・TOKYO FMさんの「コスモアースコンシャスアクト 未来へのタカラモノ」という朝の番組に一週間連続出演をさせていただいた。
・スキーW杯の国内大会を観客としてハシゴ。久々に土屋ホームの皆さんと再会。
・Maturiteeti(修士号取得のための最終判定e試験)に合格

■3月
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・9日づけでユヴァスキュラ大学文学研究科(修士課程)修了。
・雑誌JAPAN CLASSでのコラム連載開始。
・第一回ヘルシンキサウナデーに参加。夫婦でヘルシンギン・サノマット紙にインタビュー受け、サウナ・マイスター(修士号にかけて)という肩書を作られてしまう。
・32歳になりました。
・移住5年目にして初めて、そして3月終わりにして初めて、クロスカントリーを始める。
・イースター休暇はタリンで働く友人を尋ねてエストニアへ。
・ユヴァスキュラでもとにかくオーロラがよく見えた一ヶ月だった(4月も引き続き)。

■4月
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・1日づけで、フリーランス活動にピリオドを打ち、Japanin Koordinaatio Ayanaという会社を立ち上げて個人事業主としての活動を開始。
・事業立ち上げ早々、ありがたくもこれまで携わったことのなかったタイプの新事業にいろいろお声かけいただき、出張続きでとにかく常に疲れていたような記憶が…
・ミッコのGW休暇にあわせて、クロアチア&ボスニア・ヘルツェゴビナ旅行へ。

■5月
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・大学オケの公演
・卒業旅行と世界の温浴文化フィールドワークをかねて、単身ジョージア(旧グルジア)へ半月ほど。
・ユヴァスキュラ市内で念願のサウナ付き新居へお引越し。

■6月
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・よく働きよく遊びよくサウナ浴、の健やかな毎日。
(イマココ)

…と、なかなか移住後の人生のハイライトとも呼べる出来事が続いていました(笑)

新事業の立ち上げについては、個人的には以前の職務活動からそんなに大きな変化は感じておらず(会計士さんという強い味方についていただいたことは大きいけれど!)、もちろん、これまで学業に投資していた時間がごっそり減った分、今後は変化を期待するのでなく自分から変化を起こしていかないとなあ、ということは日々頭では考えています。でもいっぽうで、この2015年下半期から2016年上半期にかけては、「がむしゃら」以外の何物でもないスタンスでいろんな物事にかたをつけようと必死になり、おかげさまでいろいろどうにか納得いく形には落ち着いたのですが、さすがに少し疲れてしまいました。なので、休めるときにはゆっくりしたいなあ、とも。

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5月半ばのジョージアはまさかの山桜満開で、お花見トレッキングを楽しんできました!

さて先日の16日で、フィンランド移住まる5年がたちました。
ここまでは、ときに多少無理しているのがわかっていて苦しくても、今ここで立ち止まることが自分自身からも時流やタイミングからも許されていないように感じていて、ただただ前進あるのみと念じるように頭と身体を動かし続けた5年でした。
その自分自身のそれなりの頑張りと、我ながらあきれるほどの体力と、周りの温かい支えと、そして運(縁)の良さによって、とくにエンストや挫折を経験することなく今この地点まで来られたし、今後引き続きこの国で、学生という肩書を外してでも自立し暮らしてゆくための、それなりの礎は築けたはずと思います。でも今後は、今までのようなペースでエンジンふかし続けなくても、人生どうにかなると思える、実際になんとでも楽しめるような、見通しの悪さや時代の変化をこわがらない、少し今までの違う価値観を大切にした暮らしがしてゆきたいです。

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個人事業のたちあげにあわせて、ウェブサイトや名刺などを新しくしました。
ただ、このトナカイデザインとSuomiのおかん名義はすこぶる好評で(?)これらのおかげで皆さんに覚えていただき、ご贔屓にしていただいてここまで来たので、そのまま残すことに決めました。

Suomiのおかん/Japanin Kooreinaatio Ayana公式サイト
http://www.suomi-no-okan.com/


サイトもトップページにほとんど変化はありませんが、まずはぜひ右上の葉っぱアイコンからフィンランド語版リンクに切り替えてみてください!才能ある友人C君の手にかかれば、フィンランドの象徴樹が一瞬にして日本の象徴樹に早変わり!!
サイトリニューアルに関しては、結局フィン語サイトを充実させたことが作業の大半でしたが(今後はフィンランド人や企業とも、今の自分の境遇やスキルを活かしてお仕事をしていきたいというのが次の夢なので)、日本語サイトのプロフィール、ビジネスのページについては、フィン移住人生第一章を終えた今の自分の目線で新たに文章を書き直しました。また、ワークスのページも以前よりは少し見やすくなったのではと思います。よろしければ、ぜひ覗いてみてくださいね。

そして、きっと今後もまた当面は、おもにFacebookサイトのほうに、日々のフィン便りや業務報告などを随時綴ってゆくと思います。このブログは、とりとめない内面的なことを少し書きたくなったときに、また戻ってこようと思いますので、まだフォローされていない方は、以後どうぞSuomiのおかんの公式Facebookサイトの方に、遊びにきてくださいね!

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夏至ウィークは、楽しいロケ仕事にいってきます!

posted by こばやし あやな at 23:46| Comment(0) | Suomiで考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月07日

パーソナルなことを根掘り葉掘り、のお仕事

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あっという間に、2月。1月はとにかく例外的に寒かったのもあり(笑)、もっぱらデスクワークばかりでした。おかげさまで卒業も決まったし、これから誰に必須単位や科目を強要されることもなく、自分の手でどうとでも自分の毎日や未来の舵を切っていける(堕落のストッパーもない)自由を噛み締め、にわかにワクワクしながら、ここ数年で一番深く一息ついているところです。

昼間はマイペースに、書き物仕事や、今年から始まったとある書籍の翻訳作業や、今後の進路を切り拓くための地道な書類作成に短時間集中。夜は冗談でなくほぼ毎日(!)、夫や友だちと遊び尽くしています。じっくりご飯を作ったり、飲みやサウナやドライブに行ったり、雪と戯れたり、ボードゲームに明け暮れたり。そして、ユヴァスキュラ拠点の日本やアジアと関わりのある起業ビジネス仲間たちと野心的な意見交換をしたり。正直、こんな塩梅のライフバランスをずっと続けられたらストレスも疲労もたまらないし、質素でも十分楽しいのにな〜なんてぬる湯の中で沈没しかかっているのですが、次のステップまでの充電期間てことで、時が来たらまたシャカリキモードに戻る(引き戻される)はず、ですけども…

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半年ぶりにオケにも復帰し、最近は家でも楽器を練習する時間が満足にとれて嬉しい。ある日家に譜面台持って帰るの忘れて、屈折自由のライトスタンドにこうやってマグネットで楽譜を貼り付けたら手元も照らせられて非常に便利だということがわかった

さて、毎年、年が変わってからのこの時期に必ずいただくお仕事があります。私の東京時代の古巣でもある、アイノラ交響楽団の定期演奏会パンフレットへのコラム執筆です。アイノラは、日本でシベリウス全曲演奏制覇を目指す世界でも類を見ないコンセプトの(笑)意識高いアマオケで、今年の定期はなんとついに、シベリウスファンなら「えええっそこに手を出していいの!?(楽譜手に入ったの!?!?)」と興奮を抑えるのに一苦労必至の、交響曲第5番の幻の初稿版と、そしてよく知られた現行版の弾き比べに取り組んでいるそうです。そしてまたオープニングが春の歌。正直、この選曲を聞いた時、春に楽器持って一時帰国すべきではないのかと真剣に予定表とにらめっこしましたよ。折にふれて主張していますが、私はやっぱり5番交響曲が飛び抜けて一番好きで思い入れが強いので…。

現役時代には、もはやこれは立派な北欧クラシック業界の同人誌なのでは?という渾身のパンフ編集を統括させていただいたのですが、遠くにやってきてしまった今もこうして(それこそSuomiのおかんとしての活動がまだ軌道に乗る前から)、"Who's Sibelius"という見開き2ページの、ハッキリ言って相当マニア度の高いコラムの執筆という形で、ありがたくも毎年ちょっぴり演奏会に参加できた気分を味わい続けさせてもらっています。Who's Sibeliusの半分は、「著名人との知られざる人物交遊録」や「ゆかりの地」のように毎年お決まりの小コンテンツが複数あって、その年に演奏するシベリウス作品の作曲年や背景に関係をもたせたトピック選定チャット会議を、事前に広報担当者さんと指揮者のユリ先生と行ないます。
そもそもこの連載コラムページ自体、もともとは私が現役時代に新たに創始したコンテンツだったので、DTPフォーマットもかつて自分が作ったものを例年そのまま流用。なので写真処理やレイアウトもオールインクルーシブで、今でももちろんIn Desigin入稿です(笑)

ちょっと話がそれるけど、すでに文字数やレイアウトがきっちり決まっている雑誌や書籍に寄稿させてもらうときも、私は断然まずインデザで使用予定のフォントとQ数を設定し、文字枠レイアウトを再現して執筆推敲する派。大学院時代に、ゼミ関係で少しだけ大阪の地方紙にコラムを書かせていただいていたのですが、その時に紙媒体の文章というのはしょせん内容半分図柄半分であることを学び(漢字、ひらがな、カタカナの配分や分散リズム、改行のタイミングによって人の目に映る印象でその文章の性格が決まるという考え方)、その後雑誌編集の仕事を経て、客観的に文章の視覚的コントロールにばかり気が持ってかれてしまうようになりました…(もちろん内容をないがしろにしてるわけではないですよ!笑)。だから一応今でも私なりに、どんな媒体であれ字数制限やレイアウトありきの文章は、ひらがなの分量や視覚的リズムだけでなく、改行改ページのタイミングまで、人知れずけっこうこだわって印象をコントロールしているのですよ…講評で直接的にご指摘いただいたことは一度もないですが(笑)

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先日魚屋さんに「カワメンタイの肝だけ売ってたりしない?」と打診しに行ったら、部分売りはないけど、その代わりこの日は珍しく良質な白子持ちが安く入荷されてたので、身は交換留学生たちと鍋に、貴重な肝と白子は後日JKLアラサーの会で肴として美味しくいただいた(大人って残酷笑)

閑話休題。フィンランド在住ライターとして記事を書く時、ジャンル問わずたいていは現地での取材やインタビューがベースになるものですが、もちろん歴史を紐解くような話題のときは、どこに宝が眠っているかもわからない書物庫で記事にとっての有益な文献を発掘し、黙々と読み解く…という作業が中心になります。ただただ図書館にこもって、かつて誰も手にとってないんじゃないかと疑ってしまうくらい手垢が少ないのにいっちょ前に古びた本や資料を繰り続ける…そんな取材に比べると100倍地味なこの作業が、こう見えて実は大好物だったりします(笑)文学部の申し子だからというのも半分、あとの半分は間違いなく、東京でたった半年余りですがDアゴスティーニの週刊S国武将データファイルの編集部にいた経験がうずいてるんですよね。。

当時私は、週を追うごとにマイナー度数の増していく新規武将のプロフィール&生涯年表ぺージ、人物相関ファイルなど、主に武将たちの生涯や人となりに密着したページの執筆や編集を担当していたので、毎回次号の特集人選が終わって台割があがってきたら、とにかくその名前を聞いたこともない新規武将のことを短期集中で徹底的に調べあげるために、週の半分は国会図書館に缶詰で、それこそ誰がこれまでこの本を手にとったのだろう…という郷土資料や時に古文書と格闘する日々でした。
データベースをあのワードこのワードで検索して、お目当ての人物についてほんの一行でも描写されている文献が見つかればほくそ笑みコピーに走る…そんなキチガイじみた日常。いくつか肖像画が残っているときは一番男前なのを選んで写真借用するんだけど、マイナー度が上がってきて肖像画すらない人物の場合は、日本の何処かにあるかもしれないその人の銅像なり墓石を探し当てて写真提供者を探したり、あわよくば週末旅がてら自分で撮りに出かけたり。。。

文章内容はすべて郷土資料や学術文から裏付けのとれる内容だけで組み立てるわけですが、それでも、今日まで引き継がれるに至った1500年代の一国民の描写が実際どこまで正確かなんて誰にもわかりゃしないし、まあ光を浴びた人ほど都合悪いことは排除されあることないこと"良く"見せて書かれていたのは間違いないので、結局はファンタジーの延長なのかもしれません。
ただそういった結果的な信ぴょう性や時代錯綜の概念を捨てれば、私たちがあの週刊誌編集のために行なっていたことは、いわば一個人のプライベートを徹底的に調べあげ出来る限り丸裸にしてやろう…という、某センテンススプリング誌などがやってることと実は本質は同じだったんですよね…。

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昨日大学の駐車場で見かけた衝撃のベンツ社


話がようやく目的地にたどり着きましたが、今の私が、シベリウスのマニアックコラムを書くために読み漁り反映させた裏付け資料のなかには、シベリウスの当時の(ネガティブオーラ全開の)赤裸々日記、彼の家族たちの日記、アイノや他の知人友人への手紙なども多くあります。それらは明らかにその人の心の声に肉迫した、でもだからこそ当の本人たちにとっては、プライバシーそのもの。当人の心境としては、LINEどころではなく流出なんてもっての他に違いなかろうに…今やアジアの極東までその一部始終が事細かく伝わっているという皮肉よ。織田信長は没後約430年、シベリウスなんてまだ60年そこら。こんなことを本人たちが生きてる時代にやったら間違いなくけちょんけちょんに非難され(切腹を命じられ)、でも実際はまさに亡くなったとたん死人に口なしで、事細かに調べあげた者が名誉に浴する。嗚呼、まったくなんたる皮肉。。

もちろん間接的にその一端に関わっている自分が、普段そんな罪悪感や、「真実をあばく姿勢を貫いているのだ!」という罪悪感の翻しによって虚勢を張りつつ、良心との葛藤と闘い苦しみながらこの仕事をしてるかといえば、申し訳ないけどそんな気はもちろんゼロです、皆無です。まだ邦訳されてなかろうスクープを現地語で掘り起こしてきて、「どうです、この真実を知ることで彼の音楽がより豊かに聞こえてくるでしょう!」なんぞ大義名分を振りかざし、日記に綴られた心の声を得意気に面白おかしく書き立ててお金をいただいているのです。天国のシベリウスはそんな私の愚行をどんだけ眉間にしわを寄せて恨んでいることでしょう…

さて、今後、人とやり取りするのも日記やメモを書き留めるのも電子機器を媒介するのが主流となった人々が次つぎに命を全うしていく時代、死後の自伝や人物研究の論拠となる文献は、一体何が拠り所とされるのでしょうか。はずかしいものは、死ぬ前にディレートボタンひとつで全て抹消しようと考える著名人も現れるかもしれません。けれど、そうした人がぽっくりいったとたん、彼の全てを解き明かす使命感に駆り立てられた研究者だか文屋が、本人によって消されたはずのチャットアプリなどの履歴を大元会社に照会するよう要求し、「学術研究や文化活動の前進のため」とかいった名目で、ご氏族が許せば自動的にその照会許諾が降りる…そんな時代が来たりするのでしょうか。

…以上、なんの結論も持論の主張もない、ただシベリウスのコラムを書きながらぼんやり考えていた与太話でした。それはそれとして、やっぱりフィン語が読めると、日本では読むチャンスも能力もなく無縁だった資料や、オリジナルのニュアンスが残った発言などが読めるわけで、ますます私の中のシベリウス観が多様化して楽しいものです♪
あと、今回はフィンランドの某出版社の写真アーカイブから、かなりのお宝画像の借用に成功したので、レイアウト上はさりげないのですがご注目くださると嬉しいです(笑)

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明日からは久々に仕事で北上!といっても今回は、自分がめいっぱい贅沢に楽しむことがお仕事です笑


posted by こばやし あやな at 07:13| Comment(0) | Suomi×音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月25日

涙なしに語れない卒業までの道のり(2)

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前回の続きのお話です。

「苦節4.5年、どうやらようやく、私のユヴァスキュラ大学院修士課程での修了・卒業が内定したらしい!!」

…いろいろワケありで自力だけで導いた修了とは言いがたいんだけど、それでも修了は修了ですっ(嬉涙)…という、その「ワケあり」部分の暴露日記の後半戦です。賄賂で単位を買ったとかそういうきな臭い話ではないので、ひょっとしたら今後フィンランドに正規学生として留学する方々の参考になる情報があるかもしれないし、後編は特に、世界に誇るフィンランド教育の特徴というか真髄が浮き彫りになったエピソードとも言えるので、そういう視点からでも「こんなことがあるのか…」と楽しんでいただけたら嬉しいです。
別に読み飛ばしていただいてもまーったく差し支えないのですが、一応まず前編(こちら)をご一読いただければ、ここまでのあらすじも追っかけることができますよ〜

*****
空前のフィン語作文アレルギー発祥で、どうにも残り2つのレポートに手をつけることができなくて、ドロップアウト(受講講座からだけでなく、大学院の修士課程そのものからの)を真剣に考え、離脱準備を進めていた冬休み。一番初めに心境を打ち明けていたミッコには、「レポートくらい、日本語でわかりやすく内容喋ってくれたら僕が全部翻訳して書いてあげるから…」となだめられ、でもさすがにサラリーマンに25ページのレポートのゴーストライターになってもらってまで卒業したいという気も全く無くて、丁重にお断りする日々。
大学友だちやオケ仲間にも、学食などで会ったときに少し話を聞いてもらったのですが、みんな「それなら全然無理する必要はないよ」と労ってくれながらも、「でもまだ在籍はしておいて時を待つのでもいいんじゃないかなあ。また突然やる気や体力が戻ってくるかもしれないし。」という、学費なし・手当の十分すぎる大学生ご身分を謳歌するフィンランド人ならではの見解がほとんど。ただ、何人かの友だちがそれとは別に、「フィンランドの大学はもちろん要件単位は細かく決まっているけれど、個々人のいろんな事情で、すでに取得した余剰単位の読み替え申請や、特別単位を出してもらうことだってできなくはないよ。だから結論を出す前に、まずはアマヌエンッシに相談に行くのがいいんじゃないかなあ」というアドバイスをくれました。

アマヌエンッシ(amanuenssi)というのは、大学の学部内の、さらに学科ごとに設置された教務部で、学生の単位や学位習得に関する監査やカウンセリングをしてくれる人のことです。個々の授業の単位認定は、もちろんその担当教官が処理を行ない、随時成績証明に反映されていきますが、アマヌエンッシは、学生が取得した単位の書き換えや読み替え、さらには新しい単位の「創出」までを司る、まさに神か閻魔大王か、という存在なのです。

単位の読み替えねえ…と、自分のこれまでの成績証明を眺めながらぼんやり思案にくれていたとき(これも前回書きましたが、私は必修科目の要件単位が足らないだけで、単位数自体はいろんな学科に浮気しながら要件数より20単位以上多く取ってあります…)、同じ街の別の大学(応用科学大学、以下JAMK)に通う友だちから耳寄り情報を得ました。少なくともJAMKでは、過去に通っていた大学なり専門学校で同類の授業を受けて単位を取ってる事を証明できたら、今の学校での取り直しは免除される…というもの。それ、ひょっとしてうちの大学でも認められるのかな…?だとすれば、私は日本の大学院でも今取りこぼしてる授業とタイトルだけ見ればほぼ同等の授業単位を取っているので、それを見せたら免除されるかも…

ということで、こんなこともあろうかと?移住前に母校で2部もらってきてあった英語版の修了証明と成績証明を引っ張り出してきて、そのスキャンデータとともに、アマヌエンッシのユハに嘆願のメールを書いてみました。「論文も出したし、卒業したいのは山々なのだけれど、もう自分の実力や体力に限界が来てしまいました。この過去の大学の取得単位の読み替えが認められないようなら、あとは大人しく中退の道を選びます…」と、本音としたたかさを全てさらけ出し…。
ユハからはなんと30分もしないうちに、長大なメールが返ってきました。しかもどうやらこの短時間に、しっかり私のこれまでの取得単位一覧を調べて、すぐに対策を検討してくれたみたい。ううう、さすが芸術学科生の誰もが「こんなにも仕事が迅速・敏腕なスタッフはフィンランドにそうそういない」と日頃から絶大な信頼を置く我らがアマヌエンッシ、ユハよ。。

しかもその返答には、

「(まず冒頭にここまで非母国語でしかも仕事と両立させながらよく頑張ってきたね、という泣かせてくれる労いの言葉が続いた後に、)悪いニュースと良いニュースがあるので、まずは悪い方から。残念ながら、うちの大学では過去の大学の修了要件単位として使った単位の読み替えは認められない。したがって、日本の大学で取った単位はここでは使えない。けれど良いニュースは、私は幸い必要数よりかなり多い単位を取得しているし、事実としては全大学で同等の内容を学習済みということはわかったので、取り残された10単位のうちの5単位分は、余剰単位で読み替えることは可能。さらに残りの5単位は、もし君がこれまで学業の傍らでフリーランスでやってきたという仕事が、『この大学の学科で学んだことを活かした職業である、あるいは仕事の成果が学業にも良い影響を与えてくれた』ということが客観的にわかるレポートを5ページくらい書いて僕を納得させることができたら、専門必修単位に読み替え可能な"job training単位"を5単位あげるけど、どう?」

…と、まさにこれまでの悩みや苦しみの煮詰まった鍋をかぱっとひっくり返してくれるかのような、画期的な救済案が提案されていたのでした。

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仕事と、学業。思えばこの数年の私の生活は、この二つの両立に苦しみもがいてばかりでしたね…。けれど、それぞれがスケジュール上で拮抗していただけかといえば、それは全然違う。私は文系や人文学部が役に立たないと軽視されることがずっと嫌だったし、そんなはずないという確信を持っていろいろじたばたしてきた末、今の仕事にたどり着きました。日本の文学部にいた時からも、絶対この学科に身をおいていたからこそ体験できたことや、出会えた人からの教えや、身についた思考力・文章力・アウトローであること恐れない度胸(笑)を武器に、社会のどこかしらで役に立ちながら、かつ絶対幸せな人生を送ってやると息巻いてきたし、その理想をこれからどうにか満たしていけそうな手応えも、今少しずつ蓄えられています。

どんな未知の世界を取材するときでも、娯楽番組をコーディネーションするときでも、誰かの何気ない言葉を通訳翻訳するときでも、人間らしい知性と温かさだけは、ぶれない軸として大切に保ち続けなければいけないと常々思っていて、その軸の芯部を形成してくれたのは、他でもない、O阪大学とJキュラ大学で書き続けたレポートであり論文であり、教授をくださった先生方であり同僚たちだったと、つくづく思います。もちろんそれに加えて、こんな超短期で私のフィンランド語をそれなりに使い物になるレヴェルに育て上げてくれた言語学部の先生方や、日々の先生であった大学の友だちへの感謝も計り知れません。

…とまあ、レポートではこんなアイドルの卒業スピーチ的な想いをそのまま書き綴ったわけではもちろんなく、これまで関わった取材やロケのプロジェクトのなかで、内容や取材プロセスにおいて人文学や芸術教育学の知識や考え方が応用された事例をいくつか紹介し、日本とフィンランドという異文化をまたいでメディア・コーディネーションやジャーナリズムの仕事に関わるうえでの気付きや諸問題を提議するような内容のものを提出しました。なぜか今回の作文作業だけはするするとはかどり、人生最後のレポートは、なんとたったの半日で仕上がってしました。あれ、5ページをこんなにさくっと書けたんなら本来のレポート2つくらいどうにかなったんじゃない?という疑念が自分でも一瞬よぎりましたが、まあこれは、大半が事業報告レポートという書きやすい内容だった上に、マラソンでゴールが見えてきたときにこそ発揮しうるラストスパ―トってやつだったんですよね、きっと(笑)

例によってユハからは30分とたたないうちにメールが返ってきて、「レポートすっごい面白かったよ!フィンランド人でも就職難の今の時代に、自分のバックグラウンドや能力が活かせる天職がみつかってよかったね!あとはこっちで単位処理しておくから、学位希求のオンライン手続きをして、シャンパン冷やして待っときな!」と、なんだか急展開に対しての彼のノリの軽さに、あららこれはひょっとして夢なんじゃないか…と、にわかに信じがたいような複雑な気持ちに。(ちなみにそんなユハの、大学HPに載せられたプロフィール写真はこちらですww入学当初はこんなパンクな人に自分の単位預けて大丈夫なのかと私も周りもみんなビビってましたが笑。)

ともあれ数時間後にはちゃんと大学から単位確定のオフィシャル通知メールが届いて、これにて、めでたく、ユヴァスキュラ大学修士過程修了が確定したのでした。

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今回の一連の対応やプロセスを経て、自分でもあらためて、単位って、大学での勉強って何なのだろう、ということを(最後の最後で)考えなおすきっかけを得ました。

少なくとも日本の大学では、大学外でのバイトや仕事の実績や頑張りが単位と互換されるということは考えられないし、担当教官が生徒個々人の事情をヒアリングして、自宅学習課題やレポート締め切り延長など単位取得のための代替案を提案したり、それぞれの単位を出す教官以外の人が、その学生の習熟度なり境遇を推し量って単位を創出・コントロールするという行為も、信じがたい目で見られることでしょう。

でも一方で、単位の価値の不公平性って日本のほうが顕著だったとも思うのです。うちの大学は、大学全体の傾向として「地中に埋まった単位を掘り起こさねきゃならない大学」と関西圏で揶揄されてたくらい単位には厳しい大学だったみたいですが、それでも入学したらまずどこかの専門サークルが作っている「講義情報(と名のつく、先生や教科による単位の"取れやすさ"を分析、可視化した一覧ノート)」を入手し、単位に甘い先生をターゲットに少しでも楽して単位を稼ごうとするのが普通でした。
こちらの大学では、どんな教科や担当教官であれ単位がもらえるまでの課題量やその難易度は、マニュアルもあるのではと察するくらい比較的均衡がとれていて、この先生だから単位が取りやすい、というのは聞いたことがありません。そもそも生徒も、単位の取れやすさよりは先生や授業の質の良さを確実に重視します。昨年度の授業の内容の評判を聞いて選択科目を選んだり、あるいは最初にその先生に「こんな授業を希望する」という要望を伝えたりするくらいです。
様々な事情で(たとえそれが「大学外での仕事が忙しくて…」であったとしても、)どうしても人並みに授業や単位取得プロセスについていけない人にたいする代替案も、それ相当の別課題を課したり、その時間で学ぶ内容の習熟度があるかを判定するのは絶対です。ですから、それらは「えこひいき」と言うのとは違います。

ただ、個々人が何かを学ぶそのプロセスやアプローチ方法には固執しない。その人にとって結果的に学ぶことがあったならそれでいいじゃない、という柔軟さが、フィンランドの(おそらく大学教育に限らず)教育現場での基本スタンスなのでしょう。単位は、その一つひとつの学びにたどり着いた証にすぎないもの。
ある目標地点への到達までの個々人の足並み(プロセス)をシステマチックに揃えさせるのは、ある意味簡単です。同じ現場に呼び寄せて、同じ説法を聞かせて、同じ課題を同じ時間にこなさせて、その最終結果だけを個別判定すれば良いのですからね。そのプロセスについてこられない人は、去る者追わず、自発的にドロップアウトしてもらえばいい、というスタンス。
一方、こちらの大学の先生達やユハがやってくれたように、一人ひとりの事情に耳を傾け、一緒に代替措置を考えて応じるというのは、当然ながら、その分だけ余計に考えるべきことが増えてしまうし時間も手間もかかります。でも、そういう個人的なケアまでを面倒がらずとことんやってくれるスタンスに救われ、やる気や学ぶチャンスを失わずにすむ学生はたくさんいるはずです。大学というのは、義務教育でもないし、最初の試験によっておよそ同等の能力を持った人たちが集って来る場なのでこの言葉がふさわしいかわかりませんが、大学教育の場においても、ごく自然にインクルーシブ教育の考え方が根付いている、というイメージでしょうか。
そもそもこちらの大学は、社会人を経て再入学する人もいれば、私のように仕事をする傍らで学位を取ろうとする人も多いので、学生一人ひとりの目的意識やニーズ、バックグラウンドにはかなりばらつきがあるのも事実。大学はまさに、そういう事情をカバーするインクルーシブ教育の実践の場となっているのかもしれません。

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もうひとつ私の事例からも特筆すべきなのが、大学側が、学生の大学外での職務体験に対して寛容であり、かつ大学での学びとワーキングライフ(や、大学以外での人生)との接点を肯定しフォローしてくれるスタンスです。特に日本の文系学部の場合、そもそも大学側が、学生がこの学科で学んだことを就職先で活かしてくれるはず…ということを端からあまり期待していない消極的なムードを感じます。どうしてもこの分野の研究を極めたければ修士・博士課程へ…でもいずれ就職する気ならできるだけ進学は考えるな。そして就活では大学での自分のフィールドに固執したり職務内容を選ばず、広く数多くやりなさい…という指導方針に乗せられます。社会が「不要だ不要だ」と口を叩く風潮に、実は文系学部自体も社会に果たす役割に自信をなくしている雰囲気があるのではないでしょうか。
実学的でない勉強をしてきた人が、その後の就職や人生に大学時代の実績やこだわりをまったく発揮できないというのはやはり寂しいことだし、大学の学科側が「結局世の中そういうもの」という雰囲気を否定しなかったら、ますます非実学叩きに歯止めが効かなくなりそうです。

私が今回行使してもらった"job training単位"というのは、規定として大学での専攻分野での勉強が活かせる仕事やジョブトレーニングに規定時間数以上従事したことを証明し、その意義を客観的にプレゼンできれば誰でも申請可能な単位らしいです。学業の一環そして職業訓練の一環として、自分自身で意義のある職を見出す、あるいは職に意義を見出す…という作業も、特にこういう学部だからこそ大切な経験やそのきっかけになるのでは、という気がします。人生に一貫性など別にいらないと思うけど、特に大学という、ある意味時間と心身を一番自由に贅沢に使え、知りたいことを心ゆくまで学べる特別な期間に、自分が何を身につけたのか、そしてそのおかげでこれからの人生をどう変えていけそうか。その動線を自分自身で確かめることで、さらにそれを大学側に認めてもらえることで、自分のこれまでとこれからに自信を持って、前向きに次のステップへと進んでいけるような気がします。

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学び方は、人それぞれ。学んだことの活かし方も、人それぞれ。
フィンランドでの大学生活の総括は、そこにつきます。
こんなふうに、人生でもう一度学生生活を過ごせたこと、それも日本では知り得なかった学生時代を謳歌できたことはとても幸せなことでした。長い人生、ひょっとしたらまたここに舞い戻ってくることもあるのかもしれませんが、ひとまずはここで一呼吸つき、ここからまた新しい道を歩き始めてみようと思います。
ま、ノマドワーカーにとって大学図書館ほど居心地よい場所もないので、しばらくは私の第二の作業場のままかな〜笑

今回だっと書き綴ったこと以外にも、「フィンランドの大学教育」について、実際に身をおいたり数々の視察のお手伝いをしてきた経験から書き留めておきたい事項って、実はまだまだあるので、一応夏までは学生証も有効だし(笑)、折にふれてそういうトピックも書いていきたいなあと思っています。

ちなみにここまでのBGMならぬバック・グラウンド・ピクチャーは、一応内容に沿って通学路の風景限定でお送りしました。肝心の学び舎がひとつも写ってないけど…

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ここまでの長文を完読してくださった方、本当にありがとうございます。
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2016年01月20日

涙なしに語れない卒業までの道のり(1)

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さて突然のご報告ですが、苦節4.5年、どうやらようやく、私のユヴァスキュラ大学院修士課程での修了・卒業が内定したみたいです!
ここに来てまで「どうやら」とか「したみたい」とか、さも他人事のような頼りない書き方をしているのは、フィニッシュの仕方が、自分でちゃんと人並みにすべての要件単位を揃えてこれみよがしにゴール!したのではなく、これまで取得した単位内訳では本来なら修了資格はないはずなのだけど、いろいろな裏事情や特例が絡みつつ最後は頭も下げてどうにかしていただいた、という感じだったからです…。別に、賄賂を渡して単位を買ったとかそういう不明瞭な事情ではないので(笑)、これが今後フィンランドに正規学生として留学する方々の参考になるかはわからないけれど、その始終をここに書きとどめておこうと思います。

まず、これは日記にも書きましたが、昨年末に修士論文は提出して受理され、40クレジットは取得済みでした。ただ普通は、まず最初の1,2年でそれ以外の必須単位を揃えておいて、それらの目処がついたタイミングで論文執筆にとりかかる、というのが一般的な流れです。日本の大学でも、そもそも卒業要件単位が揃っていないと修士論文は受け付けてもらえなかったと記憶しています。けれどこちらでは単位集めが修論提出の前提とはなっていないので、私は昨年度のスタート時点(9月)で本当はまだ15クレジット(半年のクラス3講座分)残っていたのですが、先々の人生計画も念頭に置いて、まずは論文作業を終わらせることにしました。

15クレジット足りないとは書いていますが、実は単位数だけで言えば、実は私はもはや修士過程の要件単位数をはるかに超過して保持しています。。フィンランド人とフィンランド語でのゼミで勉強するかたわら「第二外国語としてのフィンランド語」を副専攻として登録し、フィン語を母語としないけれど将来的に生活や仕事で積極的に使いたい人のための各種クラス(文章執筆とかリテラシーとかビジネスコミュニケーションとか)をいろいろ取っていたからです。さらにうちの大学の場合、基本的には主専攻と副専攻以外の学科の講座などを単位習得前提で受講するには事前に特別な登録をしたりと面倒はありますが、個人的に目的を明らかにして頼み込めば不可能ではありません。それをいいことに、私も音楽学科、ジャーナリズム学科、コミュニケーション学科などさまざまな分野の授業にも首をつっこんでいました。
ただ、私の主専攻はあくまで芸術教育学。ゼミの修士課程者用の上級科目から、少なくとも40単位分は稼いでいなければいけません。(参考までにフィンランドの大学の学士および修士課程の単位区分は、Y=yleisopinnot(一般教養), K=kieliopinnot(言語), P=perusopinnot(基礎), A=aineopinnot(専門), S=syventävät opinnot(専門上級)と分かれていて、修士課程はS単位を中心に集める)さらにその半分くらいは具体的な必修科目も指定されています。この細かな指定は「興味のあるものから幅広く」趣向の日本の文学部ではあまり聞かないですね。

私は、9月時点でこの専門単位があと10クレジットつまり2講座分不足してることはわかっていました。じゃああとの5クレジットは?…この辺が一番謎めいてる話で、私はいわゆる留学生のようにイングリッシュマスタープログラムに在籍しているわけでもないし、現地語履修なので扱いとしては正規扱いです。が、もしそうだとしたら第二公用語のスウェーデン語を履修していなければいけないし、留学生として見なしてもらうには、EU圏外の国籍を持つ学生に課されるフィン語の中級レベル取得や第二、三言語取得など、更にいろいろ特例が課される可能性もあるのです。
正直、このあたり大学文学部の芸術学専攻グループに前例がないことゆえ、教務に聞きに行っても返ってくる答えがバラバラ。私もまあいざとなれば、フィン語だって上級クラスを一通り履修しているんだしなんとかなるだろうと高をくくっていました。ただ、どうやらやっぱり整合性のために、もうひとクラス専門科目を多く履修することでカバーしてくださいという結論になったらしく、こうしてトータル3講座分の専門単位を取らなければならない、ということが昨年9月に判明しました。明らかな留学生用ゼミではない枠で留学する皆さんは、入学時点で、スウェ語などについては留学生扱いしてもらえるのかなど、教務にしっかり掛けあって正式回答を得ておくことをお勧めします…

ともあれ、しかたがないので昨年9月に残りの3教科を履修登録し、仕事と論文執筆の合間をどうにか縫ってきちんと出席もしたし、出張でどうにも出られない場合の代替課題も全て提出したし、中間発表などもちゃんと卒なくこなしました。ただ、文学部の講座の最終単位判定にファイナルテスト実施はめったになく、10〜15ページのレポートで成績がつけられることがほとんどです。もちろんそれまでの出席数や中間発表などは最終レポートの提出資格に響いてきますが。
講座の開講期間によりますが、多くの場合、秋学期のレポートの提出期限は年明け。私は3つのうち1つだけが年内で、あとが年明けとなっていました。

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閑話休題…最近ずっとシャレにならない寒い日が続いてる。毎日マイナス30度あたりをうろうろ。それでもこんな格好でなら外出歩いて自転車も乗れちゃいますよ、という捨て身の自撮り図。

さて、ようやくここからが「個人的な事情」発動の発端と経緯となるのですが…、これも以前論文執筆のことを記した日記で吐露しましたが、実は私は80ページを超える長大なフィン語論文の執筆課程で、何度も体調を崩しかけました。体調というか、それはもはや精神バランスの問題。曲がりなりにも物書きである自分が、仕事と論文を両立させるうち、つまりある時はフィン語思考モードで小難しい文章を書き、ある時は日本語モードで一般読者用の文章を書き…という作業を交互させているうち、自分の思考モードの切り替えがとっさにできなくなってパニックになりかけたり、自己表現が楽にできる日本語作文のあとで歯がゆさの連続であるフィン語作文に手を付けると、言いたいことがちゃんと表現できていない気がして、ものすごいストレスを感じるようになってきたのです。この精神の不衛生さは、如実に身体の不調にも現れ、正直かなり辛いものでした。昨年末は出張が多かったからまだ救われていたというか、ひとたび書き仕事から離れて日本語メインで仕事をするうちはすぐにけろっと良くなっていたので、原因は明らかでしたね(笑)

とにかくそんな状態で論文はどうにか出したものの、残る3つのレポート…総計枚数35ページだから、なんだかんだあの論文の半分近い枚数をまた書けってことでしょう…。正直、これに今手をつけるべきか、身体をいたわってもう一年見送るか(後期に同じのは開講されないので…)、悩みに悩んで、とりあえず年内締め切りのものだけは、うんうん苦しみながら書ききりました。もはや今論文書いていたとき以上にフィン語作文絶不調期にあることを再認識。もうダメだ、もうこれ以上無理して何か書こうとしたら、年明け早々再起不能になってしまう…と直感で危惧し、かといってこれによってまた進路が予期せぬ方向に進む(てか留まる)ことを考えるのもまた憂鬱で、結局、残り2つのレポート及び単位のことはいったん記憶の底に封じ込めて、年明け早々ありがたくも各方面からお声掛けいただいた仕事のほうに専念することにしました。

とはいえ、忘却の彼方に追いやって解決するわけでもない卒業問題…。実際自分の中ではある程度もう答えが出ていました「ここまでよく頑張ったし論文も良い成績をいただけたのだから、自分の限界を認めて大学を中退しよう」と。もちろんここフィンランドでは8年という上限はあれど大学の在学期間で人生に傷がつくこともないし、変な目で見られることもまったくないし、そもそも学費もかからないので困ることはとくにない。むしろ学生身分で、住居面や交通費面などいろいろ得してしまうのも事実。
ただ、自分でも予想外にワーキングライフが早く軌道に乗ってしまったこともあり、正直このままずるずる伸ばしても、来年もまた同じことを繰り返すだけのような気がして、それならすっぱりと潔く切り捨てたほうが、もっと身軽に次のステップに踏み出せる予感がするのです。
自分はこれまで一度もそんな選択はしたことがなかったけれど、世の先人いわく、世の中諦めも大事。Filosofian maisteriの称号だけなら既に日本でも取得しているんだし、少なくともこちらの大学のアーカイブに論文は残せたんだし、もういいじゃないか…。

と、一人その意思を固めて、大学の春学期が始まったらその旨を教務に伝えに行く気満々でいました。
が、それが周囲の方々からの思わぬ助言と援助により、わずか3日でまったくの別方向に転換してしまうことになったのです…

なんだかもう書く方もダレてきそうなくらいここまで長くなってしまったので、続きはまた明日(か次回パソコン前で自由時間を過ごせる時に)!(笑)

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posted by こばやし あやな at 22:52| Comment(0) | 大学院生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月06日

新年こんな感じで始まりました

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新年明けましておめでとうございます👤
たまには「おめでとうございます」の語尾にふさわしい絵文字でも挿入してみるか…と登録されているアイコンをざっと見たのですが、ツリーはあっても新年らしい絵柄が見当たらなかった。。

久しぶりにフィンランドで過ごす年末年始。大学友達とわいわいホームパーティをして、花火打ち上げて、カウントダウンセレモニーに行って、ばっちり昼間で寝正月…の何の例外もない典型的な年末年始でした。

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元日は、近所に住んでいる日本人留学生の友だちと分担して、それなりに日本人として新年を迎えた気になれそうな食卓づくりに励みました(笑)パランデル家はおなじみの乾燥キノコで出汁をとった、キノコたっぷりお雑煮を提供。おせちやお汁粉やおとそもそろって、食器はまあフィンランドですが、正座してちゃぶ台囲んで、たまたまやってたジブリ映画を見ながら美味しいものをいただく。慎ましく幸せな一年のはじまりはじまり、でした。あと新年早々ミッコがやたら料理など張り切ってくれるので、楽させてもらってます笑

お仕事はなんだかんだで元旦の夜からちまちまと始めています。あえて他人が普通くつろいでいるであろう、心の余裕があるときに気分よくマイペースに調べごとや翻訳作業など進めるのは嫌いじゃないです。いっぽう、毎年のことながら昨日ないし今日と世の仕事始めの日が来ると、うんざりする量の新規メールが押し寄せてくるので、それらをさばくのにはやや疲弊。今日は日中馬力上げて少し頑張りすぎたので、あとはのんびりサウナ入ってバスローブでマイナス23度の世界でしばし涼みたいと思います(笑)

それにしても、年が変わったとたんにようやく従来の冬モードにスイッチがはいり、ここ数日はマイナス20度台がデフォルトです。それでも相変わらずの自転車登校ですが、昨日は鼻を隠すマフラーを忘れて、下り坂で「鼻とれてどっかに落っことしてきたかも!?」と焦るくらい、鼻が冷たくなりすぎて感覚を失ってしまいました。明日からは出張初めということでヘルシンキへ。多少は気温もマシなのかと調べたら、意外と今は南方も寒いようですね…。今年最初の取材仕事でインタビューさせていただくのは、私のインタビュー業史上最高齢の方です。それでも戦後のフィンランドのデザイン界に非常に大きな転機をもたらした、重要人物のひとり。どんなふうにコミュニケーションをとるか(とれるか)は、まさに現場でお会いして様子を見ながら、となりそうですが、貴重な機会に感謝して楽しんできたいと思います。週末はミッコもヘルシンキにやって来て、新年パーティ出席や誕生日祝いなど。すでに願うまでもなさそうな予感はしますが、今年もたくさん移動してたくさん新しい世界に出会える一年でありますように。

ayana@jyväskylä.fi


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おっと明日は祝日とな!


posted by こばやし あやな at 01:55| Comment(0) | わが家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月31日

Suomiのおかん業務実績2015 & 大晦日のご挨拶

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それでは年末恒例となった、Suomiのおかん 業務実績の2015年度報告をさせていただきます。

連載
■生活情報総合サイトAll About(海外旅行>フィンランド)こちら
■Sauna on Valmis(株式会社メトス公式サイト内サウナ関連コラム)こちら
■北欧じかん(フィンランド関連記事)こちら


書籍の取材執筆
■玄光社『カウニステのデザイン 北欧テキスタイルブランドの新しいかたち』(7月)

新聞・雑誌・書籍媒体への原稿執筆および取材コーディネート
■アイノラ交響楽団第12回定期演奏会パンフレット「シベリウス人物像コラム」(4月)
■誠文堂新光社『イラストノート 第35号』"かわいい北欧の模様"特集(7月)
■全国公衆浴場同業組合連合会『Please Enjoy SENTO』"フィンランドサウナの文化"(11月)
■リクルート社『HOUSING 2016_02』"北欧スタイルの家づくり"(12月)


テレビ番組ロケの通訳コーディネート
■鹿児島テレビ制作『福田沙紀 氷と雪の世界 真冬のフィンランドでオーロラと出会う』(1月)
■TBSチャンネル『槇原敬之 フィンランド音楽紀行』(12月)


視察コーディネート、リサーチ、通訳翻訳など
■フィンランド最古の公衆サウナRajaportin Saunaの公式ウェブサイト日本語ページ作成(1月)こちら
■大学研究室の教授とゼミ生たちのヘルシンキおよび首都圏の近現代建築視察(3月)
■研究者グループによるフィンランド社会保険庁の関連施設の視察(3月)
■研究者グループによるフィンランド幼児・初等・中等教育における音楽教育の現場視察や聞取り調査(3月)
■株式会社メトス視察団のエストニア南部の世界遺産サウナ文化の現場視察・取材(10月)こちら
■研究者グループによるフィンランドの専門学校教育に関する大学研究者とのセッション通訳(11月)
■FISスキージャンプW杯ルカ大会会場でのフィン現地メディアの葛西紀明選手インタビュー通訳(11月)
■研究者グループによる「遊び」の観点からのヘルシンキ公立幼稚園の視察(12月)
■その他、依頼を受けた企業・個人のドキュメント、プレゼンテーション資料、DVD字幕などの翻訳業務や、海外特番関連のTV・ラジオ番組のフィンランド国内リサーチ・仲介など随時


委託ガイド業
■ヘルシンキ市内観光
■ユヴァスキュラ市内や近郊のアールト建築ガイド など

(各時系列、敬称略)


◎個々の具体的なお仕事内容、その見どころ?は、おかんHPの"WORKS"ページ(こちら)に記載しておりますので、よろしければご覧ください!

そして、これは業務ではなく学務ですが、成果は成果なので一応…笑

受理された論文
■Pro-gradu tutkielma "Yleisen saunan merkitys nyky-yhteiskunnassa -2010-luvun Helsingin uusien yleisten saunojen toimintakonseptien perusteella" (Taidekasvatus Sksy2015/ Jyväskylän yliopiston taiteiden ja kulttuurin tutkimuksen laitos)

さらに、これらは完全にただの棚ボタですが…苦笑

日本のメディア出ちゃいました
■NHKテレビ 朝の連続テレビ小説『マッサン』"私たち国際結婚カップルです"ミッコ&あやな写真採用(2月)
■フジテレビ『ヨルタモリ』"ヨルの連続テレビ小説タモサン"ミッコ&あやな何故か名前出演(3月)



今年は間違いなく、フィンランドに移住してきて以来あらゆる面で一番、思いが形に、迷いが希望に、努力が成果につながった手応えの強い一年でした。(まだ放映が来年に控えているものもありますが)初めて本格的なテレビ番組のコーディネーションを何本か引き受けたことで、確実に仕事のジャンルやスキルの幅を拡げることができたし、まさに日本にいては絶対に出会うこともなかった、母国の誇る本物のプロフェッショナルの方々と出会うばかりか、互いの専門性を信頼しあってクリエイティブな共同作業に携われるという、移住当初は想像もしていなかった素敵な機会に幾度も恵まれました。そしてこれも夢のひとつだった、一冊の本の執筆に携わるという作業もようやく達成。
夢や目標の達成という面ではお仕事だけでなく、たとえばフィンランド語で論文を書き上げる。ここで出会った音楽仲間とカルテットを結成して演奏会を開く。アフリカ大陸に足を伸ばす。といった長年憧れていたものごとも次々に実現しました。縁と運命で他力本願的にさらっとふわっと事が運んだこともあれば、自分の努力や執念がどうにか結実させたことも。その一方で、自身の限界点というのか、体力的にも精神的にもここまで来たら素直に引き返そうとポジティブに諦める精神も学ぶことができた一年でもありました。

すでに少し前の日記でも意思表明をしましたが、来年も当面はこのまま、自分自身ではあまりこれといったセルフブランディングや目標設定や営業活動をするわけでもなく、ただたんぽぽの種のように周りから吹いてくる風に運ばれながら、その未知なる着地点で必要な知識見識を養って自分のベストを尽くす…そういう自然な活動を続けていけたらいいなと思っています。もちろんその中で、これは自分から本気で打ち込んでみたいと新たに思えることが見つかればラッキーだし、そのときはまた青春時代のように前のめりに全力疾走する快感を得たいものです。同時に来年は少し自分に多めに「自由時間」を許容しつつ、やれ仕事勉強でパートナーを寂しがらせないように気も配りたいなあと(笑)人生はまだまだ長いけど、自分の好きなところに行って好きなことをして許される自由時間はきっと一生保持できるものではないはずだから。


私がこうしてたんぽぽの綿毛を気取ってふわふわと楽しく、でも継続的に活動を続けて暮らしてゆけるのは、私が必要とされる場所に運んでくれる風となってくださる皆さんとの、良き出会いと良き交流が途絶えないからに他なりません。偶然は何度も起こればそれは偶然とは呼べないでしょう。こんなに素敵な出会いと交流が続くのは、もはや偶然ではなく、ひとつひとつちゃんと意味や連続性があるものなのだと、年々信じられるようになってきました。それは自分自身への根拠なき自信でもあり、この世界で新たな人との繋がりや絆を求めて生きる人々のネットワークパワーへの信頼と感謝の気持ちでもあります。ほんとうに何事も、捉え方ひとつ、受け止め方ひとつ、です。

というわけで今年最後の日記も終始自分のことだけを語って終わってしまいましたが、もちろん人並みに世界平和も心で願い続けているし社会問題も頭で考え続けているので、ここでさらに言葉にしないことお許しください(笑)今年一年も、本当にありがとうございました。来年も、皆さん一人ひとりが良縁そして己の運のよさにたくさん生きる喜びを感じられる一年となりますように。

ayana@jyväskylä.fi


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明日は皆でワイワイ花火大会で食べ逃しそうなので、今晩おそば食べます。カレーそばですが(笑)
posted by こばやし あやな at 03:25| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする